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ARIA The NextGeneration 第四節


「ゴンドラ、通りまーす!」
「……!?」
 そんな熟考と疲労で少し空白になっていたアイの頭に、凛とした声が響いた。どんな騒音の中も一瞬の間隙を貫いて通る声。何度も何度も自分で練習を重ねて、そして幼少時から幾多の水先案内人(ウンディーネ)の発声方法を聞いていた経験があるからこそ実現できる、声の出し方。
 気持ち良いまどろみから「遅刻するわよ!」と、突然母親の声で叩き起こされたように現実世界に呼び戻されたアイは、急いで手袋をはめ直して、オールを掴み操船台に飛び乗りファルコラに柄をかけ、右側の壁際に艇体を寄せた。それと同時に目の前の水路からゴンドラの艇首がゆっくりと突き出てくる。
 情熱の色、赤を基調にしたゴンドラ。そしてゴンドラと同じように情熱の色をメインカラーにした制服を着用する水先案内人(ウンディーネ)が操る艇体が優雅に旋回し、アイのいる水路に進んできた。
「……藍華さん」
 そのオールを繰る者は、赤色に負けないくらいの情熱を内に秘めた水先案内人(ウンディーネ)、《薔薇の女王(ローゼンクイーン)》藍華・S・グランチェスタだった。手袋無し(プリマ)昇格と共に姫屋の支店長に推挙されたという彼女。姫屋の跡取娘であるという立場を差し引いても、それは異例の大抜擢。そんな彼女が本日自ら客を乗せて観光案内をしていた。アイのゴンドラの左舷に彼女の操るゴンドラがゆっくりと近付いてくる。
 水の上は基本的に右側通行。これは地球(マンホーム)時代からの海上交通法の決まりであり、それは《AQUA》でも変わらない。そしてアイは、対向船の姿が明らかになっても、まだ自身のゴンドラは動かそうとしなかった。自分はまだまだ片手袋(シングル)には昇格の程遠い両手袋(ペア)の身。交差する時に変に緊張して相手に当ててしまう危険性より、止まってやり過ごすというある意味ゴンドラ乗りにとっては恥ずべき行動を、アイは選んだ。
 水先案内人(ウンディーネ)の操るゴンドラ同士が対面航行する場合、お互いが滑らかに動き縁がぶつからないぎりぎりをすれ違い、軽い会釈を交わして去って行くのが美しいとされる。高度な操船術を魅せるのも水先案内人(ウンディーネ)の仕事だからだ。
 しかしその美しさを実現するには大変な技量を要する。少なくとも両手袋(ペア)にできる技術じゃない。両手袋(ペア)の時代でそんなことが出来ていたのは多分アリスぐらいなのだろうと、アイは思う。そして両手袋(ペア)の中には何とか良い処を見せようとゴンドラを進ませ、緊張のあまりぶつけてしまって、軽い事故を発生させてしまう者も多い。自分もゴンドラの操船には自身があるが、今この状況でそれをしようと思うほど愚か者じゃない。
 自分は水先案内人(ウンディーネ)になると決めた時から、相手の安全のためなら修行の身である最中はそれぐらいの恥は甘んじて受けると覚悟は決めていた。騎士たる者、民を守るためならば恥辱も甘んじて受けるべし。
 だから、疲れた身体に気合を入れて背筋をぴんと伸ばし、顔には微笑みを作って今の自分に出来る精一杯の水先案内人(ウンディーネ)としての姿を見せると、藍華のゴンドラが通過するのを待った。立ち姿を美しく決めるのも騎士たる者のたしなみ。
 乗客を乗せた藍華のゴンドラがゆっくりと近付いて来る。そして止まったままのアイの隣を交差する。すれ違いざまアイがぺこりと軽く黙礼すると、藍華は彼女にだけ聞こえる声で「ありがとね、アイ」という言葉と、ぱちんっと色っぽいウインクを一つ残し、去っていった。
(ひゃっ!?)
 そのさり気無い行動に、アイの胸がドキっとしてしまう。
 藍華はアイの気持ちをちゃんと理解し、その覚悟の気持ちにありがとうと言ったのだが、憧れの先輩の一人である彼女にそんな仕草をされてしまったら、同姓と言えどもドキドキしてしまうのは仕方ない。何しろ藍華はあの水先案内人(ウンディーネ)一の『男前』と称される《真紅の薔薇(クリムゾンローズ)》に育てられたのだ。さり気無い優しさにも、そんな男性的な表現が表れるのは師匠ゆずりなのだろう。しかし、騎士が恋すべき相手は麗しの姫様ただ一人。他に可憐な女性がいても目を留めてはならず! ……いや、何か男性的立場と女性的立場が逆のような気もしないではないが。
 当の藍華は、後輩であり古くからの友人である水先案内人(ウンディーネ)にそんな風に思われているとは露知らず、頭から「〜♪」と音符を出すような勢いで、それも師匠ゆずりの細やかな接客で乗客を楽しませながら、水路の奥に消えていった。
「相変わらずカッコ良いな……藍華さん」
 緊張と興奮でこわばった身体を解(ほぐ)すように、アイがふぅ〜と、息を大きく吐き出した。
そのまますーはーすーはーと深呼吸を何回か繰り返し息を整えると、再びオールを構え直し漕ぎ出そうとしたが
「アリア社長!?」
 先程まで船底でクルクル回っていたアリア社長は、ボールから零れ落ちてべちょりと仰向けに倒れていた。代わりに目がクルクルと渦を巻いている。
「……ぷい、にゅ〜」
 流石に回りすぎて目を回していたらしい。藍華のゴンドラが通過している最中随分と静かだったのは、その時点で既に彼が倒れていたかららしい。そしてそれに気付かないほどに、アイは疲労と緊張が続いていたようだ。
再びオールを縁に置いてゴンドラの中央部に行くと、アイはアリア社長を抱き上げた。
「ごめんねアリア社長」
 アイはそのまま後部客席にアリア社長の身体を横たえた。
「……ぷいにゅ、ぷいにゅ」
 心配無いよと言った風に手を振る彼だが、明らかに酷い乗り物酔いの状態になっているのは確かだ。停船してもクルクル回り続けていたのは自業自得のような気もするが、もう随分と長時間彼には練習に付き合ってもらっていた。だからその分の疲れもアリア社長には蓄積されているに違いない。
「まだお昼には早いけど、この先の公園でお弁当にしましょう、アリア社長」
 アリア社長の身体の調子を気遣ったアイが、少し早めの休憩を促す。お弁当という言葉に即座に反応した彼が「ぷいにゅっ」と嬉しそうに答えた。


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