ARIA The NextGeneration エピローグ
「アイ! はやくはやく!」
「まってよぉ〜、おねえちゃ〜ん」
マルコポーロ国際空港に到着した途端、アカリはいてもたってもいられなくなって駆け出していた。ロビーを抜け、自動ドアを越え、外に飛び出した。
「ここが《AQUA》……お母さんとお兄ちゃんの生まれた星」
何処までも続く蒼穹にアカリは出迎えられた。静かなる滅びの道を歩み始めている《地球(マンホーム)》の空は、もうこんなに青くない。
この空を見上げているだけで幸せになれる。それは生まれたての新鮮な蒼さ。《AQUA》の青空はそんな空に思えた。
「もう、まってって言ってるのにぃ」
アカリが空を見上げていると、アイがようやく追いついた。同じだけの荷物しか持っていないのに、我妹はなんでこんなに遅いのだろう? と、アカリは不思議に思う。そしてアイも、なんで我姉は同じ顔に同じ身体つきなのに、私よりこんなにもせっかちなのだろう? と、不思議に思う。
「もうアイってばいっつものんびりしてるんだからー」
「おねえちゃんが早すぎるんだよぉ」
「ほら、手を繋いであげるから」
「うん」
すぐ妹と歩く距離の離れてしまう姉だが、アカリはアイのことを置き去りにしたことは一度も無い。最後は必ずこうして手を繋いで二人一緒に行く。基本的には仲の良い双子の姉妹なのだ。
《地球(マンホーム)》でも年に一回行われている水先案内人(ウンディーネ)採用試験に合格したアカリとアイの二人は、ミドルスクール卒業と共に《AQUA》に渡ってきた。母と兄の生まれ故郷ではあるのだが、意外にも今まで来る機会が無かったので、二人とも今回が始めての《AQUA》だ。始めてでいきなり異星に住み込みというのも豪気な話だが、二人とも早く水先案内人(ウンディーネ)になりたかったのであまり気にならなかった。今は不安よりもワクワクの方が大きい。
「……水先案内人(ウンディーネ)さん、まだ来てないのかな?」
今日から下宿することになるARIAカンパニーの水先案内人(ウンディーネ)は、片手袋(シングル)時代の始めての乗客が二人の母親だったと言う。しかもその時はアカリとアイの二人を身篭っていたという話。つまり二人はお腹の中にいた状態ではあったが、二人もその水先案内人(ウンディーネ)の始めての乗客でもあるのだ。
そして母はゴンドラに乗ったのはその時のたった一度しか無かったのに、いつもその時の話を嬉しそうにするものだから、二人の娘はすっかり感化されて、今では水先案内人(ウンディーネ)の卵にまでなってしまった。
そして今日、その水先案内人(ウンディーネ)が迎えに来てくれることになっているのだが
「呼びましたか? お姫さまたち」
アカリとアイの二人がキョロキョロしていると、空港前の水路に一隻のゴンドラが、音も無く滑り込んできた。それはとても優美な動き。
「ちょっと遅れちゃいましたね。レディーを待たせるなんて騎士としてはあるまじき行為をしてしまいましたね、シルバー社長」
「にゃぁ」
其処には、嘗て姫屋の社長を務めていたヒメ社長を真っ白にしたような猫を一匹従えた、一人の水先案内人(ウンディーネ)。
その立ち姿はとても凛々しく、彼女の乗る白きゴンドラは白馬のように見え、手に携えたオールは悪を討ち破るランスのように思えた。
彼女の清廉とした姿は、物語の騎士が突然目の前に現れたような錯覚を起こさせて、二人とも言葉を無くしたまま見惚れてしまった。
「『泣き虫騎士さま』……ですか?」
それでも何とか口が聞けるようになった姉のアカリが、彼女の名を聞いた。その水先案内人(ウンディーネ)はそれを聞いてクスリと笑った。風雅な微笑。
「良く知ってますね、わたしの裏通り名」
「お母さんから、始めはニセモノが来るかも知れないから、最初はこの通り名を言ってみなさいって教わったので」
「もう、アレナさんってば、相変わらずなんだから」
そう言えば私たちの母親は、古くから《AQUA》に住んでいる女性の人とメールのやり取りをしていたのをアカリは思い出した。多分その人物が目の前の水先案内人(ウンディーネ)なのだろうと思う。
「わたしの裏通り名を知ってるなんて、やっぱりアレナさんの娘さんたちですね」
水先案内人(ウンディーネ)が優しく微笑む。その慈愛に満ちた笑顔を見て、二人の姉妹は姿勢を正すと、声を揃えて、彼女の真の通り名を口にした。
「始めまして《玲瓏の騎士(ブリリアントシュヴァリエ)》! 今日からよろしくお願いします!」
「うん、ようこそ《AQUA》へ! そしてネオ・ヴェネツィアへ!」
自分の本当の通り名を呼ばれたアイは優雅にお辞儀を返した。アイの足元ではシルバー社長が「にゃぁ!」と、出迎えるように鳴いている。
数年前に灯里が引退してアイ一人となっていたARIAカンパニーに、久しぶりに新人を迎え入れることになった。
それがアカリとアイ。ARIAカンパニーを長い間支え続けてきた二人のトップ・プリマと同じ名前を持つ、双子の姉妹。
「にゃぁにゃぁ」
ARIAカンパニーの新入社員となった双子の足元を、現社長のシルバーが身体を摺り寄せながら歩いている。
そう、今までARIAカンパニーの新人水先案内人(ウンディーネ)を見守り続けてきたアリア社長は、もういない。先に逝ってしまったグランマの隣りで、彼は今眠りについている。
しかし彼の意志はちゃんと受け継がれている。母親にそっくりなスラリとした体躯に、父親にそっくりな美しい皓白の毛並み。そして両親から受け継いだアクアマリンの瞳。今はこの「シルバー」がARIAカンパニーの頼もしき社長だ。
「フフフ、二人とも早速シルバー社長に気に入ってもらえたみたいだね」
アイはそう言うと二人と目線を合わせる為に少し腰を曲げた。
「あなたがアイちゃんね? わたしと同じ名前の妹さん」
「は、はいっ」
「お姉ちゃんはどう? 優しい?」
アイの質問に、少し緊張した顔の姉の方を少し見ると、妹は元気いっぱいに答えた。
「はい、優しいです。今日ももたもたしているわたしの手を、ちゃんと握って一緒に来てくれましたし」
アイはそれを聞くと優しさとそして羨望の詰まった笑顔で姉の方を見た。
「アカリちゃんは本当、灯里さんと同じ優しい女の子なんだね……こんなお姉ちゃんがいて羨ましいなぁ」
「そんなことないです……アイ、さん?」
アイは両手を伸ばして、二人の身体を抱きしめていた。甘くて柔らかな香り。自分たちの母とはまた違う、大人の女性の香りが姉妹の鼻腔をくすぐった。
「あ、アイさん……泣いてる」
同じ名前を持つ妹のアイが、その涙に気づいた。本物の騎士のような凛々しい姿には似合わないような、しかし似合うような、不思議で可憐な涙。
「えへへ、わたしの裏通り名は『泣き虫騎士さま』なんだから……嬉しいことがあったらすぐ泣いちゃうのは仕方ないもの」
しかし、歳を重ねるごとに涙腺が弱くなっているなと、アイは実感する。事実、自分ももうそろそろ引退しなければならない年齢に近づいている。
でも大丈夫。ちゃんと時代は繋がっている。
次の世代の更に新しい世代の娘たち――二本の両足でしっかりと自分たちの進む道の第一歩を踏みしめている目の前の二人が、ARIAカンパニーの意思を受け継いでいってくれる。
アイは、始めて《AQUA》を訪れた時のこと、その日に出逢った水無灯里と言う片手袋(シングル)のこと、彼女の前で水先案内人になると誓った日のこと、自分が水先案内人(ウンディーネ)の試験に合格した日のこと、そして灯里から「ARIAカンパニーの採用試験、合格だよ!」と言い渡された日のこと――色々な昔日のことを思い出していた。
ミドルスクールを卒業して始めて《AQUA》に一人でやって来た日。荷物を抱えたアイの前に、同じように白いゴンドラに乗った灯里がいた。今の二人と同じように、夢と希望を胸の中にいっぱいに詰め込んだアイを、灯里は暖かく迎え入れてくれた。
そして今、同じように夢と希望を胸に秘めた少女達を、アイが白いゴンドラで迎えにきた。
時代は繋がっていく。
わたしは灯里さんからいっぱいの優しさをもらった。だから今度は、わたしの残された水先案内人(ウンディーネ)としての時間を、この娘たちのために捧げよう。先へ進むための努力をしている者に、惜しみない助力を。惜しみない優しさを。今からわたしは彼女たちを守るための騎士になる。
「さ、二人とも、ARIAカンパニーへ行こう。今日は盛大に歓迎会しちゃうよ!」
アイが涙を拭いながら、ゴンドラへ二人を迎え入れた。今頃はトゥリパーノからお祝いの花がどっさり届いている筈だ。
(まったく、アルティシアも店長になったからって、無理しちゃって)
アイは親友の厚意に心の中で苦笑しながら、操船台に着いた。二人が後部座席に収まりシルバー社長が乗ったところで、出発準備は完了だ。
オールが舞う。叩いた水面の水飛沫が美しい弧を描き、小さな虹を作った。
白きゴンドラが進み始める。次代を継ぐ者達を乗せて、ただひたすらに透明に光り輝く明日へ向かって。
「ハイヨー、シルバー! 新しい未来に向かって、出発だよ!」
【ARIA The NextGeneration 玲瓏の騎士(ブリリアントシュヴァリエ)】 ――完――