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ARIA The NextGeneration 第六節


「……むぐぅ?」
 水路に面した公園の桟橋の一つにゴンドラを停船させて、アイは昼食を取っていた。この公園はアイが始めて《AQUA》を訪れた時、灯里たちからじゃがバターをご馳走になった思い出の場所だった。《AQUA》のことがあまり好きではなかった当時の自分の、敵愾心と言う名の殻をぶち壊す切っ掛けを作ってくれた追憶の味。それが忘れられなくて、外に出ての練習中の昼食は大概ここで取るようにしていた。
 そんな思い出の場所でアイは、パニーノを口に咥えたままの状態で意識を取り戻した。何時ものように多めに作ってきた昼食のバスケットを開け、ハム、トマト、チーズの具材で作った簡素なパニーノを三個食べ、更に四個目を口に咥えた時に、そのまま少し眠ってしまったらしい。
 水先案内人(ウンディーネ)になってからは地球(マンホーム)にいた時よりも良く食べるようになったとは言え、アイの細い身体では本当はパニーノだったら三個ぐらいでお腹いっぱいになる。これでも標準的な女の子よりは多く食べるようになったのだが、しかし、早く狭い水路での長時間航行に耐えられるような体力をつけねばと、いつも少し無理して多めに食べている。その無理して食べた分をなんとか消化しようと身体が反応した結果、胃への活動へ大量の血液が一気に消費され、脳に回す血が不足したらしい。簡単に言えば食べ過ぎで眠くなり、そのまま寝てしまったのだ。
「……それにしても本当に食べながら寝ちゃうなんて……あるんだね」
 そんな事態を現出させるのは《天上のドジっ娘》の裏通り名を持つ、アテナ・グローリーぐらいのものだと思っていたのだが、連日の自主練習で疲れていたらしい自分の身体は、見事にそんな漫画のような出来事を具現化させていた。自分のしでかした偉業(?)に自分でびっくりしながら、アイは口をつけてしまった四つ目のパニーノを何とか胃に収めると、ポットの紅茶を注いで、一息吐いた。
「また夢を見た。今日二回目だね」
 朝に見た少し恥ずかしくなって来るような英雄譚ではなく、それは現実に起こったことの巻き戻し。そしてそれは今の自分が此処(AQUA)にいる理由。
 地球(マンホーム)の自宅に帰った翌日、アイ充てに大きな荷物が届いた。開けてみるとそれはゴンドラ操船のバーチャルシミュレーターだった。差出人の名前は水無灯里。
『わたしのお下がりで申し訳ないけど、水先案内人(ウンディーネ)を目指す卵になったアイちゃんに進呈します。これで思いっきりゴンドラ操船の練習をして下さい。未来の騎士さまへ 灯里』
 灯里は地球(マンホーム)の実家に連絡して、自分がミドルスクール時代に使っていたシミュレーターをアイの下へ送ってくれていたのだった。嘘でも冗談でもなく、本気の気持ちとして灯里は、アイの言葉を受け取っていた。そしてこの荷物が彼女の答え。私を悲哀の茨から助け出してくれるのなら、力の限り努力せよ。それは蒼き姫からの激励。
 アイはその日から猛然と練習し始めた。自分は灯里を寂しさから守る騎士になると決めたのだ。騎士は何時でも正々堂々。絶対に嘘はつかない。だからこそ先を目指す。姫のいる場所へ。蒼き姫君が待つ《AQUA》へ。どこまでも透明で、どこまでも真っ直ぐに前だけを目指す。
 そしてただひたすらに突っ走った結果、自分は水先案内人(ウンディーネ)と言う名の騎士になり、此処へ来れた。
「……でもまだ、見習いなんだよね」
 灯里を一人ぼっちにしないという目標は達成できたが、まだ灯里自身の直接の役には立ててない。とにかく早く片手袋(シングル)ぐらいにはならないと、自分は灯里のお荷物でしかない。
「……?」
 そんな風に考え事をしていると、目の前を鉄の塊が横切っていった。
「……エアバイク?」
 乗用車や二輪車の乗り入れが禁止されているネオ・ヴェネツィアで、ゴンドラと共に主要交通期間として利用されている重力制御型飛行オートバイ。その一台がぷかぷかと浮いて公園と水路の間の道を進んでいる。
 不思議なことにエアバイクの上には誰も乗っておらず、何故無人でふよふよと漂っているのかと不思議に思っていると
「……ん〜しょ……ん〜しょ」
 エアバイクの前の方から、苦しそうな女の子の声が聞こえてきた。アイがエアバイクの前の方に首を覗かせると、車体の前部にロープが結ばれ、そのバイクの持ち主らしき女の子がそれを引っ張っていた。袖をまくったワイシャツに洗いざらしたジーンズ。そんな上下の上に黄色のエプロンをつけている。肩に少し擦るぐらいのセミロングから覗く横顔はまだ幼く、ちょうどアイと同い年か少し上くらいだろう。
 ――もしかして、推進器が壊れちゃったのかな?――
 アイには毎日にようにエアバイクを使って仕事をしている知り合いがいる。風追配達人(シルフ)の綾小路宇土五十一世――通称ウッディーだ。彼は古くからARIAカンパニーと交流のある風追配達人で、新入社員となったアイも色々とお世話になっている。風追配達人は天翔ける騎士というイメージを彷彿とさせて、その仕事に少し憧れる部分もアイにはあったりもした。そんな彼から仕事道具の話を聞いたことがある。エアバイクの動力は大きく分けて推進装置と浮遊装置の二系統になっている。これはもしどちらかが故障しても、ある程度飛行を可能にして緊急時の軟着陸を可能とする為だ。
 ただエアバイク自体が揚力を用いて空を飛んでいるのではないので浮遊機関が止まった場合は、推進機関の推力だけで飛ぶので、数十秒くらいしか飛んでいられない。そして推進機関の方が止まってしまった場合、移動の為の推力が発生しないので、その場から全く動けなくなる。「んーんー」言いながらエアバイクを引っ張っている彼女の場合、どうやら後者の故障に巻き込まれたらしい。推進機関が壊れたエアバイクを引っ張る場合、その車体の全重量が牽引するものにかかってくる。標準的なエアバイクで五〇〇キログラムほどの重さ。
 ――あんなちいさい女の子じゃ、目的地に着くまでに日が暮れちゃうだろうなぁ――
 アイが自分のゴンドラ以上に低速で進んで行く車体を見てそう思う。自分も充分ちいさい女の子なのだが、こんな時はつい自分の事は棚上げになってしまうのは仕方ない。
「……よしっ」
 アイは一つ声を上げると、食べかけの昼食を片付け始めた。
「あ、アリア社長はまだ食べてても良いよ」
 しかしアイがそんな風に促す前に、彼は自分の分のお弁当を食べ終わり入れ物などをちゃんとバスケットの中に収めていた。頼もしき愛馬は、ちゃんと相棒の意思がすぐ判っていたのだ。夢の中のように背に乗せることは出来ないが、彼女の支えになることは現実の世界でも出来る。
「ありがとう、アリア社長」
「ぷいにゅ」
「よし、行こう! 騎士たるもの困っている人がいたら、見過ごしてはならず!」
「ぷいにゅう!」

「……はぁ……はぁ……はぁ」
 引っ張っても引っ張っても、全然進んでいるような気がしない。まるで言う事を聞かない軍馬の手綱を引っ張る従者のようだと思う。しかもこの軍馬は鋼鉄製。その分生身の馬より重い。それなのに言う事を聞かない部分だけは同じと来ている。
「……はぁ、もうお昼回っちゃったな……」
 今日は少し遠くへの配達だったので修理中の自分のエアバイクの代わりに父親のマシンを借りたのだが、こんな事なら面倒がらずに徒歩で行くんだった。しかしここまでオンボロだったとは思わなかった。定期整備ぐらい出しなさいって。こんなことでは、徒歩で往復した方が早く店に帰れたではないか。
 それに胸の辺りが痛み出した。倒れる前に少し休憩しなければ。そう思って女の子が手近な腰を落ち着けられる場所を探そうとした時、唐突に後ろから声をかけられた。
「お嬢さん!」
「?」
 呼ばれて女の子が後ろを振り返る。そこには白い制服を着た少女が一人。ネオ・ヴェネツィアっ子ならば一目で判る職種の制服。両手に手袋をしているのでまだ見習いの水先案内人(ウンディーネ)らしい。そして彼女の足元にはお供らしい火星猫が一匹。そんな彼女が、此方を見ている。
 周りを見渡す。自分と水先案内人(ウンディーネ)の少女とでっぷりとした火星猫以外には誰もいない。どうやらその「お嬢さん」と言う呼び名は自分に向けられたらしい。
「お嬢さん!」
 更にもう一度呼ばれた。その呼び方は本当に自分の事らしい。見るからに自分と同い年くらいのお嬢さんに「お嬢さん」と言われても、ピンと来ないのは仕方ないが、その呼称は本当に自分に対してのことらしいので、仕方なくと言った風に女の子は答えた。
「……あの、私のことですか?」
「はいっ、お嬢さん、お困りですか?」
 自分の事を真っ直ぐ見つめてくる、少女の大きな目。何一つ汚れの無い透き通った瞳に見つめられて、
「はい……困ってます」
と、女の子はつい素直に頷いてしまった。
「じゃあ、わたしお手伝いします! そのエアバイク動かないんですよね? じゃあわたしも引っ張るのを手伝います。騎士はどんな時でも困っている人を助けるものなのです!」
「……きし?」
「わたしはこう見えても騎士なんです! 槍はオールで馬はゴンドラですけど、騎士なんです!」
「は……はぁ?」
「騎士は困っている人がいたら助けなきゃいけないんです! それが騎士道精神なんです!」
「……」
 普通の人間だったら困難な事態に遭遇している人を見つけたら、ちょっとは力になってあげたいと思うものであり、普通より少し正義感が強ければ躊躇わず助けの手を差し伸べるであろう。そしてそんなことをしようとする人間は意外に多い。だからこの水先案内人(ウンディーネ)の少女もそんな心根を持った人々の一人なのかと思ったが
 ――騎士? 騎士ってあのお姫様とか助けに行くナイトのこと……だよね?――
 突然なにを言い出すのだろう、この少女は?
 自分を騎士呼ばわりする突飛な言葉に不信感を抱いてしまった女の子は、折角だが少女の申し出は辞退しようかと思った。このままでは店に帰るのは逢魔の時は確実に越えてしまうだろうが、この謎の少女に関わる事を考えたら、そっちの苦労の方がまだマシのような気がして来た。
 どんな理由にせよ自分を気遣ってくれた気持ちは申し訳ないが、この場はお断りの言葉を残して退散しよう……そう女の子が思い、腹に力を入れて声を出そうとすると
 ぐぐぐー
 喉から声を出そうとする前に、力を入れた部分から音が出た。昼食も無しに動かないエアバイクを運んでいた為、身体の方はとっくに限界を超えていたらしい。
 女性としてはあまり聞かれたくない生理音出してしまった女の子は、真赤になった顔を少女に向けたが、謎の水先案内人(ウンディーネ)はただ泰然とクールな微笑をしているだけだった。
「お嬢さん、もう一つお困りみたいですね。わたしの昼食の残りで良ければお分けしますよ」
 苦笑するわけでもなく、揶揄の表情を浮かべる訳でもなく、自分の意志を伝えるだけの簡素な言葉だけを告げる彼女の表情。物語に登場する騎士道精神を重んじる騎士がいたならば、本当にこんな表情をするのだろうなと思わせる。相手の気持ちを思いやる真っ直ぐな微笑。
 ――この娘は……本当に騎士なんだ――
 自分のことを騎士だという突飛な言葉。彼女は騎士の格好は何一つしていない。しかし彼女の意思そのものは紛れも無く騎士なのだと、女の子は感じた。
 だから女の子はもう一度頷いた。
「はい……おねがいします」
 今度は本当に心からこの少女に助けてもらいたいと思う気持ちで。


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