ARIA The NextGeneration 序章
彼女に水先案内人としての名前を授ける時が来たならば、玲瓏(ブリリアント)の言葉を贈りたい。
彼女の心はそれだけ、ただひたすらに真っ直ぐ透き通っているのだから。
一人の騎士(シュバリエ)がいた。
彼女は騎士の格好の類は何一つしていなかったが、確かに騎士だった。セーラーカラーの白とブルーの制服に、自分の身長を越える長大なオール。騎士の装備はそれだけだった。
しかし彼女の心にある大切な何かを守りたい気持ち。それが彼女を騎士足らしめていた。
だから彼女は誰にでも判る、騎士だった。
「……灯里、さん」
騎士の瞳には、目の前に聳え立つ城塞の塔に一人の姫君が捕われているのが、はっきりと見えていた。波一つ立たない暗い海面の向こう、覆い被さるようにそそり立つ巨城。その中心の一番高い塔に幽閉された捕われの姫君、遥かなる蒼(アクアマリン)。
豆粒ぐらいにしか見えない遠くにいるのに、姫君を拘束する茨が騎士には見える。それは悲しみと寂しさという名の茨。
「灯里さん!」
騎士が叫ぶ。悲哀の牢獄に捕らわれた姫を助けだそうと、力の限り叫ぶ。その想いが、彼女に頼もしき援軍を呼ぶ。
それは一頭の馬。見事な体格の白馬。一点の曇りもない皓白(こうはく)の毛並み。
『彼』は、既に戦うための鎧をまとっていた。純白の体毛に映える蒼茫(そうぼう)とした青の装甲。そしてその青は、『彼』の瞳の色と同じ青い色。捕われの姫の名と同じ、アクアマリン。
「ぷいにゅう」
『彼』が厳かに嘶(いなな)いた。さぁ早く背に乗れと、騎士を促す。その言葉が騎士に変化をも呼び起こした。身にまとった制服は青い紋様で彩られた白き甲冑に変わり、右手に携えたオールの柄には、果てしなく透き通った槍先が被せられた。
武装を整えた騎士が、軍馬に跨る。
「ぷいにゅう」
さぁ行こうかと、『彼』がもう一つ嘶く。
「……うん、行こう!」
騎士も軍馬――愛馬の呼びかけに力強く答えた。
「アリア社長、行くよ!」
「ぷいにゅー!」
騎士の声に白馬が答える。その嘶きは、始めて聞く者には間の抜けた鳴き声にしか聞こえないが、騎士にとっては何物にも代え難い、心から勇気づけてもらえる雄叫びだった。
騎士が手綱を取る。『彼』が翔ける。水面(みなも)を蹴り付け、悲しみと寂しさの城に向かって、一騎の人馬がまっしぐらに突き進む。
姫の下に行かなければ。悲しみの檻に捕われた姫を助けに行かなければ。
だってわたしはそのために姫を守る騎士――水先案内人(ウンディーネ)になったのだから。
何ものをも貫く透徹とした槍を突き出し、姫君を拘束する寂しさの茨をぶち壊すため、愛馬と共に海面を駆け抜ける。
「あかりさーん!!」
「……」
不意に目を開くと、最近になってようやく見慣れた、斜めの形状の白い天井が見えた。
「ぷいにゅ」
「……?」
ぺたりと、アイの頬に柔らかい肉球が押し付けられる。半分ぐらいぼやけたままの視界を横に向けると、にょっと、むにむにほっぺが現れた。彼のアクアマリンの瞳がアイを見つめている。
「あ……おはよう、アリア社長」
アイはむくりと上体を起こし、丁寧に正座に座りなおしてぺこりと朝の挨拶をした。
「ぷい、にゅ」
アリア社長もそれに答えて、ぺこりとお辞儀をする。
「……アリア社長ってば、さっきはすっごくカッコ良かったのに、またもちもちぽんぽんにもっどっちゃったね……」
ぐしぐしと目を擦りつつ、自分でも何を言っているのか判らないまま、眠気まなこで周りを見渡す。ここはARIAカンパニー三階の屋根裏部屋。この水先案内店の新人に伝統的に開放されている、住み込み用の下宿部屋。そして自分はARIAカンパニーの新入社員。
「夢……か」
なんだか凄く勇壮な夢だった。自分が騎士になって、アリア社長が馬になって、そして捕われのお姫様の灯里を助けに行くという、ちょっと格好良すぎてテレてしまう位の夢。
アリシアが残し、灯里も使い、そしてアイに引き継がれたベッド。朝日が零れ落ちるその枕下に一冊の本。アイが《地球(マンホーム)》時代から読み続けている騎士物語。
鋼鉄の軍馬に跨った青年騎士が、大魔王に捕われた姫君を助けに行くという、どこにでもありそうな勧善懲悪もので、更に曲がったことが大キライな主人公が「騎士道精神の名において、騎士は困っている民を助けねばならぬ!」と、どんな時でも困っている人を助けながら旅するという、児童文学にありがちの明快なお話だ。
しかしアイは、そのひたすらに真っ直ぐで透明な彼の想いが気持ち良くて、小さい頃から何度も何度も読み返していた。そして昨夜も寝る前に少し読んで寝ていた。それが先程の夢の元になっていたらしい――が
「でもそれは……此処(ARIAカンパニー)に来る想いをわたしの中に作ってくれたものなんだもんね、騎士さま」
すっかり眠気の覚めたアイは、枕下に置かれた分厚い本の表紙に描かれた騎士の絵に向かって微笑むと、隣で毛づくろいをしていたアリア社長を抱き上げた。
「膝の上良い? アリア社長」
アイがそう言いながら自分の両腿の上に彼の身体をぽよんっと乗せる。アリア社長も良いよという風に「ぷいにゅー」と答えた。
アイが上を見上げる。アリア社長も続いて見上げる。其処には丸い天窓。そしてその向こうにはネオ・アドレア海のアクアマリンの海にも負けないくらいの、綺麗に澄み渡ったスカイブルー。
自分は騎士になりに此処に来た。大好きな蒼き姫を守るために。だから翔ける。姫の下へ。姫と同じ場所へ行くために。今日も翔ける。
膝の上に愛馬を乗せた騎士――アイは、右の拳を突き出すと、生まれたての蒼穹に向かって、頼もしき相棒と共におはようを伝えた。
「ハイヨー、シルバー! 今日も新しい一日に出発だよ!」
「ぷいにゅー!」
【ARIA The NextGeneration 玲瓏の騎士(ブリリアントシュヴァリエ)】