第四話 みずいろの時代
……たすけて……だれか、たすけて……
誰? 誰なの?
……!? ……わたしの声が聞こえるの?……
うん
……たすけて……わたしをここから出して……
でも、どうやって?
……たすけて……たすけて……
ねえ、どうすれば良いのぉー!?
……たすけて……おねがい……たすけて……
……
少女は目を覚ました。
木漏れ日の降り注ぐ森。その森の木立の道の途中に、ぽっかりと開いた広場がある。
広場には大きな平たい岩が置かれていて、少女はその上に寝転んで先程までうとうととしていた。
ホビット族の少女だ。頭には特徴的な猫の様な耳が乗り、お尻からは良く動く尻尾が生えている。
何処にでも居そうな、ごく普通の女の子だ。普通のホビットの少女と違う所があるとすれば、その愛らしい猫の耳が横に「へろ〜ん」と垂れ下がっている事ぐらいだろうか。
「……いまのは夢? ……でも、なんだかあのおんなの子……きになるよ……」
少女はまだ半分眠けまなこな顔を横に向けた。
そこには一人の少年が無表情な中にも、少し心配の入った顔を少女に向けて座っていた。
横に生える耳は少し尖っている。普通に考えればエルフ族の少年だと思われるが、そうだと素直に断言出来ない様な雰囲気をこの少年は醸し出している。
「ねえ、レイくん、わたし今すっごくふしぎな夢をみたの」
レイと呼ばれた少年は、長い耳を少し動かしながら少女の話に聞き入る。
「夢のなかにおんなの子が出てきたの。それでその子はわたしにたすけてっていうの……わたし、どうしたらいいのかなぁ?」
大人ならば「たかが夢」と済ましてしまう所だが、今まさに多感な時代を生きるこの女の子は、まるで自分の事の様に夢の中の少女を心配している。
レイは一寸考える素振りを見せた後、自分の前髪を掻き揚げながら少女に身体を近づけた。
そして空いている方の手で少女の前髪も掻き揚げると、少女の額に自分の額をくっ付けた。
「……レイくん?」
突然そんな事をされてしまって、少女はちょっと顔が赤くなってしまった。
どうやら熱を測っている訳では無いようだ。その姿は相手のおでこを通して少女自身から何かを読み取っているように見える。
「……」
ドキドキと、何だか良く解らないものとが綯い交ぜになった気持ちの自分を、少し体を硬くして我慢している少女。
しばらくすると、何かを解った様な顔を作りながらレイが少女から体を離した。
そして少女の腕を取ると立ち上がった。
「え!? なに? なにかわかったのレイくん!?」
頬に照れた赤さがまだ残っている少女を強引に連れ立って、少年が駆け出した。
「あーん、もう、まってよ〜」
霊峰ソルア。
その昔この三日月の形をした列島が「ヤシマ」と言う名で呼ばれていた時代から、この大きな山は霊峰として崇められていた。
だが、今そこには山と呼べるような物は存在していなかった。
実際にはその山自体も其処にはまだ存在はしているのだが、全体の殆どを巨大な木が覆ってしまっているのである。
「龍の世界樹」
その大木はそう呼ばれていた。
巨大な霊峰を全て埋め尽くす様に生い茂るこの巨大な樹木は、その太い枝や根の形作る全体的な形が、丁度大地に翼を休める「龍」の様な姿をしていた。全体を覆う大量の葉がまるで龍の鱗の様に見える。
そして緑に覆われた動かぬ巨龍の頭部は“ある一点”の方を向いていた。
そう、その緑龍の瞳には中央大陸の砂漠地帯の中心部に眠る「封印されし破壊神」の姿が写っていたのだった。
この「龍の世界樹」の麓には、世界中の魔法、魔法使い、魔導器、呪導機など魔法工学に関わる全てのものを統括する組織「魔導教会」の総本山が存在する。
何故この場所なのかと言えば、世界中でも一番の霊気の集まるであろう場所が、この「龍の世界樹」の麓である訳で、様々な魔導実験等が行われる魔導教会のそれも中心と成るべき建物の設置場所としては一番都合が良い場所がここだからである。
その魔導教会の巨大な正門を先程の少年と少女が、たたたたっと駆け抜けて行く。
「門番さん、コンニチハ!」
ホビットの少女が正門の警護にあたる、兵士の一人に元気に挨拶する。頭を下げると、腰まで伸びた長い髪が可愛く揺れた。
「ああ、こんにちは。二人ともいつも仲が良いね」
どうもこの二人はこの教会に関係した子達であるらしく、門番の前も素通りである。
教会に戻ってきた二人は、中央の広場に出た。
其処にはもう一つの門番がいた。
それは物凄い威圧感をあたりに放つ巨大な「呪導機」だった。
名を「イスラフェル」と言う。この魔導教会設立当時から、その守りを固める守護龍機兵である。
その機体は今から八〇〇年以上も前に建造されたと言われ、いまだその性能に敵う呪導機も殆ど存在しない伝説的な呪導機だった。
そしてこのクラスの龍機兵はその強大な力に畏怖の念を込めて「神機」とも呼ばれてた。
「イスラフェル〜いつもおつとめごくろうさまぁ〜」
無口な少年に連れられたホビットの少女がそう言いながらその巨大な守護神の足元を駆けて行く。
先程の門番の兵と同じ様に動かぬ龍機兵に元気に挨拶している。
雨の日も風の日も常にその身を持って教会を守り続けるこの呪導機の事を、この少女は何時も何時も見ているのだ。
操士の乗っていないはずのイスラフェルが少し照れたように頭部を動かした様に見えたが、多分それは我々の気のせいなのだろう。
教会の巨大な中央塔の四方には、世界を構成する四大精霊を司る塔が一つずつ建てられている。
二人は水を司る精霊神「青流」の塔へと入っていった。
中に入って直ぐの所に小さな泉が作られたいた。
そこまで来て少年が、少女の手を離した。
「……ここ? ……ここって水のまほうつかいさんたちがれんしゅうに水の精霊をよび出すところじゃない? ……ん!?」
少女も何かに気が付いた様だ。泉の縁まで急いで駆け出す。
「……いた!!」
泉の縁に腰掛けて水の中を覗き込んでいた少女が、何かを見つけたように声を上げる。
普通に見るとその泉は何も変わらない様に見えるが、二人の目にはその“何か”が写っているのだろう。
少女は右腕の袖を肩まで捲くると、いきなり水の中に手を突っ込んだ。それも肩の付け根ぎりぎりまで突っ込んでいる。
「……はやく……つかまって……」
服が水に濡れるのもお構いなしの少女が、泉の中にいる「何か」に向かって叫ぶ。
今まであえぐように動いていた「何か」が、少女の腕を掴んだ。
「!……がんばって、今ひきあげるから!」
が、その“何か”も水の中で更に何かに捕まえられているらしく、逆に凄い力で少女の体が水の中に引き込まれて行ってしまう。
「!!!……」
自分も水の中に引き込まれないように一生懸命頑張る少女。
だがずるずると徐々に水の中に引き込まれ様としている。
しかしその動きが唐突に止まった。
「!?……あ、ありがとレイくん」
後ろにいた無口な少年がお腹に手を回し、水の中に引き込まれかかっていた少女の身体を支えていた。
「……んーっ、んーっ!!」
力を合わせて懸命に引っ張る。
二人のがんばりが伝わったのか、水の中の「何か」がようやく姿を現した。それは女の子の姿をしていた。
「……んーっ、んーっ、んーっ!!!」
少女は何とか上半身だけ這い出てきた水の中の女の子をがしっと抱えると、一気に水の中から引っ張り出す。
どしんっ!!
あまりにも凄い勢いが付き過ぎていたので、引っ張り上げた反動で三人とも後ろにぶっ倒れてしまった。
「いたたたた……だいじょうぶ?」
ホビットの少女が、今水の中から助け出されたばかりの女の子に声を掛ける。
「……う、う……ん……」
ずぶ濡れの少女が目を開けた。
「……あ、わたし……」
水の潤いできらきらと輝くその瞳には優しい笑顔をした猫の耳を付けた少女の姿が写った。
「だいじょうぶ?」
「……あ、わたし……わたし……」
ずぶ濡れの女の子はまだ自分が何故ここにいるか、混乱が解けない様子。
ホビットの小女はくすっと少し笑うと、相手の女の子の肩をそっと抱いた。
「あなた、わたしの夢の中でたすけてっていってたでしょ? だからこうして、たすけに来たんだよ」
目の前の少女の優しい声を聞いて、水の底から助け出された女の子はようやっと全てを理解した。
「……あ、ありがとう……ほんとうに……たすけてくれたんだね……ありがとう」
ずぶ濡れの女の子は嬉しさを現すように、目の前の優しい笑顔の少女に抱きついた。
抱きつかれたホビットの少女も相手の女の子にまだいっぱいくっついてる水滴で自分の服が濡れてしまう事も気にすることもなく、背中に手を回しかえした。
「えへへへ、でも、わたしひとりじゃたすけられなかったんだ。レイくんがここにいるっておしえてくんなきゃわかんなかったもん……あれ? レイくんは……あ!?」
ホビットの少女はその時になって初めて、この場所を教えてくれた無口な少年を自分のお尻の下敷きにしている事に気が付いた。
うつ伏せの状態でぶっ倒れていたレイはふたり分のお尻が上に乗っかっていると言うのに、特に文句も言いもせずそのままの姿勢を保っていた。
「レ、レイくんごめんっ」
ホビットの少女はずぶ濡れの女の子を抱えたまま少年から飛び退いた。
女の子を地面に降ろすとホビットの少女はもう一つの事に気が付いた。今、目の前にいる女の子は、生まれたままの姿……つまり何も着ていなかったのである。
「わぁ〜ごめんなさいっ!!」
「?」
キョトンとする女の子の目の前でホビットの少女が上着を脱ぎだした。まだそんなに気にするほど胸は大きくなってない様で、下には飾り気の無い白いTシャツを着ていた。
「ごめん、レイ君も何か着る物を貸してあげて」
まだ体中に雫の残る女の子に自分の上着を着せながら、ホビットの少女が相手の少年にお願いをする。
倒れていた状態から起き上がる所だった少年は、少女の頼みに何の躊躇いもなく上着を脱ぎだした。
ホビットの少女は少年が差し出してくれた上着を女の子の腰に巻きつけると、即席の巻スカートにした。
「……ありがとう」
ふたりの優しさに照れた顔を見せながら女の子が感謝の言葉を言う。
「……とりあえずわたしの部屋にいこう。そこでちゃんとした服をきせてあげるよ。それからはそれから考えよう!」
ホビットの少女はまだドギマギの残る女の子の手を取ると、この魔導教会の何処かにある自分の部屋に向かって駆け出した。少女と同じくTシャツ姿になってしまった少年も無言のままその跡を付いて行く。
「わたしの名まえはリュウガ。あなたは?」
「……わたし、ウォルテ……」
新しい衣服を着せてもらっていた女の子は、ホビットの少女の自己紹介に素直に応じた。
「……ウォルテ?……水の精霊のおひめさまとおんなじなまえだね?」
「……」
ウォルテはその質問にはあまり答えたくない様子だ。
リュウガの方もウォルテが答えないのを気にするでもないようである。
ホビットの少女は戸棚からバスタオルを取り出すとまだ濡れて光るウォルテの髪を“ごしごし”と拭きだした。
「……あれ?」
さっきから一生懸命ごしごしと吹いているのだが、一向にウォルテの髪が乾いた様子が見られない。逆にこの少女の髪を拭うタオルがぐしゅぐしゅに濡れて行くばかりである。
「……あのさあウォルテぇ? なんで髪ぜんぜんかわかないのぉー?」
不思議がるリュウガ。
当のウォルテも申し訳なさそうな顔を向けるばかりである。
「……ま、いっか」
本当なら物凄く大事件且つ大発見の様な気もするが、このホビットの少女にとっては“ぐしゃぐしゃ”のままのウォルテの髪の方が大問題だった。
戸棚の上に乗っけてあった櫛を取り出すと、ウォルテの濡れたままのキラキラと輝く髪を整え始めた。
「……レイく〜ん、もう入ってきていいよぉー」
ウォルテの仕度に一段落付いたリュウガが、少女の着替えの間ずっと部屋の外で待ってた少年を招き入れる。
ドアが開いて無口な少年が無言のまま入ってきた。
「……こんなもんかな」
リュウガの手によってウォルテのボサボサだった髪は綺麗に整えられていた。いや、ボサボサにしちゃったのはリュウガ本人なのですけど。
「……ありがとう」
ウォルテも照れた笑顔を見せる。
「あ、そうだ、ちゃんと紹介してなかったね。この子はレイくんっていうんだ。わたしたちともだちなの」
リュウガはそう言いながらレイの肩に、ちょんっと自分の肩をくっ付ける。
レイはそんな事をされても少しも動ぜず無表情を保ったままだ。これが普通の男の子だったら少し顔を赤くしちゃう所なのだけれども。
三人は立ち話もなんなので、壁際に備え付けられているベッドにリュウガを真中にして腰掛けた。
「ねえウォルテ? なんであんな水の中なんかにいたの?」
まずリュウガが口を開いた。
「……」
質問をされたウォルテは最初はどうして良いものかと考える素振りを見せていたが、しばらくするとおずおずと喋り出した。
「……わたし……うまれたばっかりで……じぶんのちからがまだうまくつかえなかったの……」
リュウガがウォルテの話に聞き入る。
「……それで、わたし……あるとき……水の中の歪みにつかまっちゃって……どうすることもできなくなちゃってこまってたときに……時の狭間のなかであなたの夢にであえたの」
「そうなんだ、あのときのおんなの子はやっぱりウォルテだったんだね」
「……うん」
にこにこと無邪気に微笑むホビットの少女に今度はウォルテが疑問を投げかける。
「……ねえ、リュウガ……」
「ん? なーに?」
「……その……わたしのこと怖くないの……?」
ウォルテの台詞にキョトンとしてしまうリュウガ。
「なんで?」
「……だってわたし……いまのはなしでも……わかるとおもうけど……ふつうの“ひと”じゃないんだよぉ……」
「それがどうしたの?」
「え?」
リュウガの台詞に今度はウォルテがキョトンとしてしまった。
「……ねえ、ウォルテ? わたしたち、もうともだちだよね?」
「う、うん」
リュウガの素直な笑顔を見ると、ウォルテも素直に「うん」の台詞を言う事が出来た。
「エヘへ、だったらもうそれでいいじゃない。わたしたちともだちなんだもん。こわくなんかないヨ」
「……ありがとう」
リュウガの本当に素直で純真な気持ちを感じとれたウォルテは、目の前にいるこのホビットの少女に自分の全てを打ち明けられる、そんな気がして来ていた。
「ねえウォルテ、これからどうする?」
ちょっと心配そうな顔をしながらリュウガが質問してきた。
「……わたし、かえりたい……う、うん、かえらなくちゃ、はやくかえらなくちゃいけないの……わたしがいなくなったら……たいへんなことになっちゃう……」
「え! それ、たいへんじゃない!……でもどうすれば……その、もといた場所にかえれるのかなぁ?」
「……わたしのいまのこのからだは、歪んだ水からぬけ出すためにむりやりつくったものなの……だからこのからだをもとにもどさなきゃ、もとの場所にはかえれないの」
「どうすればもとにもどれる?」
「……たぶん、この世界でいちばんおおきな水……それぐらいのおおきなちからがないと、このむりやりつくっちゃったからだをもとにもどすことはできないと思う……わたしのちから、まだよわいから」
「水……世界でいちばんおおきな水……」
考え込んでしまったリュウガが、今まで蚊帳の外だった無口な少年の方に、助けを求める様に振り向いた。
先程から一貫して、無口で無表情な表情を崩していないレイ。
この人形の様な雰囲気の少年の瞳の中を覗きこむと、何だかその瞳に吸い込まれそうな気分になってしまうが、リュウガはその瞳の奥の輝きに答えを見つけられた様な気がした。
何かが解ったかの様に、くるっとウォルテの方に振り向く。
「海!!」
胸の前で両の手の平を、ぽんっ♪と合わせながら、リュウガがそう答えた。
「え? 海に行きたい?」
お腹を大きくしたホビットの女性は、目の前に並ぶ三人の子供達を前にそう問い返していた。
此処は魔導教会の中央塔に隣接するように作られた巨大な研究施設。その広大な内部空間を見渡すと何人もの魔法使い達が詰め、作業に没頭している。
その広大な内部空間の中心に目を移すと一機の龍機兵が固定用のサイロに囲まれて置かれていた。
いや、龍機兵と呼ぶにはいささか問題のありそうな機体である。
その機体は確かに上半身は普通の龍機兵の様な形をしているのだが、巨大な安定翼を肩に付けた胴体を支える下半身は「龍の首」の様な形をしている。
その龍の首には普通は生えている筈の角が無かった。形状的に角が無い形の設計とも見れるが、その角が付くべき場所にはぱっくりと大穴が開いていた。
良く見ればその龍の後頭部もかなり大きく抉られた様になっていて、抉られた部分の中心辺りから頑丈そうな内骨格が生え、安定翼を付けた上半身を支えていた。
どうやらこの機体は魔導教会を守る「神機 イスラフェル」同様、永い時を刻んでこの時代にやって来た機体なのだろう。
数百年もの前の機体に秘められた今の時代では失われた超技術を解析するべく、一心不乱に何人もの魔導士達がサイロに取り付き忙しなく動き回っている。
その巨大な研究施設の壁際の一角に置かれた自分用の机に座りながらその身重の女性は三人の話を聞いていた。と言っても大体御解りの事とは思いますが、三人の中でしゃべっているのはリュウガ一人であります。
「うん、この子がもといた場所にかえるためには、どーしても海にいかなきゃいけないの。この子ひとりじゃ危険だとおもうからついて行ってあげてもいいでしょう?」
身重の女性はリュウガの服を着たウォルテの方に目を移す。
この、何時までたっても濡れた髪のままの少女は、少し申し訳なさそうな顔をしながらホビットの少女の隣に立っていた。
「……」
今度はその少女の反対側に目を移すと、無口な少年が何時ものように無表情のままでリュウガの側に付いている。リュウガが行くと言い出せばこの少年も何も言わずにこのホビットの少女を守るようにして着いて行くのだろう。
全てを理解した様に身重のホビットの女性は口を開いた。
「うん、解ったわ。でもね、用事が済んだらちゃんと早く帰ってくるのよ?」
「わーい! ありがとうお母さん!」
顔中に満面の笑みを浮かべたリュウガは許しをくれた母に感謝の言葉をもらす。
「さて」
リュウガの母が自分の大きいお腹を手で支えながら、椅子から立ち上がった。首の後で纏めた長い黒髪が揺れる。
「じゃあ今からお弁当作ってあげるからその間に仕度して来なさい」
「うん、わかったよ、お母さん」
娘の元気な返事を聞きながら母が、濡れた髪のままの少女に顔を向けながら少し膝を落す。
「ウォルテちゃんって言ったよね? なにか食べたい物ある?」
親子だけあってリュウガと良く似た優しい笑顔を自分に向けられてしまったウォルテは、ちょっと顔を赤くしながらおずおずと答える。
「……わたし……なんでも……たべれると……おもいます……」
ウォルテの返事を聞いて身重の母親はくすくすと笑ってしまった。
「フフフ、良い返事ネ。じゃあおいしいお弁当作ってあげるから早く仕度して来なサイ」
「はーい」
やっぱりリュウガだけ返事を残すと三人はこれから旅の準備をするべく部屋に戻って行こうとした。
その後姿を見た時、フーガはふと思いついた。
「あ、ちょっとまって」
「うん? なぁにおかあさん?」
返事をしたのはリュウガだけだが、フーガの呼びかけに三人とも振り向いた。
「これから遠くに行こうっていうのに、その長い髪じゃちょっとじゃまね」
フーガはそう言うと、自分の髪を縛っていた青いリボンを解いた。
「リュウガ、ちょっとここにきて、後を向いて」
「うん?」
リュウガは何が始まるのか解からないまま、素直に母のもとに戻った。
日向の匂いが多く残る娘の黒髪を綺麗に束ねると、自分が今までしていたリボンを使って、頭の上の方でまとめた。
「はいこれで大丈夫」
「わぁ、ありがとうおかあさん」
リュウガは心底嬉しそうに、真新しくポニーテイルに結ってもらった髪を撫でた。
母からもらったばかりの青いリボンがそれに合わせて揺れる。
「さてレイくんはいいとして、ウォルテちゃんも髪長いよね」
フーガがもう一人の女の子の方に顔を向ける。
「ウォルテちゃんの髪もなにかで結ってあげようか?」
「あ……あの」
その言葉に、少し目を伏せさせるウォルテ。
「わたしは、いいです……」
躊躇いがちな口調で答える。それと同時にフーガの視界に、濡れたままの髪が入る。
「そうね、あなたにはいらないわネ」
その言葉やその仕草に、彼女が抱えているおおきなものを何となく理解したフーガは、素直に退いた。
「じゃあ三人とも早く支度してきなさい」
「はーい」
「……フーガ」
娘達のお弁当の用意をしようと魔導教会内の厨房施設に向かおうとしていた身重の女性を、後ろから呼び止める声がする。
「?」
突然呼ばれて娘と同じく普段は横に垂れ下がっている耳をぴっと立てながら、フーガは自分を呼んだ声にした方に振り向いた。
其処には魔導士のローブに身を包んだエルフの女性が、考え深げな表情をして立っていた。
「ミレイヌ……」
「一寸良いかな」
フーガはそのミレイヌの口調で、彼女が自分と子供達との会話を聞いていた事に気が付いた。
「うん」
身重の魔導士は話を聞くべく自分の席に再び腰掛けた。ミレイヌも隣に置いてあった椅子に腰を下ろす。
「良いの? こんな事許しちゃって?」
ミレーユが心配そうな顔で言う。
「もし、あの子達にもしもの事があったら……それにあの濡れた髪の子……」
「うん、そうなんだけどね」
ふたりの高位魔導士は、あのずっと髪が濡れたままの少女の正体をなんとなく解かっているようである。
フーガは少し考え込むような顔したが、また直ぐに何時もの優しい微笑みに戻ると口を開いた。
「……あの二人の子達は生まれながらにして残酷な運命を背負ってしまった……世界中のみんなの未来を全て背負って生まれて来てしまった……」
「……」
「そして本当ならあの子達は自分達が必要とされるその日まで安全な場所に厳重に隔離されて一生を終える……外の世界を見ることも無く……」
「うん……」ミレイヌも胸にズキンと刺さる、痛いものを感じた。
「でもね、私思ったの。そんな少し外に旅に出るぐらいで一々死んでしまうような事があったとしたら、とてもこれから世界の命運を懸けて生きて行くことなんて出来ないって」
「……」
「それに外の世界を見る事によって得られる色々な事の大きさを考えたら、安全な場所でぬくぬくと生活させておくだけなんてもったいないじゃない」
「……それは……そうだけどさ……」
そこで身重の母親はくすっと少し笑う。
「それに昔から言うでしょ? 可愛い子には旅をさせろって」
その台詞を聞いてエルフの魔導士はちょっと吹きだしてしまった。
「あははは……ホントあんた強くなったね、あの子を産んでから」
「うん……女ってのわね、子供を産むと何も怖い物なんて無くなるのよ。あなたにもお勧めするわ」
そう言いながら今体の中で成長を続ける二人目の子を愛しむように自分のお腹を撫でる。
「フフフ、参考にさせていただきマス」
そうおどけた返事をしながらもミレイヌは自分の親友の母としての強さに感心していた。
この今の状況で自分の娘を旅に出す……例えそれがどんなに安全な場所への旅だとしても、親にとっては本当は身を切られるほどの思いだろう。
それを何のためらいもなく娘に許しを出してしまうこのフーガと言うひとは、すごく強い女性なのだなと、心底ミレイヌは思っていた。
……私がもし母親になったら……今のフーガの様にその子の自由にさせてあげられるのかな……
フーガが深刻な表情を浮かべる。
「……それにあの子達が“本気”を出したら誰も敵う者なんていなくなるわ……」
「……」
「本気を出したあの子達と対等に戦えるのは、あのエンドベルだけ……その為にあの子達は生まれてきたんだから……それにこの子だって……」
寂しげな表情に顔を変えながら再び自分のお腹を愛しそうに撫でた。
「……火を操る破壊神と、水を司る精霊姫……本来相反する筈の二人がこんな形で出会う事になるなんて……これは青流の御導きなのかな……」
フーガが水の精霊神の名を口にする。
「よいしょっと」
自分の大きいお腹を支えながら、フーガが再び席から立ち上がった。
「さ〜てと、あの子達にお弁当作ってあげなきゃネ」
そう言いながら再び厨房施設に向かおうとした身重の魔法使いに親友が慌てて声を掛ける。
「ちょっと、ちょっと大丈夫!? あんまり動くとお腹の子に障るよ? 私が代わりに作ろうか?」
ミレイヌの気遣いの台詞に首をふるふると振りながらフーガが答える。
「う、うん、私あの子の母親だもん。ちゃんと私が作ってあげなきゃ意味がないでショ?」
魔導教会のある「龍の世界樹」はこの列島の丁度中心ぐらいに聳え立っている。
そしてこの列島の西大海側にはこの列島と中央大陸を治める龍樹帝国の全ての行政を司る「帝国府」がある。
ちなみに龍樹帝国の龍樹の名も、この龍の世界樹から取られていると言う事が御分かりかと思います。
さて、この帝国の二大主用機関は、その重要性を考え一つの交通路で結ばれている。
それは長大な二枚の鉄の板とそれを支えるように垂直に重なるよう並べられた幾本もの太い木の棒だ。
そう、それは「線路」と呼ばれる物だ。
魔導教会と帝国府を結ぶこの数百キロにも及ぶ直線上には、長大な軌道が二組程並べられていた。
背中にリュックを背負った三人の子供達はトコトコと、この複線の線路の上を歩いていた。
良く見るとふたりの女の子は中が良さそうに手を繋いでいる。
「ウォルテ、ここを線路ぞいにまっすぐあるいていけば海にいけるんだよ」
リュウガがウォルテに嬉しそうに振り向く。頭のポニーテイルも嬉しそうに揺れている。
「うん」
「とりあえずいっしょうけんめいあるいていけば、一週間ぐらいでつけるヨ。きょうからは外で寝なきゃいけないから、そのときはいっしょに寝ようネ」
「う、うん」
本当に嬉しそうなリュウガの台詞に、ウォルテが顔をちょっと赤くしながら答える。
つい先程、あれだけ不思議な出会いをしたというのに、この二人の女の子は、もう何年も前からの幼友達の様に写る。
リュウガの恐ろしいほどの人見知りをしない性格の所為もあるのだが、ウォルテにしても今はもう同じように心の障壁は取り払われているようだ。
そのふたりの隣を無口な少年が同じように歩いている。
これぐらいの年の子だと例え相手が異性だとしても「友達を取られた」と思ってウォルテに少なからずジェラシーを感じてしまうものだが、今のレイにはそう言う風な雰囲気は全然見られない。
かといって、成り行きではあるが図らずも「両手に花」と成った今の自分の立場を喜んでいると言う訳でもない。
本当に無口で無表情な少年である。
そんな不思議のいっぱい詰まった三人組の前に、その「行く手を阻む物」が現れた。
それに最初に気が付いたのはやはりレイだった。
そしてリュウガもレイの雰囲気がちょっと変わったのに気が付いた。
レイは言葉で相手に自分の意志を伝えると言う事を殆どしないのだが、その異常なまでに無口な少年の友達をやっているリュウガと言う少女は、少年が何を思い何を伝えたいのかと言う事が何となく解かる様なのだった。
レイが遠くを見つめる。リュウガも少年の瞳が見つめる方向に目線を向けた。
「?」
複線の線路の遠い向うに黒い点の様なものが現れた。
遠くで聞こえる大きな音と共に近付いてくる“それ”は「棒の様な物」を上に乗っけて運んでいるのが見えた。
「なにか列車がくるね……あれ? でもどうして線路と線路のあいだを走ってるのかなぁ?」
リュウガは少し考え込んでしまった。ちなみに迫り来る不思議な物の正体を今考え込んでいるのはこのホビットの少女だけであり、第一発見者であるレイは「我、意に関せず」といったいつもの雰囲気であり、ウォルテにしても「列車なんて見た事ない」と言った風にキョトンとしてる。
三人三容の反応を示す子供達に向かって、その「棒の様な物」を運ぶ輸送列車は、確かに線路と線路の間を走って子供達に近付いて来ている。
龍樹帝国の重要拠点である「魔導教会」を自分の家として育ち、母に連れられ幾度か帝国府に行った事も有るこのホビットの少女は、生まれてから今の今までかなり沢山の重兵器を目にして来ていた。
そのリュウガの記憶の中にも「二対の線路を跨いで走る車両」なんて物は一つしかなかった。
「あれ、ドーラ砲だよ」
リュウガはそう答えを言いながら他のふたりを線路脇に避難するよう誘う。
砲とはつまり線路上を移動する自走砲「列車砲」の事だ。
だが、複線、つまり四本のレールを使って移動する列車砲なんて物があるのだろうか?
有る。
そしてこんな怪物を作ってしまうのは中央大陸の西端に居を構える「ワーマイル公国」だ。この国を収める公王閣下は相当な「巨大兵器」好きで有名である。
龍樹帝国の地方都市国家であるこの公国で開発建造されたこの重列車砲は、その口径が八〇センチにも及ぶ巨大な自走レールカノンだ。
その長大な砲身は三十六メートルにも及ぶ。
遠くから見て「棒の様な物」に見えたものの正体はこの巨大電磁軌道砲だった。
龍樹帝国帝国府近海沿岸部にいつもは配備されている筈のこのドーラの巨体を、魔導教会総本山に運ぶべく、二台の蒸気機関車が濛々たる黒煙を上げつつ大型の駆動輪を回していた。
実は引かれる列車砲も怪物なら、それを引っ張るこの機関車も相当な怪物なのである。
名を「ビッグボーイ」と言う。二台の蒸気機関車を前後で繋ぎ合わせたようなその全長は40.7mにも及ぶ。その長大な巨体の腹に抱える蒸気機関は6100馬力ものパワーを吐き出し、それによって動く主動輪は左右合わせて十六枚もある。
これはまだ人間達がこの世界の全てを支配していた太古の昔に作られた物で、その昔ワサッチと呼ばれていた100q以上にも及ぶ長大な峠を越えるべく作られた「スペシャルマシーン」なのである。
11‰程の勾配が延々と続くこの峠は当時世界でも有数の難所とされていた。
その構造上坂道発進等と言う芸当が出来ない蒸気機関車は、峠と言うものを常に一定のスピードを保ちながら走り抜けなければならない。
これが単機運転で済む輸送量の少ない地域ならば特に問題はないのだが、このワサッチでは常に三〇〇台以上もの貨物車を引っ張る大規模輸送が行われていた。
これだけの大規模輸送をまかなうには蒸気機関車も重連、三重連と数を増やさねばこの長大な輸送列車を引っ張る事は出来ず、更に峠越えも加わるとなると蒸気機関車を動かす機関士には「重連による協調運転」と「峠を越える為の一定以上のパワーの安定」と言う二重の苦労が圧し掛かり、これを可能とする熟練機関士の数も機関車の数だけ増やさなければならない。
そこで「ならばいっその事一両で数台の機関車分のパワーを発揮する重蒸気機関車を開発投入すべし」と言う考えに元付き建造されたのが、このビッグボーイなのだった。
帝国府内に残されていた資料から解析復元されたこの巨人機関車は、帝国府と魔導教会を結ぶこの長大な路線の輸送をまかなうべく投入されている。
何時もならこの複線は普通に往路と復路に使われているのだが、今日は贅沢に二本とも、複線を跨いで移動しなければならないドーラ砲のために使用されていた。
ドーラを運ぶ左右二台の巨人機関車はゆっくりとスピードを落し始めた。
とりあえず通り過ぎるまで先に進むのを待とうと思っていた三人の子供達の前で巨大輸送列車が轟音を立てながら止まった。ウォルテなんか少し驚いてリュウガの腕に抱きついてしまった程の,
凄まじいブレーキ音である。
丁度三人の目の前で運転室の辺りが止まった。煤で顔を汚した機関士が窓から顔を出した。
「おっ、誰かと思ったらフーガの所のリュウガちゃんじゃないか?」
どうやらこのビッグボーイの左舷車を預かる主任機関士は、この垂れた猫耳の親子と顔見知りのようだ。先程まで石炭くべで大わらわだった副機関士も後ろで煤で汚れた顔を拭いながら顔を覗かせる。
「えへへ、コンニチハ!」
リュウガも思わぬ所で自分の知る者に会えた安心を形にするように元気に返事を返す。
「三人で何処へ行くんだい?」
「うん、これからみんなで海にいくの!」
「海!?」
機関士は本当に驚いたと言う風に声をあげた。
「随分と遠い所まで行くんだね?」
「うん、この子をじぶんがいた場所におくって行くところなんだ!」
大型機関車らしく運転室は結構高い位置にあるのでリュウガはさっきから声を張り上げっぱなしである。そのリュウガに抱きついたままのウォルテは恥ずかしそうに「こくん」と機関士に向かって小さくおじぎをしている。レイは……何時ものように無表情のまま見上げているだけであった。
「そうか……うーん、俺も進む方向が逆ならみんなを乗っけてってあげられるんだけども……ごめんねリュウガちゃん」
「う、うん、へーきだよ!」
すまなそうな照れ笑いを浮かべる機関士に向かってホビットの少女がその無邪気な笑顔で答える。
「エヘ、それにみんなと歩いていくほうがたのしいモン!」
「……そうか、そうだね、じゃあ気をつけて行くんだよ!」
「ハーイ!!」
機関士はそう言葉を残すと運転室に再び潜り込んだ。隣りの右舷車の運転士に合図を送る。相棒の副機関士が石炭をくべ始める。
轟音と蒸気を吐き出すと、再び黒煙を天に向かって盛大に吹き上げながら、二台の怪物機関車と怪物列車砲が動き出した。
ビッグボーイの大型テンダーに続きそのドーラの小山のような巨体が三人の子供達の目の前をゆっくりと通り過ぎて行く。
「おっきいねぇーっ」
「……う、うん」
「……」
三者三様の反応でその重輸送列車を見送った。
しばらくすると再び静けさが戻ってきた。ドーラの巨体ももう殆ど見えなくなっている。
ウォルテは静かになり自分に冷静さが戻って来て、初めてその時自分がリュウガの腕に抱きついている事を知った。
「あっ、ごめん……」
「?」
ウォルテが慌ててリュウガから飛び退いた。
彼女が自分の腕に怖くて抱きついてしまっていた事を謝っていると言う事に、リュウガは気が付いた。
「いいって、いいって、わたしだってレイくんの腕にだきついちゃうこと、よくあるモン。ね? レイくん?」
リュウガはそう言いながらレイの手を握った。いつもは無表情なレイも少しリュウガの方に顔を向けた。
「さっ、いそごうウォルテ」
「う、うん……」
リュウガは空いている方の手で再びウォルテの手を取った。
仲良く手を繋いだ三人の子供達が再び歩き出す。
「さぁ、海にむかってゴー!!」
「うん!」
「……」