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第十九話 雪の雫“Alicea in the Looking Glass World


 鏡。

 それは自分を写すもの。


 鏡。

 それは自分の内面を写すもの。


 鏡。

 それは自分の弱さを写すもの。










 あたしは鏡に向かうのが嫌いだ。
 あたしは殆ど化粧なんかした事もない。
 髪型にしたって手入れに時間が掛からない様に、いつもセミロングどまりに切り揃えている。
 それは全て、毎日の鏡に向かう時間を少しでも減らす為だ。
「……」
 あたしは何時もの様に、寝ている時に付いた髪の寝癖を、櫛で忙しなく梳かしていた。
 髪を梳かすたび、自分の頭の上に付いた耳が、小刻みに揺れている。
「……なんであたしはホビットなんかに生まれたんだろう……」
 あたしは鏡に写る、自分がホビットである事をいやが上にも思い知らされる猫の耳を見るのが、嫌だった。





 自分の身長を気にしだしたのは何時のことだろう?
 あたしが生まれた街は今時珍しく、殆どの住民がホビット族と言う街だった。
 小さい頃から常に他の子よりも頭一つ大きかったあたしは、ガキ大将気取りで良く喧嘩もした。誰にも負けなかった。
 でも、自分の身体の事を気にしないで思いっきり振る舞えたのは子供の内だけだった。
 大きくなり思春期を迎えたあたしは、他の誰よりもあたしの方が大きいと言う事を知った。
 ホビットだけが住む街。そこに居る「あたし」という、ホビットとしては余りにも背の高い女。
 街を歩いてみる。
 子供の頃から見てきた変わらない風景。変わらない皆。
 だが、その変わらない筈の街のひと達の表情に、少しばかり奇異の眼差しが入ってる気がしていた。
 人間達に比べればあたし達ディフュームは全体的に性格が大らかに出来てるから、少しばかり背の大きい者が居てもそれ程気にする事も無いと思うけど、あたしの生まれた街は殆どがホビットの者だから、普段は見せない感情が少し過敏になっていたのかも知れない。
 平均身長が男女とも一六〇センチ程であるホビットの者からすれば、あたしの一七〇と言う身長を見れば、少し身構えてしまうのも確かだ。
 それにあたしは女だ。
 男としては女に見下ろされると言うのは、あまり気持ちの良いものではないだろうし。
 それでも街のみんなは、努めてあたしには普通に振る舞っていてくれたと思う。
 誰もあたしに身長の事を聞いてくる者は居なかったし。
 でも、逆にその優しさが、あたしには辛かった。
 今から考えたら、街の皆からはあたしの身長を馬鹿にするような事を、もっと言ってもらっていた方が良かったんだと思う。
「巨人」とか「ばけもの」とか、みんな心に思った事を素直にあたしにぶつけてくれれば良かったんだと思う。
 そうすればあたしだって「なによ!」ってみんなと言い争いとかして、そしてお互いの事が良く解かるようになって、あたしもこの街の住民の一人として普通に暮らして行けたのかも知れない。
 あたしの性格では皆の優しさが、すごく辛かった。
 まるで親切の押し売りをされているように、あたしは感じてしまっていた。
 それはあたしの身勝手な考えだって事も解かってる。
 でも、あたしはみんなの優しさを、素直に受け入れる事が出来なかった。





 あたしは何時の頃からか、一人で居る事が多くなった。
 近くの森で魔導書を読みふけるのがあたしの日課になった。
 街の本屋や図書館にある本は殆ど読み漁り、今ではこの分厚い魔導書ぐらいしかあたしの欲求を満たしてくれるものは無かった。
 何時ものように、お気に入りの大きな樹の根元に腰掛けて、普通の者ならば一頁も読めないであろう難しい文字の羅列を、何とか自分のものにしようと努力しているあたし。
「……」
 その日もいつもと変わらずあたしは魔導書の読破に熱中していた。
「……?」
 あたしはその時気がついた。何時もの森の雰囲気の変化に。
「静かすぎる……」
 この森に住む動物達の気配が、完全に消えていた。
 何時もは自分の尻の下を這っている虫たちも、一切の姿を消している。
 身動きの取れない植物達も、逃げ出したい衝動にかられている感覚を、肌で感じた。
「何?……この感覚?」
 気が付いたらあたしの前に誰かが立っていた。
 そいつは馬の姿をしていた。
「……?」
 他の馬に比べたら随分と華奢な身体に、あどけない顔。そして全身を覆う柔らかそうな白い毛。
 でもそいつは只の仔馬じゃ無かった。そいつの頭には一本の角が生えていた。
 白い一角獣、ユニコーン。
 全ての息吹が消えた森の中にそいつは現れた。
 頭に角を生やした白い仔馬が、ぽつんとこっちを向いて立っていた。
 確かに凄い霊気を感じる。あんなあどけない目をした奴のどこにこんな強い霊気があるのか解からないほどの、強い霊気をまとっている。
 だけどこれとは別に、こいつの身体からもう一つの強い感情を感じた。
 それは寂しさ。
 それを感じた時、あたしの頭の中から、恐怖と言う感覚が消えていった。
「どうしたの、あんた?」
 これが、この森の全ての住人を震え上がらせている存在に対しての、あたしの第一声だった。
 そいつはあたしの方に下草を踏み分けながら、すたすたと歩いてきた。
 そして目線の高さを合わせるようにあたしの前に座り込んだ。
 あどけない瞳であたしの事をじーっと見つめている。
「あんたってさ、汚れ亡き乙女の前にしか姿を現さないんでしょ? だったらあたしの前に来るのはおかしいじゃないの? あたしの心はもう随分と汚れちゃってるよ?」
 あたしは街のみんなの優しさを素直に受け入れられなかった自分を正直に伝えた。
 でもそいつは、その瞳を、ずっとあたしに向けたままだった。
 そしてその大きな瞳が幾分か眠そうに、瞼を上下に動かしているのが解かった。
「何? 眠いの?……あたしで良かったら、その……ひざぐらい貸してあげようか?」
 他人に向かって優しい言葉を使った事が殆ど無かったあたしは、少し言葉使いに躊躇しながらそう言った。
 そいつはあたしの言葉を聞くと、のそっと身体を動かし、あたしの隣に再び座り込むと、自分の角の生えた頭を膝の上に乗せてきた。
 そして少しもしないうちに、すうすうと気持ち良さそうに寝入ってしまっていた。
「……ま、いっか」
 あたしは一角獣の頭の重みを不思議に嬉しく感じながら、また再び魔導書を読みふける事にした。





 それからというもの、あたしが魔導書を持って森に行くと必ずと言って良い程、そいつもやって来た。
 あたしの読む魔導書を隣から覗き込んだり、あたしが本物の猫みたいな仕草で顔を拭っているとそいつも真似してやってみたりと、幾日かあたしにとっては不思議な日々が続いた。
 そう、それは「誰かと一緒にいる」と言う、とても不思議な日々だった。
 思春期を迎えてから、同じホビットの者とも、こんなに長い日々を過ごした事は無かった。
 やはりどこかでお互いが、あたしの高い身長の事を気にしだしてしまうからだ。
 だから何時でもあたしの方から離れていっていた。
 でもこいつとは随分と長い間一緒に過ごしている。
 何故だろう?
 こいつが喋れないから?
 ホビットとユニコーンと言うあまりにも大きい種族の違いだから?
 その時、あたしの頭の中に声が聞こえて来た。

 ……それは友達だからだよ……

 「!?」
 あたしは驚いてそいつの方に顔を向けた。
 その白く柔らかな毛で覆われたそいつは、何時もと変わらない優しげな眼差しを、あたしに向けているだけに見えた。
 でも確かにこいつはあたしに喋りかけてきた。
 だからあたしも答えた。
「ともだち? あたしとあんたが、ともだち?」
 その相手を突き放すような酷い台詞を聞いてもそいつは、なんにも変わらずあたしに優しい眼差しを向けたままだった。

 ……そうだよ、だってボクはきみと友達になる為にここにやってきたんだもん……

「なんで? どうして!?」

 ……だってきみがとっても寂しそうな顔をしてたから……すっごく友達の欲しそうな顔をしてたから……

「……」

 ……そしてボクも寂しかったから……ボクも友達が欲しかったから……

 あたしはその言葉を聞いて、今まで隙間だらけだった心が満たされたような気がした。
 そして随分と口にしていなかった言葉が、自然とあたしの口を吐いて出た。
「……ありがとう……」
 気がつくとあたしは、そいつの長い首に抱きついていた。

 ……それはボクもおなじだよ……ボクのともだちになってくれて、ありがとう……

 トクン、トクンと小さく聞こえて来る心臓の鼓動が、とても心地よく耳に響いていた。
「ねぇ、あたし達友達なんだったらさ、名前を聞かせてよ。あたしはアリシア、あんたは?」
 でも、そいつはあたしが名乗ったのに黙ったままだった。
 随分とだんまりのままだったので、あたしはそいつの首を離しながら、黙ったままの理由の一番あやしそうなものを、口にする事にした。
「もしかしてあんた、名前が無いの?」
 そいつはそれが正解であるかのように、さっきまで優しさで彩られていた瞳を、悲しみの色に変えた。
「そっか、じゃあお互い名前が無いと呼び合うのも大変だから、あたしが付けてあげるわ」
 あたしは少し考えると、目の前の白い生き物にピッタリな名前を一つ思いついた。
「スノードロップって言うのは、どう?」
 その名前を聞いて、そいつは角の生えた頭をキョトンっと傾げた。
「スノードロップって言うのは花の名前なのよ、雪解けの季節に花を咲かせる小さな白い花の名前」
 あたしはその名前の意味と由来を説明してやった。
「この世界が出来た時、空には青色、大地には茶色って他のみんなにはちゃんと自分の色がついてたのに、なぜか雪には色が無かった。友達の水はいっぱい集まると青い色になれるのに、なんでわたしには色がないんだろうって、悲しんでいたの。その時、その透明な雪の中に咲いていた小さな花が、ぽつんと呟いた。『雪さん、雪さん、ボクの白い色で良かったら、雪さんにあげます。雪さんは冬の間冷たい風からボクのことをずっと守ってくれてます。そして春になると雪さんが溶け出した雪解け水たちがボクに命をくれるんです。だからそのお礼です』って。そうして雪はその小さい花から色をもらって白い雪になったの。そして雪に自分の色を分けてあげたその小さい花は何時しか『スノードロップ“雪の雫”』って言われるようになったってお話。どうかな? あなたに何だかピッタリくるような気がするんだけど』
 そいつはしばらくキョトンとしたままだったが、すぐに瞳を嬉しそうに輝かせると、いきなりあたしの身体に飛び付いて来た。
 どしん!
 これが仔猫とかだったらまだ可愛いけど、こいつは仔馬。
 あたしはそれなりの重量物に押しつぶされてしまった。
「……もう、重いってばぁっ!!」
 あたしの抗議の声も全然届かないのか、嬉しそうにあたしの頬に、自分の顔を摺り寄せてくる。
 まったく、もう、あたしが背の大きさに比例した頑丈な身体だったから良かったものの、これが普通のホビットだったら、今頃ぺしゃんこに潰れてる処よ。
「……まぁ、良いか」
 こいつ……スノードロップの嬉しそうな瞳を見ていたら、何だか文句を言うのも馬鹿らしくなってきたわ。





 それからあたし達は本当に仲の良い友達として、毎日を過ごした。
 ふさふさとした白い毛で覆われた、その背中に乗せてもらった事もあった。
 あたしが作ってきたお弁当を、横からつまみ食いされたこともあったっけ。
 まだ性も身長も気にしないで遊びまわっていたあの子供の日……そんな幸せな日々に戻ってこられたのだと思った。
 本当、あたしは幸せな時間をくれたこいつの嫁にでもなってやろうかと思っていた。
 あたしがもっともっと魔法を勉強すればあたしがユニコーンの姿に……それはちょっと無理だから、こいつをホビットの姿に変える事も出来るぐらいの大魔法使いになってやろうと思った。
 あまり好きに慣れそうもない同族の男と結婚するよりは、この幻獣を夫にした方がよっぽど良いとあたしは思っていた。
 子供っぽい夢かも知れないけど、あたしはその目標に向かって走り始めた。
 だから今まで以上に魔法の勉強もした。
 一語一句間違えず頭に叩き込んだ魔導書も十冊近くになっていた。
 既に中堅以上の魔導士としての実力を身に付けていたらしいけど、誰も試す相手が居なかったその当時は、あたしには解からなかったわ。





「ねぇあんた、もしかして昔アムドゥシアスとかって呼ばれていなかった?」

 ……?……

 何時もと変わらない森の中のある日。
 あたしは今読んでいる魔導学の歴史書の中に書かれていた、魔導教会設立前に起こった大戦「魔道大戦」にまつわる話を思い出していた。
 魔界での戦いに敗れた一人の魔王が、この地上に追放されてきた。
 地上に追いやられた魔王は、魔界の民達の手により、身体と魂を分か断たられていた。
 一応この地上に住む者たちに対する配慮だったのかも知れないけど、そんなものを勝手に捨てられたこっちは、たまったものじゃないわよね。
 魂を抜かれて、只の動く人形と成り果てた魔王だけれど、その身体に残った破壊本能が、無差別な破壊を始めさせた。
 魔王の身体に残っている力は絶大で、何人もの龍機兵乗りや魔導士達が、その破壊を止めるべく起ち上がった。
 幾日も続いた激しい戦いの末、魔王の身体は遂に倒れた。
 数多くの龍機兵が破壊され、幾人もの高位魔導士が死んだ。
 倒れた魔王の身体を完全に破壊する為、身体に残る強大な魔力は、一振りの短剣に封じられることになった。
 そして全ての力が消え抜け殻となった身体は、完全に破壊され処分された。
 この大戦により数多くの強力な神機級の龍機兵が破壊され、そして強力な魔法の数々も失われたって伝えられている。
 そして魔王の力を封じた短剣は、魔導教会設立後、教会を束ねる長が代々守り続けていくことになった。
 これが「魔道大戦」の一部始終。
 あたしはスノードロップに一応簡単に説明してやった。

 ……で、この話とアムドゥシアスって何の関係があるの?……

「この地上に追放された魔王の名がアムドゥシアス……九十九の軍団を従える、偉大にして強き地獄の大公の名よ」
 あたしはそのまま言った。
「そしてこの魔王が地上に現れる時は白い一角獣の姿を取る……そう言う伝承があるの」
 あたしの言葉を聞いてスノードロップは考え込むような仕草を見せた。
 そしてこう呟いた。

 ……う〜ん……なんか、そう呼ばれていたような気もするけど……

「なに!? あんた本当にあのアムドゥシアスだって言うの!?」

 ……よく、思い出せないや……

 冗談半分で言ってみたんだけど、なんだかとんでもないことになってきたわね。
 なに? この小さいユニコーンがあの魔界の魔王の一人だってった言うわけ??
「……まぁ良いわ。今のあんたはスノードロップ。それで良いわね?」
 自分の頭が混乱する前に、とりあえずこの場を治めることにした。

 ……うん、そっちの方が良いや。ありがとうアリシア……

「なによ?お礼なんて言って」

 ……こんなにすてきな名前をくれて……

「いいわよ、べつに」






 数日後、スノードロップが思い出したとか言って、あたしに昔のことをしゃべり始めた。

 ……ぼくは、ぼくの生きていた世界ですごく悪い事をして、この世界に追放されてきたんだ……こっちの世界に送られる時、もう悪い事が出来ないようにって、身体と魂を別々にされてしまった……本当の身体はその時壊れちゃっみたい……だからこの一角獣の身体はぼくに残されたちっぽけな魂が具現化したものなんだよ……

 本当に本当だったのね……この時ばかりはびっくりしたわ。
 しかし本当の身体は壊れちゃったみたいって、あんたの残した体の所為で大変なことになったのよ……って今言ってもしょうがないか。
「スノードロップ、それじゃなんで戦いなんかしたの?」
 あたしは率直に聞いた。
 こいつが、地上に追放されることになった理由を聞いてみたかった。
「あんたは悪い事をしたの? それとも正義のために戦ったの?」

 ……わからない……良く思い出せない……でも、魔界と言う所はこの世界では良いこととされていることが悪いことである時もあるんだよ……

 スノードロップの瞳が、悲しそうな光を帯びた。

 ……たとえば、誰かを愛するとか……大切な親友のために何かをするとか……この世界では当たり前に普通にしていることが、魔界では悪であったりもするんだよ……

「あんた……」
 それだけ聞いたらあたしはもう何も言えなくなってしまった。
 隣りに座っていたスノードロップの顔を引き寄せて、あたしは抱いた。もうそれぐらいしかできなかった。

 ……ねぇアリシア? ……その、ぼくのこと、怖くないの?……

「……確かに普通のものなら、おびえて逃げ出してしまうほどの邪悪な意思を感じるわ……たとえ今のあんたにその意思がなくとも、もって生まれたしまったものは、簡単には消す事はできないわ」
 あたしはより一層強くこいつのことを抱きしめた。
「でもそれがなんだって言うの?」
 白く柔らかい毛に顔を埋めた。
「確かにあんたの身体からは常に霊気が滲み出ているわ、本当に魔界の魔王が常に発しているような強い霊気が」
 確かに悪寒に似た寒気を感じる。でもその力をなんとかねじ伏せようとしている強い意志も同時にあたしは感じていた。
「でも、あんたそのものは、もう、他のひとを傷つけたいとは思っていないんでしょ? そのあんたの気持ちは解かるもの」 
 白く覆われた身体の置くから、命の鼓動が聞こえる。とても魔界の魔王の魂のなれの果てとは思えない、自然な鼓動だ。
「だから、怖くはないわ」
 あたしは身体を離した。そして改めてこいつと正面に向き直った。
「それにあたしたち友達でしょ? 友達が怖いわけないでしょ」
 その言葉を聞いた時、今度はこいつの方から身体を摺り寄せてきた。
 あたしは何も言わず、もう一度抱きしめてやった。
 もうこれ以上は言葉はいらなかった。





 あたしたちはお互いを必要とするかけがえの無い親友になった。
 こいつが昔は魔界の魔王だったなんて、今はもう関係ない。
 今あたしの目の前にいるのは、あどけない目をしたユニコーンなのだから。
 それにしても静かよね、こいつがいると。
「しかし、あんたがいると便利よね。蚊の一匹もよってこないわ」

 ……ぼくの霊気も役に立つことがあるんだね……

 このまま静かに時が流れていってくれれば良い。
 あたしはそう願った。





 でも、その幸せな時間は永遠には続かなかった。





 突如としてあたしの住む街に、人間達が攻め込んできた。
 理由は只一つ。
 あたしの街の殆どの住民であるホビットを「血抜き」の材料として利用する為だ。
「血抜き」の材料とする為にはエルフ、オーガ、ホビットのあたし達三種族の血を等しく配合しなければならないのだと言う。
 そしてあたし達ホビットはディフュームの中でも一番数が少ない。
 考えてみれば殆どの住民がホビットで構成されているあたしの街が狙われるのも時間の問題だったって訳だ。
 ぶつかり合う自警隊の龍機兵と進行軍の龍機兵。
 飛び交う攻撃魔法。
 戦える住民達は皆戦った。
 そしてその中に、あたしも居た。
 あたしも一緒に戦ってた。
 え? 友達も居ないのに何で戦ってんだって? 逃げちゃえば良いって?
 馬鹿言ってんじゃないわよ! 此処はあたしの故郷でもあるのよ! 故郷を守るのは当然のことよ。
 それにこの街に友達と呼べる者が居ないのは結局はあたしの所為なんだから、それは逃げ出す理由にはならないわ。
 そうこうしているうちに、街のあちこちに「魔薬」が振りまかれ始めた。
 でも、何度もそう言う方法でディフュームの街を人間達が襲っているって言う事はもう皆知ってたから、対処方は解かっていた。
 魔法が使える者は風の呪文を使って「魔薬」を吹き飛ばし始めた。
 あたしもそれに加わった。
 初めて風の呪文を唱えた出したあたしの風が、みんなの中で一番強かったような気もしたけど、その時は無我夢中で気がつかなかったわ。
 それでも防ぎきれなかった「魔薬」があたし達の身体に掛かり始めた。
 あたしも随分と身体が痛くなってきて動きが鈍くなってきた。
 それでも戦った。
 ありたっけの魔法を撃ち放ってがむしゃらに戦っていた。
 でもやっぱり途中で身体が動かなくなってきた。
 周りを見るとみんなあたしと同じように地面に座り込みはじめている。
 そして奴等がやって来た。
 人間の兵士達が手に手に長い竿みたいな物をもってあたし達の街に入ってきた。
 そしてそいつ等はみんな背中に大きな樽みたいな物を背負っていた。
 その長い竿と大きな樽は「魔薬」を振り撒く為の装置だって言う事を、あたしは何となく解かった。
 一人の兵士があたしに近付いて来た。
 その手に持った長竿をあたしに向けてきた。
 あたしはその時、もう覚悟を決めていた。
 覚えたての爆焔の呪文を発動させて、こいつらみんな吹き飛ばしてやろうと。
 多分この呪文を使ったら、今のあたしの身体じゃそれに耐え切れなくて死んじゃうと思う。
 でも、このまま待ってるだけじゃ、何だか悔しかった。
 このまま「血抜き」の生贄にされるぐらいなら、こいつら全員道ずれにして死んでやろうと思った。
 人間の兵士達の足音が近付くのを感じながら、あたしは爆焔の呪文を唱え始めた。
「?」
 その時、あたしの目の前を白い閃光が横切った。強い風が頬を薙いだ。
「……あ、まさか……」
 その白い閃光は頭に生えた角から雷光を発して、兵士達を薙ぎ倒し始めた。
 白い閃光があたしの前に止まった。
 そいつは頭に雄々しき角を生やした白い馬の形をしていた。
「……スノードロップ」
 あたしは鈍った身体を何とか動かすと、親友の隣に立ち上がった。
「……あんた、なんでこんな所にいるのよ……早く逃げないとあんたまで人間達に掴まるわよ!」
 スノードロップはあたしの声が全然聞こえないかの様にまた再び駆け出すと、敵の真っ只中に突っ込んでいった。
 あいつはあたしが使うよりも何倍も強力な攻撃呪文をその角から発して、兵士も龍機兵も一緒くたに倒し始めた。
 流石に元魔界の魔王だっただけあって凄い力だわ。
 でも、多勢に無勢と言う言葉通り、スノードロップは敵の反撃に何度も傷ついた。
 でもあいつは、倒されても倒されても立ち上がった。
 どんなに傷ついても敵に向かって行くことを止めなかった。
「スノードロップ!! なんであんたがそんなに傷付つかなきゃいけないのよぉ!! ここはあんたの住む街じゃ無いのよぉ!! 早く逃げてよぉ!! お願いだから早く逃げてよぉ!!!」
 あたしは親友に向かって叫んでいた。
 ここはあいつの故郷じゃない。
 だからあいつが、この街と住民を守る為に傷つく理由なんて無い。
 あたしは親友が傷つく処をもう見たくなかった。
 それでもあいつは戦い続けていた。まるであたしの絶叫を、自分に対する励ましの言葉と間違えているかの様に。





 一刻程して戦いは終わった。
 自警隊の龍機兵は何とか敵機を撃退する事に成功していた。
 魔法が使える者達もありったけの魔力を人間達にぶつけた。
 あたし達の抵抗で戦力の半分以上を失ってしまった進行軍は、作戦の続行は不可能と判断し、退却していった。
 だけどその進行軍を退けたのは、突然現れた白い一角獣の働きが大きかったっていうのは、誰の目にも明らかだった。
 そいつは傷ついた身体を引きずりながら、同じように傷ついた住民の下を一人ずつ周っていた。
 自分の角に秘められた癒しの力を使って、傷ついたみんなの身体を直してやっていた。
 戦いと癒しの力で相当に命を減らしたそいつは、最後にあたしの元にやって来た。
 力尽きたようにそいつはあたしの前に座り込んだ。
「……なんで……なんで、こんな事するのよぉ……」
 あたしは随分前から、涙が止まらなくなっていた。
「ここはあたしの街なのよ……あんたが好き好んで傷つくことなんて無いのよ!!」
 泣き叫ぶあたしの頭に、そいつの言葉が聞こえて来た。

 ……それは君がボクの親友だから……ボクも親友が傷つくのを見たくなかったから……親友と一緒のひと達が傷つくのを見たくなかったから……

 あたしの頬にスノードロップの角の先が触れた。スノードロップは自分に残された最後の力を使ってあたしの傷を治してくれた。

 ……それに、君はボクにこんなにも素敵な名前を付けてくれたのに、まだボクは何にもお礼をしてなかったから……

「……ばかっ……それで自分が怪我したら全然意味無いじゃないのよ……あんた、絶対にこのまま死んだら許さないんだから……絶交してやるんだから……」
 あたしは徐々に冷たくなっていく親友の身体を抱きしめながら叫んでいた。

 ……ごめん……もう、アリシアのお願い……聞けそうもないや……ごめんね……でも、絶交はやだな……ボクとアリシアは……何時までも友達だもん……でも、ごめん……ね……

 スノードロップはそれだけ言うと瞼を閉じた。
 そして白い毛で覆われた身体が、あたしの腕の中で徐々に手足の方から砂になり始めた。
 幾らもしない内に、親友の身体は全て白い砂になってしまった。
「……」

 あたしは今までスノードロップの身体だった白い砂の中に、一つの小さい欠片を見つけた。
 それは親友が頭に生やしていた雄々しき角の先端だった。
 あたしはそれを拾いあげると、両手でぎゅっと握り締めた。
「……ばかっ……絶交なんてする訳ないじゃない……あんたとあたしは何時までだって、親友だよ……」
 あたしは慟哭した。
 周りの事なんかまるで気にしないで泣き叫んだ。
 それが命を掛けてまで、あたしと皆の事を守ってくれた親友に対する、あたしが出来る唯一の恩返しだと思ったから。










 あたしの中には二つのトラウマが残った。
 このホビットとしては高すぎる身長と、自分の為に失った掛け替えの無い親友と言う存在。
 あたしは自分に誓った。
 もう二度と友達なんて作らないって。
 こんな悲しい想いをしなければならないなら、初めから友達なんていらないって。
 そしてあたしはそれまで以上にがむしゃらに魔導書を勉強した。
 それは誰にも負けない位の大魔導士になる為だった。
 親友の嫁になると言う子供っぽい夢はもう叶えられないけれど、あたしには違う目標が出来た。
 それは人間達にもうこれ以上「血抜き」をさせない事。
 そして人間達がどうしても止めないと言うのなら、全ての人間をこの世から消してでもそれを止めさせるという事。
 もう、あんな悲しみは沢山だ。
 悲しみを止められるのなら悪魔にだってなってやる。
 それぐらいの覚悟は既に出来ていた。
 そしてその想いがあたしを何時の間にか、龍魔導士なんて言う世界最高位の魔法使いの一人にしていた。










「ねぇ、あなたがアリシアさんでしょ? ちょっと良いかな?」
 まただ。
 帝国軍訓練学校に入ってから、こうしたあたしを呼ぶ声は、これで何度目だろう?
「……なに?」
 あたしは何時ものように、いかにもめんどくさそうに返事する。
 話し掛けてきた女の子達に一瞥をくれると、ぷいっとそっぽを向くあたし。
 普通だったら此処で気分を害してあたしから離れていくんだけど、この娘達はまだあたしに食いついて来るだけの根性があったみたい。
「あ、あのさ……あなたってすっごく魔法が使えるのよね?」
「そうよ、見れば解かるでしょ?」
 あたしは何時ものように分厚い魔導書を読んでいた。その魔導書に眼を落したまま答える。随分と失礼な奴だなと、自分でも思う。
 それでもその女の子達は、まだ屈してないみたいだ。
「……ねぇ、今度魔法教えてよ、あなたぐらいの凄い魔法使いなら、他のひとに教えるのも簡単でしょ?」
 そう言ってその女の子達は、果敢に挑戦してきた。
 でもそれは、何時も聞かされてるお決まりの台詞だったのよね。
 みんなこの台詞で何とかあたしの気持ちを振り向かせようとするんだけれども、その言葉は何度も聞かされたから、もうあたしには効かないのよ。
「あたしには覚えなくちゃいけない魔法がまだまだあるの。だからあんた達に教えてあげる暇なんてないわ」
 あたしは魔導書から目線も上げずに、そう冷たく言い放った。
「……そう」
 女の子達はぽつんと一言呟くと、あたしの周りから離れていった。
 離れていく間に女の子達は何事か言い争うような仕草を見せた。
 それがあたしの耳にも聞こえて来た。
「……なによあの態度!」
「お高く留まるのもほどがあるじゃない!」
「折角友達になってあげようと思ったのに! ……あんな奴、ずっと一人で居れば良いんだわ!」
 何時も通りの捨て台詞だ。
 そう、これで良いのよ。
 あたしは決めたんだから。
 もう誰も友達なんていらないって。
 もうあんな悲しい別れはたくさんだって。
 あたしは一人で生きていくんだって。
 そう決めたんだから。



 ……そう、決めた筈だったんだけど……



「……はぁ、はぁ……やっと見つけましたぁ……あなたがアリシアさんでショ?」
「?」
 唐突にあたしの前に大きな影が落ちたかと思うと、その影の主はあたしに話し掛けてきた。
「……」
 少し息を荒げているその顔には、頭から猫の耳が生えていた。横にへろんと垂れ下がっている。
 自分の膝に手を付いて息を整えている後ろに眼をやると、長い尻尾がそいつの呼吸に合わせて揺れていた。
 間違い無い、こいつはあたしと同じホビット族の者だ。
 でも、一つだけ間違っている処がある。
 随分と手足が長い。
 あたしも一七〇センチあるからその分手足も長いけど、そいつの手足は更に長かった。
 ……マジ?
 あたしは心の中で呟いた。
 そんな事はありえない。
 あたしよりでかいホビットが居るなんて、そんな馬鹿な話がある筈が……無い……筈だった。
 でも現実にそいつはあたしの前にいた。
「明日グループ分けがあるって知ってますよね? わたしとアリシアさん、同じ班になる事になったんですヨ」
 そいつは嬉しそうにそう言った。
 こいつの言ってるグループとか班とか言うのは、あたし達新入生が四人ずつのグループに分けられて、それからは寝食を共にして訓練に励むと言う事。
 一人で居る事を望んでいるあたしにとってはかなり憂鬱な制度よね。
 あれ? でもまてよ、班分けのメンバーって、明日のグループ分け当日に発表になるんじゃなかったっけ?
「エヘへヘヘ、なんでわたしが明日発表になる筈の班のメンバーを知ってるのか、気になりますよね?」
 ……こいつはあたしの心の中が読めるのか?
「実はわたしが教官の前ですっごく知りたそうな顔をしてたら『特別だぞ』って教えてくれたんですヨ〜」
 そいつはそう言いながら魔導書を持ったままのあたしの腕を掴むと、強引に立ち上がらせた。そしてどこかに向かって駆け出した。
「!?」
 そいつはあたしの腕を掴んだままだから、自動的にあたしまで一緒に引っ張られることになる。
「な、なによ!?」
「わたし達せっかく他のみんなより一日早く友達になる事が出来たんですから、それを記念してお茶でも一緒に飲みましょ」
 ……友達?……え!? ともだち!?
「ちょっと待ってよ!? あたしはまだあんたとは友達になるなんて一言も言ってないわよ!!」
 あたしは何時もの様に拒絶の態度を取った。
 でも、その後の事は不思議と良く憶えている。
「わたしとあなたは、さっき初めて出逢った瞬間からもう友達、う、うん、親友ですよ」
 同じ女のあたしでもちょっとドキッとしてしまう位の眩しい笑顔を振り撒きながら、そいつが口にした台詞を。
「わたしの名前はリュウガムラサメって言います、よろしくお願いしますネ!」
 それがあたしの生涯の悩みの現況「リュウガムラサメ」との初めての出会いだった。










「……はぁ」
 鏡の中に居るホビットの女が、頭に生えた猫の耳を横にへろんと垂れ下がらせながら、ため息を吐いている。
「……ほんと、あいつがあたしの目の前に現れた瞬間に、あたしのトラウマその一は見事にぶっ壊されたのよね」
 だらしなく垂れ下がった耳は、本当にあいつの耳みたいだ。
「……あいつより十センチも背が低いあたしが自分の身長の事で悩んでるなんて……ほんと馬鹿みたいだったわ……あたしの人生ってなんなのよ……」
 自分の肩に手を回してみる。
「なんであいつはあたしより十センチもでかいのに、あたしと同じぐらいしか肩幅がないのよ、なんであたしより胸があるのよ、なんであたしよりウェスト……は、同じぐらいか、なんであたしよりお尻が小さいのよ、なんで魔法使いのあたしよりも剣士のあいつの方が華奢な身体してんのよ」
 鏡の中の女も同じように自分で自分を抱きしめながら文句を言っている。
「あんなにでかいくせにスカートも穿きこなしてるし、ヒールだって履いてるし、髪も長いし」
 そう、鏡の中の女の髪が短いのは、なにも毎日の手入れに時間をかけたくないだけじゃない。女として可愛いく振る舞う自身が無いからだ。
「……それに、なんであたしより……綺麗なのよ……」
 あいつはあたしと同じ様にほとんど化粧もしないのに、すごく綺麗だった。光り輝いていた。
 そしてその綺麗さは、あいつの内面から来るものだって言う事は、あたしにだってすぐ解かった。
 いくら綺麗に化粧で彩ったりしても、幾ら綺麗な衣装で着飾っても、あいつの美しさには敵わない。
 あいつの真っ直ぐな瞳、あいつの真っ直ぐな心、その純粋な気持ちがあいつを綺麗にしているんだから。
「性格ブスのあたしじゃ、敵わないか……」
 そしてあいつの笑顔。
 あいつがあれだけいつも優しい笑顔でいられるのは、それだけあいつが悲しみを背負ってきたから。
 ひとは辛さや悲しさを経験した分だけ、他人に対して優しくできる。
 みんな知らない。
 みんな気付かない。
 あいつがたまに憂いを含んだ瞳をする時を。
 多分、その瞳の意味が解かるのはあたしだけ。
 だってそれは、あいつと同じ位悲しみを背負った者でなければ出来ない瞳だから。
 あたしが鏡を見たくないもう一つの理由。
 それは鏡の中の女の、憂いを宿した悲しい瞳を見たくないから。
 あたしもリュウガと同じくらい悲しい経験をしたんだから、あいつと同じ位優しい笑顔が出来てもいい筈だ。
 でも、あたしには出来ない。
 自分の背の高さから生まれた他人を拒絶するトラウマが、あたしに笑顔を作らせなかった。
 鏡に映る女はいつも一人ぼっちで、いつも悲しげに表情を強張らせたままだ。
 お互い同じ悲しみを乗り越えてきたのに、あたしは背の高さからきたトラウマの所為で優しい笑顔が出来ない。
 そしてそのあたしより背の高いあいつは、本当はあたし以上に身長のトラウマに悩まされていてもおかしくない筈なのに、そんなことを微塵も感じさせない笑顔をいつも振り撒いている。
「……あたしって……駄目な女ね……」
 上着の中に手を入れて、首に掛かった細い鎖を取り出してみる。
 これはあたしがいつも付けてる首飾り。
 その鎖の先端に付いた、白い欠片。
 それはかつての親友が残していった唯一のもの。
「……スノードロップ、ごめんね、あたしはいつまでもこんなで。あたしの性格じゃあいつ位綺麗にはなれないや。こんな嫌な性格の親友でごめんね……」
 手の中でぎゅっと欠片を握る。
「……ねぇスノードロップ……二つ目のトラウマも……壊されかけているのかな……あいつに……」










「……ん……う〜ん、はぁ……よく寝たわ」
 あたしは日差しの眩しさを感じて目を覚ました。
 のどかな平原がずっと先まで見渡せる小高い丘の上。
 そこに生えた大きな木の根元で、あたしは眠っていた。
 本物の猫が顔を洗うみたいに拳でぐしぐしと、眠けがまだ残る目を擦る。
 なんだかこうやって眼を擦るのはかっこ悪いので止めようと何時も思うんだけど、気がつくと猫みたく手を丸めて、顔を拭っているのよね。
 まぁ、あたしらの中にはその猫の血が流れてるんだから、仕方ないんだけどね。
「……ん!?」
 まだ、少し開きが悪かったあたしの瞼は「それ」を見た瞬間に一気に元に戻った。
 あたしの目線の先には白いエプロンとひらひらのフレアスカートが目に入った。
 そしてそれはどう考えてもあたしの腰から下を覆っている。
「な、なに!?」
 あまりの驚きに思わず立ち上がった。
「な、なによこの格好!?」
 あたしは何時の間にか青いエプロンドレスを着せられていた。
「……は!?」
 なにか頭の上に「違和感」を感じた。
 その後頭部の辺りに位置する「違和感」に手を伸ばしてみた。
「……」
 リボンだ。
 かなり大きなリボンを頭に付けられていた。
「……な、なんであたしがこんな少女趣味丸出しの格好させられてんのよぉ!!」
 あまりにも自分の今の格好に恥ずかしくなって叫んでしまった。
 自分の身長を気にしだすようになってから、スカートなんて殆ど穿いたことがなかった。
 あたしが穿くスカートなんて帝国軍の制服ぐらいだ。
 帝国軍の制服は申請すれば男子と同じパンツスーツもくれるらしいけど、それは何だか悔しいので、あたしはあのマイクロスカートでも我慢して穿いていた。
「……た、確かに子供の頃はこんな格好してたけど……一体誰よ!? あたしにこんな恥ずかしい格好させるのは!!」
 そう叫ぶあたしのところに、一つの人影が近付いて来た。
「? ……誰?」
 トットットットットッ
「……」
 あたしは如何にも訝しげな表情で、そいつをまじまじと見た。
 肩紐の無い黒いレオタードスーツに編みタイツ。首には付け襟と蝶ネクタイ、腕にはカフス。
 そして御丁寧にも頭には長い耳、お尻には丸い尻尾を付けている。
 トットットットットッ
「……」
 背中にリュックを背負ったそいつは、頭に付けたうさぎの耳の横から本物の自分の耳を出し、お尻の丸い尻尾の下からは自分の長い尻尾が飛び出している。
 左の胸に「まーち」って書いた丸い名札を付けたそいつは、どっからどうみてもあたしの見知った奴の顔をしていた。
 と言うか、そんなにでかいホビットの女を、他の誰かと見間違いようが無いでしょ。
 耳を澄ますとそいつはなにやら「遅刻しちゃいますぅ〜」とか言いながら、こっちに向かって走って来る。
 トットットットットッ
「……」
 明らかに走り難いはずのハイヒールで軽やかにステップを踏むそいつは、あたしにまったく気がつかないかのように、目の前を通り過ぎようとしていた。
 がしっ
「きゃっ」
 ばたん
 あたしがそいつの長い尻尾を握って強引に止めると、そのでかい身体には似合わないような可愛い悲鳴を出しながら、お約束のように前のめりに倒れた。
 まるで漫画の一コマの様に大の字になってぶっ倒れている長身のバニーガール。
 お尻から生えた長い尻尾が、むなしく揺れている。
「……いたたたた、いきなり尻尾を掴まれるなんて……?」
「リュウガ……あたしをシカトして通り過ぎようなんて、良い度胸ね?」
「あれ? アリシア? まだこんな所にいたんですか?」
 そいつはぶつけて赤くなった鼻を擦りながら、よろよろと立ち上がった。
「と言うか、なんでバニーガールなのよ? 耳と尻尾が二つずつくっ付いてるわよあんた?」
「うん? え、だってこれがこの場面の衣装なんですもの」
 ……なによ、その「場面」って言うのは?
「アリシアこそ、そんな可愛い衣装だったんですネ、結構似合ってますヨ」
「あーっ!! それを言うなぁ!! あたしは着たくてこんな格好してるんじゃなぁい!!!」
 あたしがあまりの恥ずかしさに赤面しちゃっているのに、こいつはあたしの気持ちはまったく意に関せずと言った風に、背中のリュックからなにやらごそごそと取り出した。
 それは懐中時計だった……いや、その直径30cmはありそうな物体を「懐中時計」と呼んでいいのかどうかは、あたしには解からないけど。
 ガシャ!! と派手な開閉音を轟かせて、背の高いバニーガールが時計の蓋を開いた。
「あっもうこんな時間です! 大変! 急がなくちゃ!」
 リュウガはそそくさと巨大な懐中時計を再びリュックに仕舞い込むと、空いた手であたしの腕を掴んできた。
「なに?」
「ほら、アリシアも急いでっ、早くしないと遅刻しちゃいますよぉ!」
「だから何に遅刻するって言うのよ!?」
「あ〜もう、ほんとに遅刻しちゃいますよぉ〜」
「……え、ちょっと!? な、なにすんのよ!?」
 あたしはいきなりリュウガに抱き抱えられてしまった。
「ほら、急ぎますよ! しっかり掴まってて下さいネ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 あたしの事を抱えたまま、背の高いバニーガールが走り出した。
 そしてその行く手の地面には、大きな黒い穴が……
「まさかとは思うけど……あそこに飛び込むんじゃ……」
「はい、そうですヨ」
 ぴょんっと言う擬音を残して、あたしとリュウガの身体が穴の中に消えた。
「うわぁー!! なんでこうなるのよぉーっ!!!」
「エヘへ、わたしアリシアのことお姫様だっこできて、ちょっと嬉しいデス」
「あたしはうれしくなぁーい!!!」
 まるで奈落の底に落ちていくような感覚の中、リュウガの首に思いっきり抱きついている自分が、物凄く格好悪かった。





「……何処よここ?」
 気がつくとあたしはただっ広い床の上にいた。
 格子状に色分けされた変な床。互い違いに白と黒に分けられている。
 そしてその白黒の床は、静かに揺れていた。
 周りを見てみると見渡す限りの大海原。
 海風がエプロンドレスの裾と、頭に付いてるリボンをひらひらと靡かせてる。
 そしてあたしの目線に入ってきた唯一の建造物。
 あれは軍艦の艦橋だ。
 そいつは、この縦の長さが二〇〇メートルはありそうな広い床の、端っこに追いやられるようにして建っていた。
 ただっ広い床、大海原、端っこに付いた艦橋。
 間違い無い。
 ここは空母の飛行甲板の上だ。
「……だからなんであたしはこんな所にいるのよ!?」
 それにあたしは、今自分が立っているこの空母が、なんて言う名前かが解からなかった。
 あたしも結構長いこと海軍士官をやってるから、自軍の空母ぐらい直ぐに見分けが付く筈なんだけど……
「この空母の名前はワスプ。枢機軍が建造した、小型空母ですよ」
 あたしに至極丁寧に説明してくれる、何時もの声。
「……何? 今度は学校用水着?」
 そいつは、今度は龍樹帝国軍訓練学校指定の、飾り気の無い藍色の水着を着ていた。胸には「ちゃしゃ」と刺繍された名札を縫い付けている。
「はい、この場面はこの衣装ですかラ」
 ……だからその「場面」ってなによ「場面」って!?
「?」
 不意に「ワスプ」の船体が振動した。
「?……エレベーター?」
 このワスプを揺らす振動源は、艦首方向に付いた艦載機昇降用エレベーターが動いているからみたいだった。
 そして其処から出て来たものは……
「うぉ、ウォールラス!?」
 その艦首エレベーターから上がってきたのは帝国海軍の海雷級水機兵母艦とかが積んでる「ウォールラス型水機兵」だった。
 水中抵抗の減少を図った流線型の胴体を揺らしながら「ワスプ」の甲板を歩いている。
 ……と言うか、何で枢機国の空母にあたしらの軍の水機兵が積んであるのよ!?
「それはこれから此処でチェスが始まるからですよ」
 ……こいつは本当にあたしの心が読めるのか!?
 そんなあたしの動揺はそっちのけで、リュウガがウォールラスの機体をのんびりと見上げている。 
 でも、チェスって……じゃあこの白黒の飛行甲板はチェス盤だってこと??
 それじゃぁ、こいつの相手もいるはずよね。
 あたしはその答えを求めて後ろを振り返った。
 案の定「ワスプ」の艦尾につけられた後部エレベーターがゴンゴン言いながら、自分の背中に乗っけたウォールラスの相手を、甲板上に押し上げてきた。
 エレベーターの開口部から、何か長い筒状の物が飛び出してきているのが見える。
 あれは、レオポルドの二八センチ砲だわ。
 レオポルドって言うのは帝国陸軍に配備されてる列車砲のこと。四六センチ砲と同じ位砲弾を飛ばせたりして、結構性能良いのよね。みんな知ってるでしょ?
 でもその長砲の下には、いつもの砲座車両は付いてなかった。
 変わりに無限軌道を履いた、随分と肥大した車体が付いていた。
 ブレーキ音がして、エレベーターが止まった。
 完全に飛行甲板に現れた長砲を背負ったそいつは、誰もがその足回りのクロウラを回して前進するもんだと思ったでしょうけど、そんなみんなの期待を見事に裏切ってくれたみたいよ。
 いきなり足回りのクロウラ部分が四方に割れたかと思うと、それは瞬く間に長大な脚部に変形してしまった。
 そいつは展開させたひょろ長い四本足を動かして、さっきのウォールラスの何倍もの地響きを轟かせながら、あたしの前を通り過ぎていった。
「は、ハンプティダンプティ……」
 背中に列車砲レオポルドと同じ長砲身二八センチ砲を背負った帝国陸軍の重機動砲台が、小型空母の飛行甲板をのっしのっしと揺らしまくりながら歩いていた。
 唐突にハンプティダンプティの主砲が火を吹いた。
「!? いきなり発砲ぉ!?」
 撃ち出された砲弾が、狙い済ました様にウォールラスの足元に着弾する。
「いやぁ〜始まりましたね〜チェス」
「は!? これがチェス!? ただの砲撃戦じゃない!?」
 いつもの様にのほほんしているリュウガに、いつもの様にツッコミを入れてるあたし。
 でもいつまでもそんな呑気に構えてはいられないみたい。
 負けじとばかりに撃ち放ったウォールラスの肩口に付いた搭載砲が、あたし達のすぐ目の前に着弾した。
 まぁ大体解かると思うけど、次の瞬間あたしとリュウガは、その強烈な爆風で吹っ飛ばされていた。
「きゃぁ!!」
 不覚にも女の子っぽい悲鳴を上げてしまったあたしのすぐ目の前に海面が近付いていた。
 そしてその海面にぽっかりと空いた見慣れた黒い穴……
「何!? またなの!?」
「はいっ、そのとーりデス!」
 リュウガは嬉しそうに言いながら、あたしをその黒い穴に誘うように手を握ってきた。
 そしてさっきと同じように奈落の底に落ちていくあたし達。
「なんでこうなるのよぉーっ!!!」





「今度は何処よ……?」
 次に目を覚ました時はあたり一面が砂で敷き詰められた、巨大な砂漠だった。
「……何、あれは?」
 遠くに蜃気楼の様にぼやけて何かが見える。
 それは十二本の巨大な柱。
 その幾つもの柱は、自分達で何かを描くかのように、その規則に合わせて宙に浮かんでいた。
「何?……巨大な魔方陣?……まさか、ゾディアック!?」
 あたしはその時気が付いた。
 あたしを上から覆う空が、一面の曇天だってことに。
 晴れて、しかも高い気温でなければ蜃気楼なんて発生しない。
 でも遠くに見える柱の場所は確かに揺らいで見える。
 その理由は只一つ。
 そこだけ空間が歪んでいるってことだ。
「じゃあ此処が封印の地なの……それじゃあれが本当に黄道の封印だとするなら……あの封印の中にいる奴は」
「破壊神エンドベル、終わりの鐘を鳴らす者」
「!?」
 いつの間にかそいつはあたしの隣に立っていた。
「……リュウガ?」
 それは確かにリュウガだった。
 でも何かが違う。
 確かに今はさっきまでのノーテンキな格好はしていない。
 全身を落ち着いた雰囲気の白いワンピースで覆っている。
 リュウガが振り向いた。
 それに伴い、ふくらはぎまで届く長い髪が揺れた。
 いつもの、こいつのトレードマークみたいなポニーテイルじゃなかった。
 自分の長い黒髪を下に下ろしていた。
「……あんた、ほんとにリュウガなの?」
 その雰囲気があまりにも何時ものリュウガとは違い過ぎて、あたしは思わず訊いてしまった。
 着てるものや髪型が違うだけじゃない。
 何か大きなものを背負い込んでしまったような、そんな雰囲気をこいつから感じていた。
「はい、わたしですよ。あなたの親友の、リュウガですよ」

 ドキッ……

 まただ。あの言葉だ。
 あたしはもう二度と友達なんかいらないって決めたのに、こいつにこの言葉を口にされると、その自分の気持ちが揺らぐ。
 こいつは火球の魔法一つ自分では使えないくせに、なんでこいつのこの言葉にはそんなに強い魅了の呪文がこもってるんだろう?
「さて、あいつの封印が壊れる前に何とか遅刻しないで間に合ったみたいですね」
 そう呟いたこいつの背中で、何かが爆ぜる音が聞こえた。
「……」
 あたしは言葉を失ってしまった。
 爆ぜる音のした直後、こいつに生えた黒い翼。
 黒い焔で出来た大きな翼。
 綺麗だった。
 もし「天使」なんて奴が本当にいるのだったら、今目の前にいる羽を生やしたこいつが多分そうなのだろうと思った。
「……あんた本当にリュウガなの? ……あんた……天使!?」
 だからあたしは思わず、そう口にしてしまった。
 そいつはあたしの言葉を聞くと、すこし悲しそうな顔で答えた。
「……そうですね……天使には間違い無いですね……でも……」
 そう呟きながら自分の羽を撫でた。と言うかその焔で出来た羽、熱くないの??
「この闇の色に染まった翼……わたしは堕天使です……」
 背に生えた焔の翼から羽が抜け落ちて、下に燃え砕けていった。
「この龍の焔の翼に秘められた力は何者をも焼き尽くします……例えそれが破壊神であっても……」
 そう言ってそいつは精一杯の笑顔を浮かべた。泣き笑いのような複雑な顔だった。
「もう……行きますね」
「……行くって何処へよ」
「わたしは悪魔の力……龍の焔を得る為にこの地上に堕ちてきたから……だからその役目を果たさなきゃ……」
 そういってあたしに背を向けた。
 背を見せた時、こいつの長い黒髪が再び揺れた。
「……!」
 下に下ろされたあいつの髪を見た時、あたしの左腕に強い痛みが走った。
 以前、毒を塗られたダガーで斬り付けられた場所が、疼く。
 もう既に傷跡も完全に消えていた筈だが、あたしの身体が何かを教えようとしているように、痛んだ。
「……そうか」
 あたしは、以前、自分の傷口に巻かれていたものを思い出した。
 あいつが何時も髪を結うのに使っていた、青く透き通ったリボン。
 今のあいつにはそれが無かった。
 そして自分の頭の上に感じた違和感。
 あたしは自分の頭に勝手に付けられていたリボンを解いてみた。
「これ……あいつのリボンじゃない!」
 あたしの手の上には、あいつが何時もしている筈の青いリボンがあった。
 薄青の半透明をしたリボン。
 そのリボンは、まるであいつがあたしに形見を残していったように思えた。
 自分が生きて帰って来れないのが解かっているかのように。
「……!」
 その時、こいつの白い衣に身を包んだ姿が、そしてその行動が、あたしのことを守って死んだ親友の姿に重なって見えた。
 ……スノードロップ!?……
「じゃあ、行きますね……」
 そいつは羽を広げて黄道の封印に向かって羽ばたこうとした。
「?」
 気が付いたら、飛んでいこうとするそいつの腕を思いっきり掴んでいた。
「……また置いていくの……あたしを……」
「……アリシア……」
「あんたはあたしの親友なんでしょ? ……親友だったらあたしの事を、二度も一人ぼっちにしないでよ……」
 あたしは泣いていた。
 何時から泣いてたかは解からないけど、気が付いたら私の頬を涙が伝っていた。
 そいつはあたしの泣き顔をみたら、微笑みながらこう言った。
「だいじょうぶ、わたしはちゃんと帰ってきます。だから、心配しないで」
「……」
 その台詞を聞いた時、心の奥に溜め込んでいた何かが弾けた。
「……ふざけないでよ……ふざけないでよぉ!!!」
「……アリシア?」
「あたしはもう、自分の前で大切な親友が死んでいく所を見たくないのよぉ!!!」
「アリシア……」
「……行くんならあたしも連れて行きなさいよ……あんたも……スノードロップも、一人でなんでも背負い込んで……あんたがあたしの事を親友だと思うんだったら、この親友のあたしも一緒に連れて行きなさいよぉ!!! あんたと一緒なら地獄の果てまで、何処までも一緒に戦い続けてあげるわ!!!」
 あたしは泣き叫んでいた。
 格好悪いと思ったけど、涙が止まらなかった。
「……?」
 気が付いたらあたしはリュウガに抱き抱えられていた。
「うん、解かりました……でも、わたしと一緒だとかなり大変な目に合いますよ」
「そんなの、もうとっくに覚悟できてるわよ」
 リュウガはあたしの事を抱えたまま、空に舞い上がった。
「それに、あんたと出会ってからは、あたしは大変のしっぱなしだったわよ。これはそれの延長よ」
 涙を拳で拭いながら、精一杯の嫌味を言った。それはあたしがこいつの優しさに負けたのが、ちょっと悔しかったから。
「もぅ、アリシアってばいじわるなんですからぁ〜」
「そうよ、あたしはいじわるな女よ。こんな奴の親友になって後悔した?」
「うん?全然」
 あたしは手に持っていたリボンを出した。
「ほら、これはあんたのでしょ。返すわよ」
「あ、ちゃんと持っててくれたんですね」
「あたりまえじゃない」
 あたしは腕を伸ばすと、こいつの長い髪を、こいつのリボンで再びポニーテイルに纏めた。
「やっぱりその方が似合うわ」
「エヘ、ありがとうアリシア」
 あたしを抱えたまま飛ぶリュウガが、速力を上げた。
 目の前に黄道の封印が近付いて来た。そしてその中に眠る「破壊神」にも。
「行きますよ、アリシア」
「望むところよ!」










「……夢?」
 どうやらあたしは、テーブルに突っ伏したまま寝入ってしまっていたようだった。
「夢か……そりゃそうか」
 自室の窓から外を覗くと、まだ辺りの海面には朝靄が少し残っていた。
 でも日差しは強く、昼頃にはかなり暑くなりそうな感じだ。
 あたしはテーブルの奥に置いてあった鏡を自分の方に持ってきた。
「……特にクマとかは出来てないみたいね」
 あんまり鏡は見ないあたしだけど、それ位の身だしなみは整えるわよ。クマが出来てたらちゃんとファンデーションで隠すしね。
 あたしは帝国軍の制服を着たままだった。少しうたた寝でもしようかと思ったら、そのまま朝になってしまったと言うパターンだ。
 視線を落すといつも穿いてるマイクロスカートが目に入る。
 あたしが持ってるスカートなんて本当これ位だ。
「……そう言えば夢の中のあたしは随分と可愛いスカート穿いてたな……」
 鏡の隣に置いてあった卓上カレンダーに目を写す。
 今日を現す日付は赤く印刷されていた。
 あたしが今のところ副艦長をやっている、この「重機導要塞航空母艦 信濃」は、三日後に南大海の孤島に設置された中間基地に進出する事になっている。
「今日は出撃前の最後の休みか」
 あたしは夢の中の事が気になっていた。
 焔の翼を生やしたあいつ。
 自分は破壊神と戦う者だと言ったあいつ。
 あたしも立場的に、リュウガの素性についてはある程度知らされていた。
 あいつが、龍焔の力と言う破壊神と対等に戦えるであろう力を操れる、数少ない者の一人であること。
 ラグナレクを奪われた戦いで、子供の頃の記憶を無くしていること。
 あいつの剣士としての驚異的な強さは敵を倒す為では無く、己自身を守る為であること。
 龍樹帝国が創ったもう一つの破壊神、黒き龍焔は、あいつにしか動かせないということ。
 そして黒き龍焔を動かした時、あいつには命の保証が無いということも。
「……」
 あたしは鏡とカレンダーの奥に置いてあった、木製の小さな箱を取り出した。
 これはあたしがいつも大事なものを入れるのに使っているものだ。
 蓋をあける。
 中には青く透き通った綺麗な布が入っていた。
「……これってば、どう見ても水の衣よね?」
 あたしはリュウガからもらったままになっていたあいつのリボンが、どうにも気になってしょうがなかった。
 水の衣というのは、水の上級精霊が自らが認めた者に与えると言われている神具。
 見た目は半透明な薄い布なんだけど、すごく小さな水の結晶体で作られた鎖が、布状に何本も編み込まれたものが、その正体。
 結晶特有のごつごつとした肌触りはまったく無くて、水で出来ていると言うことを知らなければ、透明感のある少々肌に馴染みの悪い布ぐらいにしか思えない。
 ちなみに多少切れたり破れたりしても、水につけておけば自然に直っちゃうそうよ。
 これを持っている者は、常に水の精霊神の加護があるとか、願い事が一つ叶うとか言われているみたいだけど、所詮は伝説上の存在でしかないから、本当の処はだれも知らない。
「やっぱり、本物なのかしら?」
 そう、このリュウガが持っていたリボンは、確かに魔導学の文献で説明されていた水の衣とまったく同じもものだ。
 なんであいつはこれをもっていたんだろう? 魔法使いでもないあいつがなんでこんな希少な神具をもっているんだろう?
 う、うん、一番重要なことはそんなことじゃない。
 このリボンはあたしとあいつが始めてあった時からずっとしていた。つまり相当大事にしていたってことだ。
 じゃあなんでそんな大事なものをあたしなんかに簡単にくれてやるわけ?
 いくらあたしが怪我していたって、こんな大事なものを簡単にあげられるの?
 あいつはそこまで呑気な娘なのか?
 あたしは今日見た夢のせいで、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
「……」
 しかもそれは、全部あいつの所為だ。
「……ひとっ風呂浴びてから、行動をおこすか」
 あたしは着替えを用意すると、まずは艦内浴場に向かう事にした。
 とりあえず休みのうちに、この胸のつかえと取っておきたかった。
「しかしあたしもこんな事やろうなんて、随分と変わったわね……やっぱりあいつの所為かな」





「リュウガいる?」
 身体を綺麗にした後、艦内をあるいてもまあ問題無いぐらいのラフな格好に着替えたあたしは、信濃の食堂に顔を出した。
「は〜い?」
 あたしの探していた相手は、食べ終わった食器の載ったトレイを厨房に片付けている所だった。
 まだ眠そうだ。こいつは非常に低血圧なので、起きたばかりは半分眠ったまま、ふらふらと行動している。
 それでもこの三十万トン近くある軍艦を普通に操艦しちゃうんだから、大した娘よね。
「あんた、今日ヒマ?」
「え? あ、はい、そうですね〜今のところ予定は無いですね〜」
「じゃあ、ちょっとあたしに付き合ってくれない?」
「はい?」
「あたし今日、スカート買いに行こうと思ってるんだけど、そういうの買ったことがないから、あんたに決めてもらおうかと思って」
「え!? ……それってもしかしてデートのお誘いですか?」
「そ、そんな言い方しないでよ……女同士でデートもないでしょ……で、来るの? 来ないの?」
「もちろん行きますよぉ〜アリシアにデートに誘われていやいやする子なんて居ないですよ〜」
「だからそんな言い方しないでよっ、ホント恥ずかしい……」
 そいつは、嬉しそうに答えると、準備の為にそそくさと自分の部屋に戻っていった。
 あたしも朝食を注文すると、少し急ぎ気味に食べ始めた。腹が減っては戦は出来ぬ。朝ごはんは大事よ。
 食堂の窓から外を覗いてみた。
 もうかなり明るくなっている。艦内も相当暖かくなってきているみたいね。
 あれ? そう言えばあいつ、朝からこんなに暖かいのに随分と厚着してたな……まあ、あいつは寒がりだしね。





 あたしが試着室からでると案の定そいつは満面の笑みを浮かべて待っていた。
「あ〜ん、アリシアってばむちゃくちゃ可愛いですぅ〜」
「……そんなに声をあげないでよ……恥ずかしい……」
「だってすっごく可愛いんですものぉ、彼女良く似合ってますよね?」
「ええ、とってもお似合いですよ、お客様は凄くスタイルがよろしいですから、なんでもお似合いにはなると思いますけど」
 だから店員に振るなっての。店員も店員で素直に頷くなっての。
 あたしは試着室を出ると、改めて姿見に自分の姿を写してみた。
 大きな鏡に全体を真新しい衣装に包んだ、ホビットの女が写っている。
 ……あたしはスカートだけ買いに来たんだけどなぁ……
 あたしはいつの間にか身体全体を全てコーディネートされていた。
 あたしが着させられた物は、プルオーバーにサスペンダーで吊ったミニスカート。その上にカジュアルジャケットと言う構成になっていた。
 プルオーバーは黒、あとはチョコレート色と言うか深い茶色に染められている。
 この服はあの店員ではなく殆どすべてをリュウガが選んだものだ。
 初めはこいつのことだから、派手派手のひらひらな奴なんかを着せられるのかと思ったけど、結構良いセンスしてんじゃないの。
 全体的に落ち着いたと言うかシックな感じでまとめてあって、初めて穿く私服のスカートもあんまり恥ずかしって思わないのは、やっぱりこいつのコーディネートのおかげなのかな。
「店員さん、これもらうわ。脱ぐから包んでちょうだい」
「え? アリシア、着て帰らないんですか?」
「なにぃ!? あたしにこんな恥ずかしい格好のまま歩けってか!?」
「え?? だって自分で着る為に買ったんですもんね? じゃあちゃんと着なくちゃ服に可哀想ですよ。せっかく持って帰るための鞄も持ってきたのに〜」
 そう、こいつは随分と不似合いな、中身が何にも入ってない肩掛け鞄を、朝からぶら下げていた。
「それに今日は、折角可愛いく変身したアリシアの引き立て役になろうと思ってパンツルックにしてきたのにぃ〜」
 確かに今日のこいつは、長い足と小さいお尻を強調するようなストレートパンツを穿いていた。その上に身体の線の出るデザインの、暖かそうなセーターを着ている。
 自分の背のでかさを生かした着こなしかと思ってたけど、そう言う理由があったのね。
 用意の良さと自分自身も相手のコーディネートの一つにしているこいつに、その時は素直に感心したんだけど、それも束の間、こいつはあたしにこんなことを言いやがったわ。
「それにそんな事でいやいやするなんて、アリシアらしくないですよ?」

 あ・た・し・ら・し・く・な・い?

 こ、こいつ、付き合い長いだけあって、あたしの性格良く解かってんじゃないの。そんなこと言われたら、引き下がれる訳ないでしょ!
「解かったわよっ、ちゃんと着て帰るわよっ……その代わりとは言ってはなんだけど、もうちょっとあたしに付き合いなさいよ」
「はいっ喜んで」





 海岸沿いのオープンカフェであたしとリュウガはお茶していた。
 遠くに帝国府の大きな外郭が見える。そのすぐ近くの桟橋にあたしらの信濃も繋留されてるんだけども、ここからはちょっと見えないみたいね。
 ……それにしても……
 まじまじと今の状況を確認してみた。
 あたしとこいつ。向かい合ってコーヒーを飲む二人。
 あたしは砂糖を多めにいれたエスプレッソ、相手はカフェオレを飲んでいた。
 こいつは本当は珈琲牛乳が大好物らしいが、普通そんなものはカフェには置いてないので、今はコーヒーと牛乳の半々の奴で我慢と言う訳だ。
 しかし不思議だわ。
 休日に誰かと一緒に買い物して、そのあとこうして一緒にお茶を飲んでいる。
 多分これが普通の女の子の生活なんだろうけど、あたしには何もかも新鮮な経験。
 確かに訓練学校時代はこいつに強引に連れられて色々したけど、あたしから誘うなんて本当に初めてだわ。
 あたしは幸せそうにカフェオレを飲んでるこいつをまじまじと見つめた。
 そう言えばこいつが、男だったらこれは本当にデートになるのよね。
 ……男?
 こいつが男だったら??
 そうよね、こんだけタッパもあるんだし、いつものポニーテイルを取っ払っちゃえば……
 あたしは想像してみた。
 もやもやぁ〜っとあたしの頭の中に「リュウガ男性Ver」の想像図が浮かんでくる。
 う〜ん?
 まぁ元から背も高いし、顔もイケてるし……結構良い感じになるんじゃないの?
『……アリシア……』
 想像図の中のリュウガが喋りかけてきた。
「なによ?」
『オレ……前からお前の事……』
「はい?」
『前から……好きだったんだ……』
「なにぃ!?」
 いきなり告白なの!?
 ……まぁ、あたしより背も高いし、顔も良いし、性格も良いし……って?
 一人で盛り上がって一人でうろたえているあたしの目線に、さっきから変わらずにお茶を飲んでいるこいつが入ってきた。
 こいつは今度は一緒に頼んだ、キャラメルソースのたっぷりとかかったコーヒームースを、美味しそうに食べている。
「……」
 その、あたしよりよっぽど可愛い女の子らしい仕草を見たら、一気に現実に戻された。
 ……なに考えてんのよ、あたしは……
 あたしは心の中で、ぽかぽかと自分の頭を殴った。
 ホントこいつと一緒にいると調子狂うわ……
「……はぁ」
「?」
 自分の想像で辟易したあたしが思わず吐いたため息に反応するように、ムースの最後の一口をほうばりながら、こいつが顔を上げてきた。
「くすっ、わたしが男の子だったらちゃんとしたデートになるんですけどネ」
 ……こいつは、本当にあたしの心が読めるのか!?
 当の本人は、あたしを慌てさせているなんてまったく気が付かない様に、空になった皿を片付けながら再びカップに口を付けている。
 しかし、なんでこいつと一緒に休日を過ごそうなんて、思ったんだろう?
 なんで急にこんなことしようと思ったのだろう?
 ただ、こいつに聞きたいことがあっただけだって言うのに。
 買い物に行くっていうのは、こいつを連れ出して二人っきりで話したかっただけだったんだけど、結局こんなとこまで来ちゃった。
「リュウガ、あたしが前に毒を受けて怪我した時の話なんだけど」
 あたしは本題に入る事にした。
「あの時、あんたがあたしの腕にまいてくれたリボン……」
「あ、そうだ、アリシア大丈夫でした? 化膿とかしませんでした?」
 随分と単刀直入な話の出だしだったけど、こいつはちゃんと話をあわせてきた。
「あのリボンは全然汚れたりとかしないんですよ、だから傷口にまくのに一番だと思って」
「大丈夫よ、もう怪我の跡もないわ」
「良かったです」
 それを聞いてこいつは心底嬉しそうに、微笑んでいる。
「……あの、リボンなんだけどさ」
「はい?」
「溶けてなくなっちゃったわよ」
 あたしはわざと嘘をついた。いくら水の精霊の神具だからって、溶けて無くなったなんて、随分と間抜けな嘘だわね。
 でも、あたしの言葉でこいつが怒るか悲しむか、それが見てみたかった。
「でも、アリシアの傷を治すのに役にたったんですもんね、良かったです」
 あたしの予想は全部外れた。
 あたしの言葉を聞いても、こいつは微笑んだままだった。それもさっきよりもより一層嬉しそうに。
「あんた、怒ったりしないの?」
「どうしてですか?」
 普通の者の反応を促がす言葉を聞いても、こいつはキョトンとしたままだ。
「あのリボン、あんたにとってはすごく大事なものだったんじゃないの? そんな大事なものをあたしなんかにあげちゃって良いの?」
「……確かに大事なものですよね」
 あたしの言葉に、こいつは落ち着いたまま答える。
「あのリボンはわたしが子供の頃からもっていたものだって聞かされていました。ずっと昔に幼友達だった子がくれたものなんだと。記憶をなくした子供の頃の思い出の品ですよね。もしかしたら無くした筈の記憶をつないでくれるものなのかもしれない」
「じゃぁ、なんでそんな大事なものを!!」
 あたしは思わず声を荒げてしまった。なんでそんな大事なものをあたしなんかに!?
「わたしの目の前でわたしの大切なひとが苦しんでいるんですよ。そしてそのひとを助ける為にはその思い出の品が一番だったら、いくら大切なものでも使わなきゃ」
 なんでそんなことが簡単にできるの。
「それにそのリボンをくれた子も、多分こう言ってくれたと思います『わたしのあげたものが役に立って良かった』って」
 なんであんたはそんなことが簡単に出来るのよ!?
「幼友達がくれたものはなくなってしまっても、思いではなくなりませんから」
「なんであんたそこまでできるのよ!! あたしなんかに!!」
 その言葉を聞いて、微笑みのままリュウガが言う。
「それはあなたとわたしが、親友だからですよ」

 ……どくんっ!……

 まただ、またあの言葉だ。
 その言葉聞いて、あたしの心臓が大きく鼓動した。
「……あ、あたしは、あんたのことなんか……」
 あたしはその言葉を聞いた時正直取り乱していた。
 その時のリュウガの変化に気がつかなければ、素直にうなずいていたのかも知れない。
 頬の辺りが赤く、少し瞳が潤んでいた。
 あんなことを言ったもんだから、自分で照れてしまったのか? いや、こいつの性格を考えれば、それは違う。
 息も少し乱れていた。
 肌が赤くなりこんなにも息が乱れているのは、身体に相当無理をさせているっていうことだ。
「ちょっと待ってリュウガ、あんた顔が赤いわよ?」
「うん?……それは、今のアリシアが凄く可愛いから……照れてるんですよ……」
「もう、馬鹿なこといってんじゃないの!」
 あたしはそう言って、こいつのおでこに手を伸ばした。
 熱い。それも尋常じゃないぐらい熱い。
「馬鹿っ、なんであんた、こんなになるまでほっといたのよ!」
 そう、顔が赤かったのは熱があるから。
 目が潤んでいるのは、その高い熱で潤んでいたから。
「だってアリシアが買い物に誘ってくれたんだもん……熱があるから断るなんて、わたしには出来ないですよ……」
 ……あたしは何で気が付かなかったんだ……リュウガが朝、今日はこんなにも温かいのにあれだけ厚着していたってこと……それはもうその時、既に結構熱があったってことじゃない!
「帰るわよリュウガ」
 あたしはそいつの手を取ると強引に立ち上がらせた。
「……でも」
「でも、じゃない! 言うこと聞きなさい!」
「……はい」
 そう口にしたこいつは、ふらっと姿勢を崩した。
 そしてあたしに向かって倒れこんできた。
「リュウガ? 大丈夫?」
「……うん……だいじょうぶ……」
 全然大丈夫じゃない。抱きとめたこいつの身体も、寒さで小刻みに震えている。
「勘定すませてくるから、ちょっと待ってなさい」
「……うん」
 あたしはこいつをもう一度座らせると、カウンターに急いだ。





「……ごめんね、アリシア……わたし、重いでしょ?……」
「なに言ってんのよ、あたしも黒龍師団の者なのよ、魔法使いのあたしでも一〇〇kgぐらいまではかるいわよ」
「……わたし一〇〇キロもないですよぉ〜」
「でもその近くまではあるでしょ」
「……う〜……アリシアのいじわるぅ〜……」
 そう文句を言うこいつは、今はあたしの背中で揺れている。
 まぁ、こいつも歩いて帰れないこともなかったけど、どう言う風の吹き回しか、あたしはこいつのことを背中に乗っけてみたかった。なんでだろ?
 でもちょっと恥ずかしい。
「アリシアごめんね、こんなことして恥ずかしいでしょ?」
 ……こいつは本当に、あたしの心が読めるのだろうか!?
「……確かに恥ずかしいわよ、でも、恥ずかしいのはあんたも同じでしょ?」
「うん……でもアリシアがわたしのことおんぶしてくれてるんだもん……それぐらい恥ずかしいのも我慢できます……それに……」
「それに?」
「わたし、誰かにおんぶしてもらったなんて、これが初めてなんです……わたしの大きな身長じゃ、本当アリシアぐらい背のあるひとじゃないと、わたしのこと背負えないから……」
 へぇ、あたしの高い背丈もたまには役に立つことがあるのね。
「……だからわたし、恥ずかしいのも我慢できます……ありがとうアリシア、やっぱり持つべきものは親友ですね……」

 ……どきっ……

 またあたしの胸に突き刺さる「親友」と言う言葉。
「あ、あたしは、その、今は信濃の副長だから、その、あたしの所為で艦長の体調を崩させちゃった、責任をとってるだけなんだから……」
 あたしは思わず、職務に忠実である自分と言うものを、表に出した。
 そうでもなければ、今の自分自身を保てそうもなかったから。
「……アリシア……」
 こいつが頬を摺り寄せてきた。多分ありがとうって意味なんだろう。
 ちなみにこいつは耳が横に垂れているので、顔を近づけるとそれがあたしの耳に当たってちょっとくすぐったい。
「……エヘへ、やっぱりアリシアは優しいですね……」
 優しい!? あたしが優しい!?
 初めてそんなこと言われたわ。
 みんな「嫌な女」としか言わなかったし、自分自身もそう思ってたし……あたしのことを優しい奴だなんて言うのが、まさかいるなんてね……。
 あたしは、ここまであたしのことを良く言う奴に訊いてみたくなった。
「……リュウガ、なんであんたはあたしみたいな性格の悪い奴の友達なんかやってるのよ?」
「……?」
 こいつはあたしの質問を聞いて、瞑りかけていた瞼を開けると口を開いた。



「……それはアリシアが、とっても寂しそうな顔をしてたから……すっごく友達の欲しそうな顔をしてたから……」



「!?」
 それは、あたしのかつての親友……そう、スノードロップがあたしに言った言葉と同じだった。
「初めてあったあの日、教官に教えてもらって明日から仲間になるあなたを探した日……あの日見つけたあなたは、一人ぼっちで寂しそうで……それに、あなたの顔に書いてあったもん……友達が欲しいって……」
「ば、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ!……あたしは友達なんて……友達なんて……」
 あたしは思わず声を荒げた。
 そうでもしなければこいつの優しさに、このまま溺れてしまうと思ったから。
 でもいつものように「友達なんていらない」とは、言えなかった。
「……だから、わたしはアリシアの友達……う、うん、親友なんです……例え誰がなんと言おうと、そしてアリシアがなんと思おうと、アリシアがわたしのことを嫌いでも……わたしはずっとアリシアの親友です……」
 こいつはそれだけ言うと静かになってしまった。
 どうやら自分の高熱に耐え切れなくなって、気を失ってしまったのだろう。
 いかに帝国最強の剣士「紅蓮の死神」とは言え、やっぱり風邪には敵わないと言うところね。
 まぁ良いわ、そのままあたしの背中で寝てなさい。このままあたしがあんたの部屋まで運んであげるわ。
 そう、あたしはあんたの「親友」だから。
 それぐらいはやってあげるわよ。
 自艦に戻るため、帝国府に繋がる連絡橋に急ぐあたしは、ふと、一つのアンティークショップの前で立ち止まった。
 店先の前に丁度いい手摺りを見つけると、こいつのことを一旦降ろした。まったく起きる気配が無い。それだけ無理していたってことか。
 動かないこいつをあたしにもたれかかせるように座らせると、頭のリボンを解く。
 青い色をしているけど、普通の生地で作られた只の布のリボンだ。
 あたしは胸のポケットにしまっておいた、こいつからもらったリボンを出すと、改めて結いなおした。
「やっぱりこっちの方が似合うわね」
 再び、こいつの頭を彩った、薄青の透き通ったリボン。
 なんの曇りのないまっすぐな性格のこいつには、良く似合うわ。
 解いた方の普通のリボンを鞄に押し込むと、あたしは再びこいつを背負い直した。
「……ん?」
 何気なく振り向くと、向かいのアンティークショップのショーウィンドウが目に入った。
 そこには大きな鏡が飾られていた。
 大きな鏡があたしとこいつを写している。
 買ったばかりのあたしの上着を着せられて、あたしの背中で眠っているこいつ。
 そのこいつの寝顔は何時もの笑顔と同じように、優しげな寝顔をしている。
 こいつがみんなに向ける、何時もの優しい笑顔。
 でもその笑顔が出来るのは、たくさんの悲しみを背負ってきたから。
 それに気付く者は一体どれだけいるのだろう。
 こいつがたまに見せる憂いを帯びた瞳。
 ひとは悲しみを経験しただけ他人に対して優しく出来る、笑顔でいられる。
 こいつはあたし以上に辛い事や悲しい事を経験して生きてきたんだわ。
 あたしが目の前で大切なものを失った以上に。
 あたしよりも辛い生き方をしてきた奴まで拒絶するなんて、それはあたしのプライドが許さない。
 だからこいつだけはあたしの「親友」にすることにした.
 白い一角獣に続いて、あたしの二人目の親友。
 でもそれは本人には言わない。
 確かに夢の中でこいつに「あたしはあんたの親友でしょ!」って告白しちゃったけど、やっぱりそれは言わない。
 なんでかって?
 それはやっぱり悔しいから。
 こいつの優しさに負けた自分が悔しいから。











 鏡。

 それは自分を写すもの。


 鏡。

 それは自分の内面を写すもの。


 鏡。

 それは自分の弱さを写すもの。


 鏡。

 それはひとが迷いから目を覚ますようにとその上で、束の間の芝居が演じられる銀盤の舞台……


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