第二十話 背水の戦艦
一隻の戦艦が、身体中から火を噴出し満身創痍の姿になって海に浮かんでいた。
艦首部に据えられた砲塔はターレットを外れ、艦体後部の二砲塔も無残に潰されていた。
艦体を覆う分厚い装甲もその殆どが捲れ上がり、副砲以下の砲塔群も全てが穴だらけにされていた。
だが、そんな姿になってもその戦艦は、己が倒れる事を良しとはしなかった。まだ生き残っている第二砲塔が、倒すべき敵に向かって旋回していた。虚ろに擡げられた砲身も、今だ確かに敵に向かって砲口を向けている。
たった二門だけ残った四六センチ主砲から、業火の火炎が吐き出される。
もう既に砲身の限界は来ていた。
酷使されつづけた電磁機導は余熱を排気しきれなくなり、その砲身は今にも溶け出してしまいそうな程、紅く赤熱していた。
それでもその戦艦は破壊の火炎を吐き出すことを、止め様とはしなかった。
その満身創痍の戦艦の後ろには、背走する輸送艦隊がいた。
甲鐵級巡洋戦艦の最後の一角を担う「巡洋戦艦 煉獄」は、この後ろに向かって走る輸送艦隊を無事に逃がす為、一歩も引かぬ覚悟だった。
「……太刀波、沈みます……」
後席の火器管制士から、僚艦の最後を伝える声が聞こえる。
旗艦煉獄の右舷に浮かんでいた「龍波級機導駆逐艦 太刀波」が、一瞬ぐらっとバランスを崩したかと思うと、次の瞬間海面に向かって降下して行くのが見えた。
「……あの状態で、良く持ってくれたものだ」
「龍波級機導駆逐艦二〇番艦 風波」の主操士兼艇長を勤めるギリイア大尉は、己の艦と共に最後まで旗艦を守り続けた太刀波の最後に小さく感謝の言葉を述べた。
「陛下からお借りして来たあいつも随分とやられたな……美人が台無しだ」
ギリイアの駆る風波の二時の方向には、この護衛艦隊旗艦の煉獄が全身傷だらけになりながらも、前方に居座りつづける敵に向かって進撃を続けている。
この風波が所属する護衛艦隊を瞬く間に壊滅させた敵は、先程突然海上に着水し半身を海面下に沈めた状態だった。そしてその状態から散発的ながらも、正確な射撃で此方の戦力を少しずつ削いでいっている。
「……煉獄の主砲が、まだ動いている……」
煉獄の艦橋直下にある唯一生き残っている第二主砲塔が歪んだターレットを軋ませながら、倒すべき敵に向かってその砲身を向けようとしていた。
その主砲の旋回と共に、煉獄の艦橋後部に付けられた点滅灯が瞬き始めた。発行信号だ。光通信を読み取った風波の通信制御機器が、副操士席である後席の前部制御版に送信してくる。
「……ぐ……」
文面を読んだ火器管制士は、その内容を報告するに一瞬の躊躇いを覚えた。
「どうした! 早く読め!」
逸早く新たな情報を得たいギリイアは、躊躇う相棒を急かした。
「は、はい!」
艇長の声にすぐさま返答すると、一つ間を置いてから報告を始めた。
「……旗艦より入電『残存艦艇は直ちに後退し、背走中の輸送艦隊と合流、その護衛任務に復帰する事を命じる。本艦は着水した敵に突撃を敢行し、貴殿たちの後退を支援する』……以上です」
敵から安全圏まで充分に輸送艦隊を離せたと言う、旗艦の判断なのだろう。現に敵は未だ砲撃を続けているとは言え、随分と動きを鈍らせていた。
「……」
送信されて来た内容を聞いた瞬間、ギリイアは俯くように顔を伏せた。だが、すぐさま元の姿勢に身体を戻すと、指示を出した。
「本機は後退し、輸送艦隊と合流する。各損傷部の再点検を急げ」
「で、ですが!!」
ギリイアのあまりにも簡潔な指示に、後席から声を上げる。
「旗艦は死ぬ覚悟なんですよ! 俺たちだけ逃げ出すなんて、そんなこと……」
「ばかやろう!!!」
ギリイアが声を荒げる。
「煉獄が盾になるって言ってるんだ、此処で死ぬのはもう俺だけで良いって言ってるんだぞ!!……俺たちは生き残ってこれからの戦いに備えなきゃならん……悔しいのは俺も同じだ、俺だって最後まで此処にいたいさ……だがな、此処で死んでいった奴等の想いを無駄には出来ん!!!」
ギリイアは一点を見つめたまま、そう言い放った。
その大きく見開かれた瞳からは、悔し涙が零れているのが後席に座る火器管制士にも良く解かった。
「……了解!!!」
それは自分も同じだけぼろぼろと涙を流しているからに他ならなかった。
ヴァッシュは敵艦の主砲が再び火を吹いたのを静かに見据えていた。
「……ほぉ、そんな姿になってもまだ抗う事を辞めないか……」
艦体のほぼ全てを破壊され、著しく速力を落としても尚接近しようとしてくる敵艦に向かって、魔法剣士が感嘆の台詞を吐く。
魔法剣士ヴァッシュガーランドが自分に新たに与えられた戦艦「重機動戦艦ヴァンガード」の起動試験を行なっている最中、帝国軍の輸送艦隊を発見したのは今から一刻程前だった。
帝国最大級の大型輸送艦10隻を中心としたその輸送艦隊は、大型戦艦、中型空母共に一隻ずつを主力とした海上護衛艦隊に守られており、更にその護衛艦隊には機動駆逐艦母艦が5隻も含まれていた。
対するヴァッシュの戦力は、自分の騎乗する「ヴァンガード」以外は、データ収集用の大型呪導機一機のみ。
流石輸送力の重要性に過敏なまでの理解力を見せる龍樹帝国の護衛艦隊だけあって、輸送艦達を守る旗艦は、帝国海軍の最強の戦艦「甲鐵級巡洋戦艦」が努めている。
しかも艦体に付けられた「16」の番号……それは帝国海軍が計画建造した八八艦隊計画艦の最後の一隻を現す数字であり、そしてそれはこの艦が本来皇帝座上用として帝国府に置かれている筈の「皇帝艦 煉獄」である事を証明する数字でもあった。
そう、帝国海軍は護衛艦の数を揃える為にこんな重要な「皇帝艦」と言う艦種までも、輸送艦隊を守る一艦艇として駆り出していたのだった。
だが、こちらは「機動艦」だ。
言うなれば大質量に強力な攻撃力を誇る戦艦と言う超兵器が、空を飛んで襲い掛かると言う「怪物」なのだ。
そしてこの「ヴァンガード」は破壊神との決戦の為に建造された帝国の「機械神」と互角以上の戦いを出来うるように作られた超兵器。
如何に今の状態が無理の出来ない起動試験中であり、敵艦隊に機動駆逐艦が存在していても、その戦力差は互角かそれ以上に等しい。
そして今現在の結果がこれだ。
機能的に「龍焔炉」の使えない状況での強襲ではあったが、遠距離からの擬似劫火砲による制圧射撃により、まず装甲の薄い中型空母と前衛の駆逐隊をあらかた片付けたが、その後緊急展開してきた敵機動駆逐艦との戦闘になった。
敵艦隊は完全に統制の取れた行動パターンを取っていた。
素早い機動力を見せる機動駆逐艦達がヴァンガードの動きを阻み、旗艦の煉獄が遠距離から支援砲撃を仕掛けてくる。
そして盾となった煉獄の後方では生き残りの駆逐隊が再び陣形を組み直し、輸送艦隊を守って背走を始めていた。
「補給の途絶が生死を分ける一番の項目である」と言う事実を熟知した者達だけが出来る、見事な連携だ。
副機関である縮退炉だけでの起動を余儀なくされていたヴァンガードは機動駆逐艦達の高機動に翻弄された挙句、オーバーヒートを余儀なくされ、今現在は下半身を海面に沈め強制冷却を行なっている状態だ。
だが、それと引き換えに敵旗艦を沈没寸前に追いやり、機動駆逐艦も今さっき落ちた艦を含め九隻を海底に叩き落した。
最初は十隻いたようだが、一隻逃がしてしまったようだ。
だが、元々補給ルートを潰す考え等毛頭無かったヴァッシュは、敵大型戦艦の影に隠れて背走する輸送艦隊にはまったく興味を示さなかった。そんなものは潜水艦の仕事だ。
煉獄が再び放った砲弾が、ヴァンガードの手前の海面に着弾し、見事な水柱を上げた。
天高く吹き上げられた海水が、重機導戦艦の艦体にバシャバシャと掛かる。
ヴァッシュは無造作に右手を動かすと、ごつい作りの発射トリガーを引き絞った。
ヴァンガードが右腕に抱えた擬似劫火砲から必殺の火炎が吐き出された。
砲身が異常な色に赤熱している。この砲も随分と酷使されていたようだ。多分この一射でこの大砲も使い物にならなくなるだろう。
長砲から吐き出された偽りの劫火が、狙い済ました様に煉獄の第二砲塔に命中した。
物凄い轟音と共にバラバラに砕けた主砲塔が天に舞い上がった。
これで敵旗艦は全ての武装を失った筈だ。
致命傷とも言える一撃を食らった煉獄の巨体が大きく右に傾ぐ。
……だが
その巨大戦艦は全ての武装を失っても、歩みを止め様とはしなかった。
もはや二〇ノット程度まで落ちた速力で、海に半身を沈めたヴァンガードの行く手を阻もうと接近してくる。
「……全ての武装を失ってもまだ、仲間を逃がす為に盾となるか……見事なもんだな」
このヴァンガードが宙に飛び上がってしまえば全てが無駄となるのに、それでも己の十万トン近い巨体を敵にぶち当てようとする敵艦を、ヴァッシュは考え深げに見つめていた。
「俺もどうせ死ぬなら、あんなふうに格好良く死んでみたいもんだ」
その時、空を高速で切り裂く音が聞こえた。
ヴァンガードの周囲に突然何処からとも無く大型砲弾が降り注いだ。もの凄い水柱が上がる。
これだけの巨大な砲弾は帝国軍の四十六センチ砲しか考えられない。
この口径四六センチもの大型主砲を積むのは二種。
今、目の前で沈み行く甲鐵級巡洋戦艦を除けば、後一つ。
「……今頃援軍か?」
帝国軍らしからぬ手際の悪さを馬鹿にしたような響きで呟きながら、ヴァッシュが天を振り仰いだ。
其処には一隻の「黒い巨大戦艦」が物凄い速度で、此方に迫り来る姿が見えた。
が、その姿は前に見た帝国の新型戦艦とは幾分か違う形をしていたが、ヴァッシュはそれ程気にはしていなかった。
「どうするヴァッシュ? あいつともやり合うか?」
今までヴァンガードの後ろに控えて交戦記録と実働データを取っていた大型呪導機が隣りに並ぶように近付いて来た。
「ん? 俺も流石に其処まで馬鹿じゃない。このヴァンガードも幾らか傷が付いた。頃合を見て逃げ出すことにするさ」
「後方の『雲仙』『白馬』より入電!『我、旗艦に追いつけず』」
「うるさい!!! 後で来いと言っておけ!!!」
通信士の言葉に「ガルア デュアル」は真正面を見据えたまま、艦内が振動するほどの怒声で答えた。
南大海の孤島に設けられた帝国海軍の前線基地から中央大陸南部へ移動中だった、ガルアを司令官とする艦隊が、煉獄を旗艦とする護衛艦隊の敵襲撃の緊急伝を捉えたのは、今から半刻程前だ。
その通信に含まれていた「敵は劫火砲に類似した武装を持つ」と言う一文に直感的な危険を感じたガルアは、自艦に最大速力を発揮させて救援に向かう事にした。
ガルアが今現在騎乗する戦艦、それは破壊神との決戦の為に造られた機械神の一騎「機械神十號機 天蠍宮の黄道機『ファーヴニル』」が、機動戦艦に変じたものだった。
この「ファーヴニル」は、機械神としての人型白兵形態から重機動戦艦への変形機構を有する十一號機以降の可変試作機として建造されたものだ。
自分の専用戦艦が未だに戦線に復帰出来ていないガルアは、黄道機一號機から十號機までの内、唯一戦艦形態に可変可能なこの機体に乗り、艦隊の司令官としての任務をこなしていた。
またこの「ファーヴニル」は戦艦形態への可変能力を有すると共に、十一號機以降の運用データ収集の目的で、副艦長以下複数人の乗員が乗り込める様な造りとなっており、その点でも旗艦任務をこなすにはうってつけの黄道機であった。
「ファーヴニル」の後方には二隻の機導艦が必死の形相で、何とか旗艦に追い着こうと奮闘していた。
「破壊神」との決戦の為に造られた黄道機が変じた戦艦が、空を飛んでまで高速力を発揮しようとするのだから、それに着いて来れる艦艇も限られてしまう。
一応ガルアの艦隊の基幹戦力である「機動巡洋艦 雲仙」と同型艦の「白馬」が続いていたのだが、流石に破壊神との戦闘を考えて作られた「化物」の本気の速力には着いて行ける訳が無かった。
「……見えた!!」
目視で確認できるだけの距離まで何とか近付いてきた。
船体中から炎と黒煙を上げつづける大型戦艦と、その遥か彼方に下半身を海面に沈めた鉄の巨人が見えた。
「主砲の砲撃数値は揃ったか!!!」
ガルアが再び大声を張り上げた。
「はい! 第一射の射撃効果数値、入力完了! この距離なら外しません!!」
「良し! 主砲発射用意!!!」
ガルアの雄叫びと共にファーヴニルの主砲が海上の巨人に向く。
ファーヴニルの主砲は艦隊中央部両脇に付けられた二基。通常の戦艦のような後部主砲塔は付いていない。
また艦体自体も戦艦と言うよりは、大型航空機の様な形状をしている。両サイドに、鋭利な爪の付いた大型の盾を配した容姿は、まるで巨大な蠍の様だ。
射撃データの入力を完了したファーヴニルの第一、第二主砲が鎌首を擡げる。
「……見えた!!」
その時ガルアは、その狙うべき巨人の頭部が、ゆっくりと此方を向くのが見えた。
そしてその巨人の瞳が、あきらかに嘲り笑う光を帯びているのを感じた。
「……な!?」
次の瞬間ガルアは、巨人の周囲が霞のように周囲に溶け込んでいくような錯覚を覚えた。
……いや、それは錯覚などでは無かった。実際にその鉄の巨人が少しずつ消えていっているのだ。
「何!? 転移の呪文だとぉ!!!……あんな巨大な物体を転移させられると言うのかぁ!!!」
ガルアが驚愕の表情を見せているの間に、倒すべき枢機国の巨人は完全に姿を消してしまった。
其処には、倒すべき獲物を失ってしまった帝国の最新鋭戦艦と、自分の職務を全うしたぼろぼろの大型戦艦だけが残されていた。
「くそぉ!!!」
ガルアは力任せに自席の前部コンソールを叩いた。その力が余りにも強すぎて鉄製のコンソールが拳の形に凹んでしまっていた。そしてそれはガルアの悔しさの表れに他ならなかった。
「……後、一〇分でも早く……いや、あと1分早く緊急伝を捉えていたならば……こんな事には!!!」
苦々しく自責の台詞を吐き捨てるガルアの耳に、やっと追いついてきた二隻の機導巡洋艦の駆動音が聞こえて来た。
中部太平洋上に浮かぶこの環礁だらけの孤島を、前線に対する中間基地の一つとして龍樹帝国が整備し始めたのは半年ほど前だった。
戦争と言うものは、只戦線を拡大して領土を広げていけば良いと言うものでは無い。
戦果を広げ、如何に敵の懐近くに前線基地を築く事が出来たとしても、その前線基地まで、充分な防御措置が施された補給ルートが確保されていなければ意味が無い。でなければ進出した敵の攻撃により簡単に補給線を叩かれ、その前線基地は孤立してしまう。後は兵糧攻めにあい、餓死か玉砕と言う歴史的にもほぼ決定された最後を辿るだけである。
補給、輸送の重要性を重んじる龍樹帝国軍は、陸、海問わずこの前線基地を支える為の中間基地の整備にも余念が無かった。龍樹帝国海軍には過剰とも言える程の「工作艦」が在籍しているのも、前線以外にこうした中間基地にも回航させ、即席の整備工場とする必要があるからであった。
この中間基地も環礁の一角にある比較的大きめの島に燃料備蓄タンクの設置を完了し、支援基地として機能し始めていたのだが、今まで修理作業に従事していた明石級工作艦と、戦艦クラスも収容可能な大型浮きドックを前線基地の補充用として回してしまった為、艦船に対する補修力が著しく減少してしまっていた。
そして艦船や航空戦力の主燃料である「液体水素」を海水より製造する「水素生産艦」までも回してしまった為、基地に設けた備蓄タンクや艦隊タンカーに溜め込んだ分だけで暫くはやっていかなくてはならなくなっていた。残った艦艇と言えば、警備用の最低限な艦艇を覗けば飛行場代わりの護衛空母ぐらいのものである。
後方用の艦艇を消耗の激しい前線へ回すと言う事は良くある事なのだが、やはり艦船、それも大型艦に対する修理能力が無くなってしまったのは大きい。
帝国府の方でも工作艦や輸送艦と言った最重要な艦艇はそれこそ最優先で建造、艤装も行なわれているのだが、それでも実戦に出せるにはまだまだ時間が掛かる。そこで後方から補充艦艇が来るまで、既存の艦艇で暫く間を埋める必要が出てきた。
工作艦級の修理能力を有し、大型浮きドック級の大型艦船収容能力を有し、自らも他の艦艇に分け与えられるほどの液体水素生産力をも備えた艦。
そして航空機の発着が行なえるのが飛行甲板全長二〇〇メートル以下の小型護衛空母しかないこの状況では、それなりの大型機の離発着も行なえる広い甲板を備えた艦も出来れば欲しい。贅沢を言うならば沿岸砲台としての大型砲を積んだ艦も欲しい。
言うなれば「移動要塞」のような艦を欲している訳だが、帝国海軍の既存艦艇でこの条件を満たした艦があるのだろうか?
……いや、一応「一隻」だけあるにはあるのだが「その兵器」は本来このような所に出てきてはいけない筈の艦であった。
だが「その兵器」には建造当初からこのような「後方支援的能力」を重視して建造されており「その兵器」は自分の力が本当に必要とされる時以外は、このように後方支援艦として行動可能なように設計されているのも、また事実だった。
「……この煉獄だけが帰ってきた」
空母信濃整備班長のタクトミモリ技術少佐は、信濃の前部ドックに収まったぼろぼろの戦艦を見上げて、寂しげに呟いた。
救援に向かったガルアディアル黒龍師団師団長の駆る「ファーヴニル」が駆けつけた時には、この煉獄を旗艦とする護衛艦隊を壊滅させた敵は、既に姿を消していた。
静かになった海面に一隻だけ残された護衛艦隊旗艦からは、一人も生存者が救出される事が無かった。
「ファーヴニル」以下ガルア艦隊の乗員の調査によれば、敵の放った最後の一撃が相当な致命傷となったらしい。
その一撃で数少ない生存者も皆全滅していた。艦橋に至っては第二主砲塔の爆発の煽りをもろに受けた結果、無残に炙られもぬけの空となっていた。
そして誰もいなくなった煉獄だけが、この中間基地まで帰還してきた。
沈没寸前の煉獄を此処まで「ファーヴニル」で曳航してきたガルアは、信濃の乗員に後を任せると事務的な台詞を幾つか残しただけで、また再び自分の職務に戻っていった。
去り行く彼の右手には厚く包帯が巻かれ、そして大量の血が染み出していたが、誰もその傷の理由を聞こうとはしなかった。
空母の前部に設けられた巨大な空間から工場特有の重厚な機械音が聞こえて来た。タクトの目の前で、主を失った巨大戦艦の修理作業が始まっていた。
煉獄を抱え込んだ信濃のドックの両サイドから大型のクレーンが飛び出し、船腹に空けられた大きな破口の修復作業を優先的に行なっている。
傷ついた艦船に対しての船としての浮力と復元力の回復が、こうした浮きドック艦の最優先作業項目である。そして破壊された舵やスクリューの交換等、一旦船を水の無い所に押し上げなければならない作業が、ドック艦の中心的な仕事だ。
破口を埋め、再び海上に浮けるようになればドックから引き出し、後は桟橋なり工作艦に横付けして艤装作業を行なう事が出来る。そして開いたドックにはまた再び、船腹に穴を空けられた他の艦船を収容する事ができる。浮きドックに入れたまま最後まで修理作業を行なうと言う事は稀である。
だが、今回の煉獄の場合、最後まで付き合わなければいけない程大きく破壊されていたのも、また事実だった。
目の前を数多くの小型機械達が忙しなく通り過ぎていく。信濃の搭載する「小型作業用龍機歩兵 エクルビス」だ。
信濃前部の乾ドックに上げられ海水を滴らせている煉獄の巨体に数多くのエクルビス達が取り付き、自らに備えられた自動装置に従って修理作業を行なっている。
自分も専用の作業用龍機兵に乗って修理作業の指揮に回ろうと、格納庫に向かおうとしたタクトの目線に、帝国軍標準制服に身を包んだ随分と背の高い女性の姿が目に入った。
「……? 大佐?」
この艦の女性陣は皆背の高いの者ばかりで有名だが、その中にあってそれでも背の大きさが目立つ者と言えば、この艦ののんびりとした艦長殿しか思い当たらない。
先程の自分と同じように、傷付いた巨艦を見上げている。
「……あ、タクトさん」
リュウガがサイブーツの踵をドックの底面で鳴らしながら近付いて来た。
「……そうか、今は准将殿でしたね、すいません」
「良いですよ、任が解かれたら直ぐに元に戻りますから」
上官の階級を間違えて肩を竦める整備班長に、リュウガが何でも無い事のように答える。
リュウガはこの中間基地に信濃が「移動補給基地」として派遣される際に、基地指令としての階級「准将」に昇格していた。
リュウガにしてもこの昇級は任が解かれるまでの一時的なものと認識しているようなので「自分が将軍の一人になってしまって、今まで以上に偉くなってしまった」と言う意識も全然無いのだろう。勿論重職に対する責任は充分以上に感じているだろうが。
「……」
傷付いた巨艦を見上げる横顔は少し寂しげに思えたが、何時もののんびりとした優しさの中に精悍さを備えたリュウガらしい横顔に、タクトには見えた。
「准将は……泣かないですよね」
何時もと変わらない横顔を見ていたら、普段疑問に思っていた事がつい口を吐いて出てしまった。
「……そうですね、わたし一応女の子なのに全然涙が出てこないんですよね……これだけ、悲しみの詰まった艦を目の前に見ているっていうのに」
整備班長の突然の質問にも特に驚いた様子も見せず、少し泣き笑いのような苦笑気味に答えた。
「アリシアだってちゃんと泣いたりするのに、どうしてわたしはどれだけ悲しい場面を見ても泣く事が出来ないんだろう……」
リュウガは、普段は気丈に振る舞うアリシアが、悲しみにくれて涙を流している処を幾度か見た事がある。勿論プライドの高い彼女がその事を知ったら気分を悪くすると思うので、リュウガは自分が見た事は本人にはずっと黙ったままだったが。
自分の手の平を見つめながらリュウガが再び口を開いた。
「沢山の血に汚れて来てしまったわたしには、もう一滴の涙も残ってないんですかね……」
自嘲気味に話すリュウガの目には、何度落しても消えない自分の手の平に付いた、真っ赤な血が見えているのだろう。
「……」
傍らに控えたままだったタクトは、何も言葉をかける事が出来ないでいた。
「整備班長」
「はい」
リュウガがタクトの事をちゃんと役職で呼んだ。
その響きに只ならぬ気配を感じたタクトは、姿勢を正して上官に向き直った。
「煉獄の修理作業を一時中止して、このドックへの固定作業に移行してくれませんか?」
「……それはつまり」
「ええ、信濃は再び帝国府に戻る事になりました。この煉獄を連れて」
帝国の上層部はこの廃船同然の戦艦を、本格的に直す腹積もりらしい。
合理主義を貫くこの龍樹帝国軍なら、今のこの状態の煉獄を修理する手間を考えたら、スクラップとして解体し他の艦艇の建造資材に少しでも充てた方が効率的である。
事実タクトが指揮する修理作業も艦腹に開いた穴を塞ぐなど帝国本土までの曳航作業に支障が出ない様にする為の、応急修理が殆どだった。
だが龍樹帝国司令部はこの煉獄に完全に戦線に復帰出来るだけの修理を支持してきた。そしてそれが完了する為には最低でも一年以上の時間が掛かる筈だ。
「うちの軍も久しぶりに、予算を度外視してでも意地を見せつけようって訳ですか、人間達に」
タクトがオーガ族特有の長い犬歯を見せながらにやっとに笑った。
「ええ、例え何年掛かろうとも完全に直すつもりみたいですよ、司令部の考えも」
リュウガもそれに答えて普段は苦手な不敵な笑みを作ってみた。
全てが合理主義では軍として上手く機能しないと言う事も、龍樹帝国はちゃんと解かっている。
時にはこうして意地を前面に押し出した「伊達や酔狂」を見せなくては兵士達が着いて来ない、と言う事もちゃんと理解している。
そう、幾ら機械化が進んだとしても何時の時代も軍を動かして行くのは、考え、悩み、そして何とか生きて行こうともがき苦しむ「ひと」なのだから。
「フフ、久しぶりにワクワクして来ましたね。了解しました、固定作業に移ります」
「ええ、頼みます。わたしも艦橋に上がって、出航の準備に入ります」
帝国最大級の巨大空母が、傷付いた僚艦を腹に抱えたまま本拠地に出発しようとする頃、リュウナ達一行は一人の妖精の旅の終わりの場所にいた。
「エリナちゃんの故郷ってこの森で良いんだよね?」
リュウナはそう言いながら、今まで自分の右肩に座っていたエリナの小さい身体を優しく抱えると、自分の手の平の上に座らせた。
「うん!」
リュウナの手の平にちょこんと座るエリナは、目をつぶりながら鼻をくんくんさせている。
「……ここ、この森、懐かしい匂い……」
故郷の森の懐かしい息吹を、身体中に感じている。
「ねぇティア君、ちょっと肩を貸して」
リュウナは隣りに立っていたティアの方に向くと、エリナが乗ったままの手を差し出した。
「ああ、良いよ」
ティアの了解の言葉を聞くと、リュウナはティアの肩にエリナを座らせた。彼女の事をティアに預けたリュウナは、空いた手を自分の懐に突っ込むと、中からごそごそと何かを取り出した。
それは物凄く小さく作られた首飾りだった。直径五ミリ程の小さい真珠のような球に、これまたかなり細い鎖が付いている。
「昨日やっとできたんだ、エリナちゃんの分」
リュウナはその小さな首飾りをエリナの首にかけてあげた。流石にリュウナの小さい指でも鎖止めまでははめられないようなので、後は本人にやってもらった。
「この転移のオーブがあればエリナちゃんも他の子と同じように、自分の行きたい場所に転移して行くことができるよ」
「うんっ、ありがとうぉ」
エリナが首に下がった小さい宝珠を、嬉しそうに自分の手で転がしている。
リュウナは旅の途中、この転移の魔導器を妖精一人一人に作ってあげてきていたのだった。また人間達が捕まえに来たら、転移して逃げられるように。
そして、今回の事で出合えた仲間に再び逢いたくなったら、何時でも翔んでいけるように。
「でも、一回しか使えないから注意してね」
流石に龍魔導士のリュウナでも、この短い時間と少ない触媒ではこれが限界だった。それでもこの状況で、例え一回限りとは言え転移の魔導器を妖精の人数分作ってしまったのだから、大したものである。
「うん、大事に使うネ!」
エリナはティアの肩からぴょんっと飛び上がると、そのままぱたぱたと副長の方に近付いて行った。
「……」
副長の頭の上には、彼の大きな耳に寄り添うようにしてシルフィが座っていた。
シルフィも飛び上がると、宙に飛んだままエリナの身体をぎゅうっと抱きしめた。
「……お別れだね」
「……うん」
二人とも涙を零し始めていた。お互い他の妖精の子達との別れを随分と経験してきてはいたが、やはり別れの悲しさには慣れることは出来ない。
「大丈夫だよ、リュウナが作ってくれた転移のオーブがあるもん、寂しくなったらまた逢えるよ」
「うん、そうだね……」
「またいつか逢おうね……みんなで」
「うん!」
エリナはシルフィの身体から離れると、故郷の森に向かって飛び出した。
「みんな、ありがとう!……みんなのこと、絶対、絶対忘れないからぁ!」
エリナは涙が止まらなくなった瞳をぐしぐしと拭いながら、飛んで行った。
「うん、元気でね!」
リュウナが精一杯の元気な声でそれを送っている。本当は自分も泣きたかったが、一生懸命我慢していた。後ろではティアと副長が、優しげに手を振っていた。
「……」
しばらくの間、別れの余韻の静かな時間が続いた。
エリナがいなくなった後、シルフィは俯いたまま宙を飛んだままだった。
「……シルフィ?」
リュウナは自分の手を、シルフィに向かって差し出した。
「……」
シルフィは自分に差し出されたリュウナの手の平の上に、力なく座り込んだ。
「……」
黙ったままのシルフィ。
リュウナは止まったままの時間を動かそうと、会話を進めた。
「さっ、今度はシルフィの番だね。シルフィもあの湖の近くの森に送っていかなきゃね」
「……」
リュウナの自分を元気付けようとする言葉を聞いても、シルフィは黙ったままだった。
「……」
暫くリュウナの親指に抱き付くような姿勢でじっとしていたが、ようやくその口から、良く聞かないと聞き取れない位の小さな響きが聞こえて来た。
「……もう、やだよ……こんなに、いっぱい……いっぱい、お別ればっかり……」
「シルフィ……」
リュウナは自分の手を動かして、シルフィを自分の目線まで上げた。
「じゃあさ、ヨーコさんのお母さんがやってるあのレストランに行こうか? 多分女将さんならシルフィのことも喜んで置いてくれると思うよ? あそこならシルフィのいた森にも近いし」
「……」
その提案にもシルフィは悲しげに俯いたままだった。
リュウナは自分の手の平の上に寂しそうに座り込む小さな親友の姿にくすっと小さく微笑むと、もう一つの提案を出した。
「じゃあ、わたしと一緒に来る?」
「!」
その言葉を聞いた瞬間、シルフィが顔を上げた。
「……良いの?」
その上げた顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「うん……でもシルフィ、あなたは故郷の森に帰れなくなるよ? それでも良いの?」
リュウナは自分の指で、シルフィの小さな瞳から零れる涙を丁寧に拭いながら、確認の意思を取った。
「うん、だってリュウナとは友達だもん、友達と一緒ならどこへいっても大丈夫だよ……それに、もうお別れは嫌だもん……」
シルフィはもう離れたくないと言った気持ちを表すように、リュウナの指にぎゅうっとしがみ付いた。
「二人とも良いよね?」
リュウナがくるっと振り向き、ティアと副長の二人に同意を求める。
「良いも何も、それはリュウナとシルフィの二人で決める事だろ? 俺たちは何も言わないよ。ね、副長さん?」
「うん」
「……ありがとう、二人とも」
リュウナは再び自分の肩にシルフィを乗せると、二人の方に向き直った。
「さて、これからどうしよう?」
ぽんっ♪と胸の前で両の手の平を合わせる姉譲りの癖を見せながら、次の行動を促がす。
「そうだ、副長さんは早くおねえちゃんの艦に戻らないといけないですよね?」
「え? まぁそれはそうだけど……」
そういえば本当に随分と自分の艦を離れてしまっていたなと、副長は思った。今頃信濃の副艦長は誰がやっているのだろう?
さしもの副長も「あのアリシア」が、リュウガの下に就いて、てんてこ舞いに成りながら副艦長職を務めているとは、夢にも思っていないだろう。
「じゃあやっぱり、とりあえず帝国府に行った方が良いのかなぁ?」
「まぁ、そうしてくれるとありがたいけれど……リュウナちゃんの方は、もう魔導教会の方には行かなくて良いのかい?」
副長がリュウナの立場を考えた意見を出した。
「はい、魔導教会に行くにしても帝国府からなら、直通の列車が出てますから」
そう、あの大型重蒸気機関車「ビッグボーイ」の引っ張る相互連絡鉄道の事である。
「それもそうか」
とりあえずの行き先は決まったようだ。
「あの副長さん? 帝国府行きの船はこの辺りだと、どこが一番近いか解かりますか?」
リュウナが目的地までの移動手段を副長に聞いた。軍属である為その筋の情報には詳しい副長に聞くのは正解だ。
「うん、此処から西に歩いた所にある港町からなら帝国府へ直接いける飛行艇が出てるはずだよ」
副長が自分の持ち合わせた知識をフルに発揮して答えた。彼の場合元々冒険者であった為、その時得た情報も混じっているのかも知れない。
「………………あの、俺には何も聞いてくれないんスか?」
先程から口の挟む余地を見出せなかったティアが、ようやく口を開いた。
自分が何も言わないまま、二人でさくさくと目的地とその移動手段まで決めてしまっていて、しかも物凄く良案続きで、まったく口が挟めなかった。
一応自分にも少しでも良いから意見を言わせてくれみたいなティアに対して、
「え〜、だってティア君の行くとこって『親方さんの鍛冶屋さん』しか無いじゃない」
と、珍しく普段とは反対に、リュウナがツッコミを入れていた。