第二十六話 終りの鐘を鳴らす者
巨大な歯車。野太い伝導管。
壊れた部品の向うに浮かぶ、十一本の柱。
そしてその柱の中に佇む、巨大な影。
「……何故なんだ? まだ時間はあったはずだ」
魔導士の一人が、目の前に転がる柱の破片を見つめる。
確かにこの八番目の柱の動きがおかしくなって来ていたのは長年の監視によって、ある程度は解かっていた。
この黄道の封印自体は、まだ数年ほどの寿命がある筈だった。
柱が壊れる後幾ばくかの時間を使い、対破壊神用の決戦兵器の最終的な調整をする予定になっていた。
これ以前に破壊神に戦いを挑もうとしても、今度は破壊神を封印している柱が放出する絶対結界の力に逆に阻まれる格好になり、手を出そうにも、どうすることも出来ないのだった。
だからこの黄道の柱、ゾディアックが力を失うまで待つしかなかった。
だからそれに合わせて、全ての事が進んでいた。
だが、ここに至って歯車が狂いだしてしまった。
封印の柱「ゾディアック」のあるこのフィーネ砂漠には、一隻の陸上艦が砂の海に浮かんでいた。
十二本の柱と、中で眠る破壊神を監視する目的でこの地に派遣された魔導士達が駐屯施設として使っている「陸上戦艦ヨトゥン」だ。
ヨトゥンの艦橋から、一人の魔導士がこの突然の惨状を見つめていた。
「残った十一の柱であとどれくらい持つ?」
「あと一日といったところでしょう」
破壊神の封印の一器が突如として壊れてから、今日で七日。
黄道の封印の中の空間の揺らぎが、徐々に無くなりつつあった。
この速度で計算すれば、あの空間が完全に実体化するのに要する時間は、確かにあと一日あれば十分だろう。
今まで揺らいでいた空間の完全なる実体化。
それは黄道の封印が力を失う事と同時に、中に閉じ込められていた破壊神が復活すると言う事である。
「あと一日か」
絶望に支配されつつあったヨトゥン艦橋内に、巨大なる地響きが聞こえてきた。
この封印の砂漠を揺らす数多くの地響き。
「……来た」
身の丈百メートル以上はある巨人達が、こちらに向かって歩いてくる。
機械神一號機 宝瓶宮の黄道機「アスタロト」。
彼ら魔導士の長の専用機が、自分達の方に歩を進めてくる。
その雄々しき巨体の後ろには、アスタロトと同じだけの身長をした数多くの巨人が、一緒になってこちらに向かって来ていた。
そしてその巨神群の中央に位置する、一際大きな巨人。
ここからでもその巨体から発する凶々しい気に気圧されてしまいそうになってしまう、黒い機体。
「……遂に、この時が来てしまったのか」
地獄の公爵の名を与えられた巨神は、他の封印機たちと、そして「もう一つの破壊神」を従えて、再びこの地に帰って来た。
「大変だ!!! 黄道の封印が壊れたんだ!!!」
その副長の叫びは、格納庫中に響き渡った。
静かな雰囲気にだった、この大型格納庫が騒然として行く。
周りのざわめきに、仮眠を取っていた者達も目を覚ました。
「副長!! それはどういう事だ!?」
体中を機械油で汚したオーガの男が、掴み掛からんばかりの勢いで聞いた。
「こうどうのふういんがこわれたぁ!? そんな馬鹿な話があるか!!」
今まで黒き龍焔の修理の指揮を取っていたタクトが怒鳴る。
不眠不休で修理させていた部下達は、今、ようやく休息の時間を得ているのだ。
事の真相を知るよりも、その貴重な時間を邪魔された思いの方が強い。
「馬鹿や冗談でこんな事が言えるか!! 黄道の封印が壊れた!これ以上に伝えるべき言葉があるか!?」
副長も食って掛かるような勢いで言い返す。
「フィーネ砂漠に駐屯している第弐魔導師団の師将が知らせにきた。念信の術も使わず、直接伝えに来たんだ。それも師団をまとめる師将本人がだぞ!!」
流石にそこまで言われて、頭に上った血が一気に冷めた。
「本当なのか? ……本当に本当なのか?」
「だから言ってるだろう!! 黄道の封印が壊れたと!!!」
二人の押し問答に、格納庫の中が徐々にざわつき始める。
「それは、本当に本当なんですか?」
副長は、後から誰かに訪ねられた。
「本当だと言っているだろぉ!!!」
タクトとの不毛な言い争いで頭に血が上っていた副長は、誰に訊かれたか確認もせずに、怒鳴りながら振り向いた。
振り向いたそこにある、相手の顔は結構上の位置にあった。
自分が怒鳴り散らしても、怯えもせず、怒りもせず、只優しい微笑みを此方に見せるだけだった。
「りゅ、リュウガ……」
「ごめんなさい、副長がそんなに怒っているって言うことは、本当ってことですよね」
何時の間にか副長の後ろにリュウガが立っていた。
「……准将、もう起きて大丈夫なんですか?」
久しぶりにリュウガの姿を見たタクトが、素直に心配の言葉を言う。何しろ三日前の戦闘後から彼女はその疲労から、ずっと寝たままだったのだから。
「ええ、大丈夫……のはずです。久しぶりに逢えた幼友達からも元気をもらいましたし」
リュウガが改めてタクトに向き直る。
「整備班長、信濃の……いえ黒き龍焔の修理を急いでもらえますか? みなさん、もうかなり無理をしているとは思いますが、お願いします」
そう言って深々と頭を下げた。
「止めてください准将」
その行為に、タクトが静かに答える。
「ここは俺たちにとっての戦いの場。戦場で命を懸けるのは当然の事。三日やそこいら寝てないだけじゃ、無理の内に入りませんよ!!」
タクトが再び声を張り上げる。
「野郎ども!! 聞いての通りだ!! 気合入れていくぞ!!!」
整備班長の激を聞いて、再び整備要員が動き始める。眠い眼を擦る者も多いが、皆の内に秘める気合は整備班長と同じだ。
「……すまんなタクト、さっきは取り乱した。俺も寝てないもんだから、普通の思考が出来なかったらしい」
「お互い様だ、気にする事は無い。それとお前は俺たちが終わってからが戦いだ。今のうちに寝て置けよ」
タクトはそう言い残し、指揮の為に黒き龍焔の巨体に向かった。
残された副長が、もう一人残された者の方に振り向く。
「さっきは申し訳無かった。いくら同期とは言え、上官に向かって失礼な事をした」
副長が素直に頭を下げる。
「殴ってくれ」
「え? わたし全然怒ってないですよ?」
副長の制裁の求めを、リュウガは当然のように断る。
「いや、あんなに怒鳴り散らすなんて、寝ぼけている証拠だ。リュウガの鉄拳で一発気合を入れてくれ」
「……そこまで言うのなら、しますよ。でも、わたし一応女の子ですから、パーで行きますよ?」
「ああ、お願いする」
リュウガは副長の前に右手を出すと、軽く振りかぶった。副長は目も瞑らずに、リュウガの事を見上げたままだ。
パァン!! と言う音が響く。自分が全力で殴ったら相手が吹っ飛んでしまうので、多少力を抜いたつもりだったが、結構良い音がしてしまった。
「うん、目が覚めた、ありがとう」
副長はずっと目を開いたままだった。張られた左頬が真っ赤に染まっていたが、今はその痛みが気持ち良く感じた。
「とりあえずこの格納庫への報告は済んだから、俺は一旦司令部の方に戻る。できればリュウガも付いて来てくれ」
「はい!」
二人は、司令部に繋がる通路に急いだ。
「あれ、こんなとこに?」
その入り口の脇には、器材に腰掛けそのまま壁に寄りかかって眠り込んでいる、マリアの姿があった。
「マリアちゃん、こんなところで寝ちゃってて」
また再び喧騒と騒音に包まれ始めた格納庫の中にいても、マリアは起きる気配を見せなかった。
リュウガは、彼女の小さい頭にそっと手を乗せた。
「ああ、こいつも殆ど寝ずにがんばってたからな。一番身体が小さい分、一番無理が出たか」
副長も、リュウガが眠ったままだった三日間のこのマリアの奮闘振りを、勿論知っている。
ゆっくりと優しく頭を撫でるリュウガの上着の裾を、マリアが掴んでいた。
「?」
「……お母さん……」
マリアの口から声が零れた。どうやら寝言のようだ。
「なぁに、マリア?」
リュウガが、声色をマリアの母親に似せて返事をする。
マリアとは同郷であり、彼女の母とも親しい間柄なので、これぐらいの声真似だったらリュウガにも出来た。
「……わたし、がんばってるよ……わたし、みんなのために戦ってるよ……」
「うん、偉いわマリア……でもあんまり身体に無理しちゃだめよ?」
「……うん……ありがとうお母さん……」
マリアはそれだけ言うと、静かになった。すうすうと言う寝息の音が、再び聞こえ始める。
「大丈夫、マリアはこう見えても強い。ほっといても直ぐに目を覚まして、自分の仕事に戻る」
左頬に真っ赤な手形を張り付けたままの副長が言う。
リュウガも小さい頃からマリアの事を知っているので、彼女の芯の強さも知っていた。
「うん」
もう一度マリアの頭を少し撫でると、司令部に急いだ。
「わっ、おねえちゃん、本当に副長さんのこと殴っちゃったよ」
「黒き龍焔」の操舞倉の辺りから、リュウナとウォルテが一連の行動を見下ろしていた。
「あの娘も大変みたいね」
副長がこの格納庫に現れた時、リュウガは事の重要さを知って、ウォルテに別れを告げて下に降りて行った。
「さて、わたしも帰らなきゃ。いつまでもこっちの世界にはいられないからね」
「……あの、ウォルテ様、海までお送りします」
立ち上がったウォルテに向かって、リュウナも同じ様に下を見下ろす姿勢から元に戻りながら言う。
「うん? 大丈夫。もうわたし、子供の頃みたいに弱くは無いから、消えるぐらいだったらここからでも大丈夫よ」
リュウナの厚意を、ウォルテが優しく断る。
「久しぶりにこっちの世界に来て思ったんだけれど、だいぶユガミズの力も弱くなっているよね。特にこのあたりの水は大分綺麗になってると思うよ」
『……ウォルテ、久しぶりに逢えて嬉しかったよ』
レイが話に加わってきた。上半身の上に付いた「ZERO」の頭部がこっちを見ている。
「おにいちゃんも、もっとお話できれば良かったんだけどね」
リュウナが残念そうに言う。
「……」
「……?」
レイの事を「おにいちゃん」と呼んだ時、何となくウォルテが少し羨ましそう、と言うか寂しそうにしているのを、リュウナは見た。
「じゃあ、もう行くね」
ウォルテが明るく、別れの言葉を言う。
その明るさに、先程見たのは気のせいだったのかとも思ったが、リュウナは自分が言おうと思った事を、素直に言う事にした。
「……また逢えますか? ……ウォルテおねえちゃん」
その言葉を聞いて、ウォルテが驚いたように振り向いた。
「わたしのこと……お姉ちゃんって読んでくれるの?」
「……だってさっきわたしが、レイさんのことをおにいちゃんって呼んだ時、すごく寂しそうな顔をしてたんですもの」
「ははは……やっぱりバレちゃったか。あの姉にしてこの妹ありね。リュウナちゃんも優しいな」
「だって、このわたしの中の優しさは、おねえちゃんに教えてもらったものですから」
そう笑顔で答えるリュウナの顔に、自分の幼友達の顔が重なって見えた。
「そうね……あなた達の胸の中にある、誰にも負けないその優しさがあれば、奇跡のひとつも起こせるかも知れないわね」
ウォルテは、黒き龍焔の頭部操舞倉から、胸部の先端まで歩いた。
そしてこちらにクルッと振り向くと、徐々に身体が透明に鳴り始めた。
「じゃあ、行くね」
「ウォルテおねえちゃん!!」
リュウナが声を上げる。
「……また逢えますよね」
「うん……子供の時帰るときも言ったけど、もしこれから先大変なことがあって、その時わたしの力が必要になることがあったら、いつでもわたしのことを召還して。絶対、絶対に助けに来るからね!!」
そう告げると、ウォルテの身体は完全に虚空に消えた。
「……」
レイは、リュウナの背中をずっと見ていた。
リュウナが顔のあたりに手を持っていって、本物の猫のように顔を拭う仕草をしているのが、後から見えた。
多分泣いているんだろう。それも彼女の事だから、先に役目に戻って行った姉の分も泣いているんだろう。
『……リュウナちゃんも、一気に姉さんと兄さんが二人も増えちゃって、大変だね』
レイが後から声をかける。
その声を聞いて、リュウナが振り向く。
確かに眼が赤かった。でも、とっても良い笑顔をしていた。
ゾディアックの崩壊の知らせは、勿論皇帝フィフスの下へも届いていた。
執務室では、龍樹帝国皇帝と魔導教会教皇と言う、ディフュームの世界の頂点に立つ二人が、顔を合わせていた。
「旧友との再会も、すぐ終わりになっちゃったわね」
『私の事を友と呼んでくれるのか?』
「あたり前じゃないの。でも千年も前から生きてきたひとを、友達って言っちゃうのは、なんだか申し訳ないけどね」
『構わんよ』
「機械神達の準備もギリギリ間に合ったわ……フィフス、あなたはこのゾディアックの崩壊が早まるのを知っていたの?」
『知っていた訳では無い。だが、柱の一本が、破壊神の封印に対する戦闘で損傷しているものがあるのは解かっていた』
フィフスが一呼吸置くように、窓外に頭部を向ける。
『その柱が他の柱より早く損壊する保証は無い。只、もしもの時の為の準備をしていただけだ』
「流石ね」
『……だが、後ひとつ、予定通り行かなかったものがある』
「?」
『ラグナレクだ』
「……そっか」
「ウィルヘルム指令! 北部に展開中の第三魔導師団より、緊急連絡が入っています」
「何だ、こんな時に!!」
折角、枢機軍に攻撃による復旧に一段落ついたと言うのに、今度は黄道の柱の一本が壊れたと言う。
帝国軍全軍を預かるヘリックウィルヘルム大将は、朝から傾れ込み続ける情報量に、いくらか辟易しかかっていた。
「要塞艦と思われる巨大物体を中心とした枢機軍の大艦隊が、中央大陸フィーネ砂漠方面に移動中との事です」
「フィーネ砂漠だと!?」
其処は黄道の封印のある場所だった。そして破壊神がこの地上に舞い降りた場所。
「……何を考えている枢機軍……?」
ウィルヘルムは、この一連の事実について考えてみた。
枢機軍による突然の帝都空襲。ゾディアックの損壊の早まり。そしてフィーネ砂漠に向かう枢機軍の艦隊。
「まさか」
其処まで考えを巡らせた時、司令部にローブに身を包んだ人影が現れた。
「陛下……ミレイヌ様も」
皇帝フィフスが、魔導教会教皇ミレイヌレカキスを伴い、帝国の中枢を担う司令部に顔を出した。
「ウィルヘルム指令、お久しぶりです」
フィフスの後ろに立っていたミレイヌが、久しぶりに見る龍樹帝国三軍の総司令に挨拶をする。
『やはり動いたか、枢機軍が……』
「陛下、やはりとは?」
『人間の世界には我々も知らない、破壊神にまつわる伝承が数多く残されている。その中には、黄道の封印の損壊の早まりや、その詳しい時間に関する情報もあるのだろう』
それはウィルヘルムが考えていた、この一連の事実に対する答えだった。
「では、フィーネ砂漠に移動中の敵艦隊は」
『何かをやろうとしている筈だ。破壊神に関連した何かを。それも我々に知らない方法で』
「フィフス、今柱の一本が壊れたとして、残りの封印器だけであとどれだけ持つのかしら?」
『柱の制御する力学的な力を十二等分して、その一本が失われたと計算すれば、後六日程だな』
ミレイヌの問いにフィフスが即答する。本当に機械計算機の様な速さだ。
「あと、六日か……私たちに残された時間は……」
ミレイヌが沈んだ答えを出した時、この帝国の司令部に、二人の士官が現れた。
「陛下、それに総指令、遅くなりました」
司令部に顔を出したリュウガが、帝国を預かる二人に挨拶をする。
「ムラサメ准将、もう起きて大丈夫なのか?」
「はい、三日も寝て先程ご飯もいっぱい食べましたら、すっかり元気になりました」
ウィルヘルムの言葉にリュウガが、彼女らしい呑気な台詞で答えた。
「そう言えば副長、なんでお前顔に張り手の跡が付いているんだ? 女の子のお尻でも触ったか?」
「そ、そんなことしませんよ!?」
ウィルヘルムの台詞に、副長が大慌てで反論する。
「あ、結構跡が強く残っちゃいましたよね、加減したつもりだったんですけど。今からでもその分、わたしのお尻触ります?」
「い、いいよ!?」
更に副長を慌てさせる台詞を言っているリュウガに、ミレイヌが言葉を向ける。
「……リュウガちゃん、起きて早々なんだけれど、大変な事になっちゃったわ」
「はい、そのことも先程副長より聞きました」
まるで自分の所為のように申し訳なさそうな口調のミレイヌの言葉にも、リュウガは元気に答えた。
『後、六日の後にゾディアックは壊れる。フィーネ砂漠までの移動時間を考えれば、残された時間は後三日ぐらいだ』
フィフスは、ミレイヌからリュウガが目覚めた事を知らされていたが、改めて元気な姿をみて、素直に安堵出来た。
「それだけあれば、帝国の優秀な整備士達にかかれば『ロードオブナイトメア』を完璧な状態にする事が出来ます」
リュウガと共に司令部に来た副長が、胸を張って答えた。このような帝国の中枢でも、あくまでコードネームで呼ぶのは、いかにも副長らしい。
『そうか』
先程タクトが見せた気合を考えれば、副長の言葉は決して増長では無い筈だ。
「そっか、みんな頑張っているんだね。じゃあ私も、直ぐに魔導教会の方に戻る事にするわ」
副長の言葉を聞いた後、ミレイヌがこの司令部から立ち去ろうとする仕草を見せた。
『どうしたミレイヌ、急に?』
その姿にフィフスが声をかける。
「『アスタロト』を取りに戻るわ。これから必要になるでしょ。みんながんばっているんだもん。私もそれぐらいはやらなきゃ」
その声に少し困ったような顔しながら、ミレイヌが答える。
「でも、こんな事なら初めから『アスタロト』を持ってくれば良かったわね」
「フフッ、そうですよネ」
ミレイヌのまいったと言った感じの台詞に、リュウガが相槌を打った。
そしてその余りの自然な声の響きに、ここにいる一同は、皆一瞬声を失ってしまった。
皆知っている。一番辛い立場にいるのは、此処にいるリュウガだと言う事を。
そして彼女は、そんな事は微塵も感じさせない様に、ごく普通に振る舞っている。
「……確かにわたしは、これから起こる戦いで死んでしまうかも知れません」
皆の自分を心配する雰囲気を感じたリュウガは、静かに口を開いた。
「でも死んでしまうかも知れないと言うだけで、まだ死ぬとは決まってはいないですよ」
リュウガが笑顔で続ける。
「わたしだって一応女の子ですから、素敵な彼が出来て素敵なお嫁さんになりたいって夢がありますから、その為には、今自分が成すべきことをやらなくちゃ」
「……リュウガ」
皆何も言えず、リュウガの言葉を聞いていた。
「だから、それからはそれからです」
三日が経った。
帝国府内の大型格納庫で、黒き龍焔が静かに佇んでいる。
副長の言葉通り、帝国の優秀な整備士達は、期限の日程までに完璧に仕上げた。
照明の薄明かりに照らされて、巨体が厳かに黒光りしている。
その姿は、史上最強の破壊兵器としての印象は殆ど無く、一種独特な荘厳な美しさを放っていた。
ヴァッシュガーランドの駆るヴァンガードとの戦闘で破損した箇所は完璧に修理されていた。
今現在、一〇〇メートルを越える機体には、傷ひとつ付いてない。
「……」
リュウガが巨体を見上げていた。
フィーネ砂漠に向かう日が、遂に明日に迫った。
出撃前の静かな時間に、黒き龍焔の頭部に収まるレイと少し話でもしようかと思って此処に来たのだが、この、静かに佇む黒き巨体の美しさに、少し見とれていた。
「……ん?」
不意にリュウガが、耳を欹てた。遠くから管楽器の音色が聞こえてきた。フルートに良く似た綺麗な音色。
耳を戻しながら音の聞こえた方に顔を向けると、この大型格納庫から外に繋がる扉の一つから、その音が聞こえてきていた。
リュウガにはその音色が他のものと聞き間違え様が無かった。色々な重いが詰まった美しくも悲しい音色。
外に繋がる扉に近付いて行くと、思った通りのひとがいた。そう、他の人物がいる訳がなかった。
帝国軍女子用標準制服に身を包んだ士官が帝国府の外部通路に立ち、フルートに似た楽器具を吹いていた。
彼女の吹く音色はぎこちなさが多分に入っていたが、その楽器具に秘められた想いを表すことが出来る、数少ないひとだった。
不意に音色が止まった。誰かが後ろから近付いてきた事に気付いたらしい。
「……リュウガ」
アリシアが振り向いた。
「アリシア、どうしたんですか? こんなところで?」
「吹き修めよ」
「ふきおさめ?」
台詞の意味が良く理解できないように不思議がるリュウガの前で、アリシアが今まで吹いていた魔笛を鞘に収めた。
そして腰の後ろに付けている鞘ごと魔笛を外すと、リュウガに向かって押し付けた。
「これ、返すわよ」
「……でも、これは……」
魔笛。魔界から現れ出でた魔王の魔力が封じられた、魔導教会の長が代々守り続けて来た魔導器。
「これはあんたの母親の形見なんでしょ? だったらあんたが持ってなさいよ」
そう、それは、リュウガの母フーガムラサメが、かつて教会の長であった頃も持っていた。そして子供の頃のリュウガも、良くこれを吹いていた。
「……」
リュウガはその魔導器を受け取った。
そして自分の手の中に来たそれを、考え深げに見つめる。
リュウガが、ミレイヌから聞かされた話を思い出す。
自分は自分の母に、この魔導器の刃で一度心臓を刺し貫かれ、死んだ。
でもそれは暴走した龍焔炉を止める方法が他に無かったから。
母はその直後蘇生の魔法で自分を生き返らた。
そして母自身は、蘇生の呪文の触媒となる為に自らの命を使い、白い灰に成り果てた。
魔笛。それは母が娘に自分の命を与える時に使った、因縁の道具でもある。
アリシアも、ミレイヌがこのフーガの残した子供達に、二人の知らない母親の姿を伝えていた時、自分もその場にいた。
だから大体の事は解かっている。
この魔導器が、母の形見と呼ぶには余りにも悲しい事実が詰まっていると言うことも。
そしてこの魔笛には、自分のかつての親友の力が封じられていると言うことも全部承知の上で、リュウガに向かって差し出した。
リュウガは自分の下に来た魔笛を、そっと鞘から抜いた。封術の紋様が深く刻まれた細身の刀身が現れる。
その細い刃を見た時、リュウガの中にも色々な想いが駆け巡ったが、それを断ち切るかのようにリュウガは魔笛の歌口に口を添えた。
帝国府を外壁を撫でる漣の上に、再び魔笛の音色が舞い踊った。
綺麗だった。とても綺麗だった。
上手いとか下手とか、そう言う次元では説明が出来ない。とにかく彼女の奏でる音色は綺麗だった。
リュウガの奏でる旋律に合わせる様に、魔笛の刀身がほのかに光り輝き出した。これは魔笛に秘められた魔王アムドゥシアスの魔力が、奏者の音色に答えて、己の魔力を貸し与えようとしている証拠だ。
アリシアが何度やっても出来なかった音色。親友だった白い一角獣の命を取り戻そうと必死になって吹いても、最後まで出せなかった音色。
リュウガの奏でる魔笛の音色はそれ程美しく優しく、そして、儚げだった。
想いを込めるように奏でた旋律が静かに終わる。リュウガは再び魔笛を鞘に戻した。
「アリシア……わたしの妹があなたより強い魔法使いになれたら、その時、彼女に渡してもらえますか?」
リュウガは、アリシアに告げた。
「……わたしが持ってても、無くしちゃうかもしれないから……」
「……そう」
アリシアはその言葉を聞いて、静かに頷いた。
「無くしちゃうかもしれない」それは彼女の覚悟の言葉だ。
リュウガはちゃんと生きて返って来るつもりだ。でもそれ以上に命を懸けて戦わなければならない覚悟も、ちゃんと出来ていることを、アリシアは知っている。
「それで良いの? あの娘があたしより強くなれるなんて一生ないかも知れないわよ?」
「でも、その道具はわたしの大切な親友の下にずっとあることになるんですから、わたしはそれでもかまわないですよ」
リュウガがアリシアの前に魔笛を差し出した。
「何よこれは?」
アリシアが訝しる。
彼女の前に出された魔導器の上には、薄蒼の綺麗な布が添えられていた。
「これも、もう一度預かっていて欲しいんです」
何時ものポニーテイルでは無く、黒髪を下まで下ろしたリュウガが言う。
「これはあんたに返した筈よ?」
そう言いながらもアリシアは、魔笛と共に水の衣も受け取っていた。彼女もリュウガが今考えている気持ちが、手に取るように判ったからだ。
「わたしは魔法が使えないです。だからこの水の衣に秘められた力もわたしでは引き出すことが出来ないです。だからこの力が必要な時は、あなたがこれを使ってください。それに」
リュウガはそこで一端思いつめたように言葉を切り、そして続けた。
「これまで無くしちゃったら、わたし嫌ですし……」
「だったら妹に預ければ良いじゃない」
アリシアがすぐさま切り替えした。魔笛はともかく、何故こんな大事なものまで自分に渡すのだ。
そしてその時アリシアは、自分の台詞を聞いて悲しそうにしている彼女を見た。
「……」
アリシアはその顔を見て、自分も決心した。
彼女の想いに全てを委ねようと。
アリシアは、自分の手にある二つの道具に秘められた想いを表すように、考え深げに口を開いた。
「……わかったわ。でもね、これは借りるだけよ? あんたちゃんと返してもらいに来なさいよ? これは約束だからね。あたしは約束の守れない奴は嫌いだからね」
「うん……」
アリシアらしい台詞を聞けて、リュウガも満足そうに微笑んだ。
「……」
二人の間に静かな時間が流れていた。
何時の間にか、リュウガの瞳に涙が溜まっていた。
「……アリシア、見てもらえますか……」
その言葉の後、リュウガの背にボゥッと何かが爆ぜる音が聞こえた。
次の瞬間、背に広げられる、焔で出来た黒い翼。
夢の中で見たのと同じだ。
自分が悪魔の力を得る為に、この地上に堕ちてきた堕天使だと言った、あいつが背に生やした羽とまったく同じだ。
綺麗だった。本当に綺麗だった。
「アリシア……この姿を見ても、この恐ろしい姿を見ても……わたしの友達でいてくれますか……?」
その言葉を聞いた時アリシアは、夢の中での告白を思い出した。
「なにいつまでそんなうじうじしてんのよ!!」
リュウガの胸倉を掴みあげながら、アリシアが叫んだ。
「あたしはそんな化物の友達になった憶えはないわよ」
声を荒げて睨みあげた。
「あたしが親友になった奴が、たまたまそんな力を持ってたってだけ。ただそれだけのことよ。なに、自分は特別みたいなこと言ってんのよぉ!!」
アリシアはもう一度告白した。夢の中じゃなく、本当に親友の目の前で。
「……アリシア」
リュウガは涙をぼろぼろと零していた。
アリシアの台詞を聞いた瞬間から、涙が止まらなくなっていた。
「なによ、あんたちゃんと泣けるんじゃないの。それだけ泣ければ、あんたも普通の女の子じゃない。どこが特別なのよ?」
その乱暴な台詞が、嬉しかった。心の奥まで染み込んできた。
気付いたらリュウガは、彼女の身体に身を寄せていた。
普段はそんなことをされると嫌がるアリシアも、今ばかりは黙って自分の胸を貸していた。
「……早く泣き止みなさいよ。あたしだって恥ずかしいんだから」
そんな事を言いながらも、リュウガの頭を優しく撫でている。
慣れていないようなぎこちない手の動きに合わせて、リュウガの耳が揺れていた。
「うん……」
アリシアは、リュウガが背に生やした翼に触ってみた。
炎の様に燃えている筈なのに、全然熱くない。不思議な温かさだ。優しい温かさ。
「この羽ずいぶんとあったかいわね。これはあんたの心の温かさと同じなのね」
「……明日になっちゃったね」
「うん、そうですね」
帝国府内のリュウガの自室。
寝巻き姿の二人の姉妹が、窓から外を見つめている。
窓からは静かに揺れる漣と、その上を照らす三日月が見えていた。
リュウナが姉のふくらはぎまで届く黒髪を、丁寧に梳かしていた。リュウガは妹に身を任せ、静かにベッドに座っていた。
姉の頭からは、何時も付けている水の衣が消えていた。それは幼友達との変わらない絆の証だ。
でも妹も、そんな大事なものが無くなっていたとしても、姉には一言も訊かなかった。
自分も全ては姉の想いに従うだけだ。
しかし姉にとって大切なものは、自分にとっても大切なものである筈だった。
それが自分には一切の断りもなしに突然無くなった事実が、彼女の心を一瞬揺らがせた。
「……わたし、結局なんにもできないのかな?」
長い髪を梳かす手が止まった。
「わたしにも普通に龍焔の力が使えれば、わたしもおねえちゃん達の助けができるんじゃないのかな……」
妹が姉の事を見上げる。
その顔には涙がいっぱい溜まっていた。
「ごめんなさい……なんでわたしって、いつまでも泣き虫なんだろう」
そう言いながら、寝巻きの袖で、瞳を拭った。
「リュウナが、泣き虫なのは、今まで泣くことの出来なかったわたしの分まで泣いていてくれてたからですから、それはしょうがないですよ」
そう言いながら、まだ妹の瞳に溜まっていた涙を、指で拭った。
「……戦いっていうのは、前に出て戦う兵隊達だけでは、戦えないんです」
リュウガが静かに語り始めた。
「確かに剣や弓を持って前線に出て戦う兵士達がいなければ戦いはできません。でもですね、後に控えて兵士達にご飯を作ってくれるひと達も大事ですし、傷付いた兵士達を手当てしてくれる看護士達も大事で重要な役目なんですよ」
「……」
妹の頭に手を乗せる。そしてゆっくりと優しく撫でる。
「こういう言い方しちゃ本当はいけないんですけど、リュウナって言うわたしの代わりになってくれるひとがいるから、わたしは全力で戦えるんですよ」
「……おねえちゃん、わたし……」
リュウナはなんて言って良いのか解からなかった。
「とにかく、あなたの一番の仕事は、みんなの帰りを待っていることです」
戸惑いを見せた妹に、姉が優しく続ける。
「大丈夫、わたしもちゃんと帰ってきますから、リュウナはおいしいご飯でも作っといて待ってて下さい」
「……うん」
十三機の機械神が遂に、フィーネ砂漠に着いた。
十一器に数を減らした、黄道の封印、ゾディアック。
「柱を一本を失ったあの状態では、本当にもう直ぐ壊れるわね」
十弐號機「ダーク・サンダー」に乗るアリシアが言う。
確かに柱の一角を失ったこの不安定な状態では、もはやこの封印は、後数刻の寿命だった。
「遂にこの時が来たのか」
十一號機「ダーク・ゲイル」のガルアが、独り言の様に呟く。
リュウガは無言だった。そしてレイも無言だった。
十参號機「ダーク・インフェルノ」を駆る二人は、既にこの時点では覚悟は決まっていたのかも知れない。
「……壊れるぞ」
その言葉の後、巨大な構造物が大地に落ちる音が、十一聞こえた。
轟音を伴って封印の柱が大地に落ちていく。
壊れ行く黄道の封印。
ゾディアックが砂の海に沈んだ時、その力によって封印されていた歪んだ空間が徐々に元に戻り始めた。
全ての黄道の封印がくず折れた時、其処に現れた一つの存在。
終わりの鐘を鳴らす者。
「破壊神エンドベル」
誰もが身動きひとつ出来ず、その姿を見つめていた。
この世界を一度終末に変えた恐るべき存在が、今再び現れた。