三十二話 罪と罰
メスメルの育った場所は人里離れた山奥だった。場所自体はバーラトの何処かではあったが、人々の多く住む街からは随分と遠い場所だった。
親が一人に子供達が四、五人。メスメルはその中の一人だった。
外界からほぼ遮断された世界で、メスメル達は育った。
元気に遊ぶ子供達の中に彼もいた。
しかしある時、メスメルは自分の身体の異変に気付いた。
他の子供が楽に飛び上がれるような二メートル程の段差を、メスメルは全く乗り越えられない。また無理をして乗り越えようとすると怪我をする。そして皮が破れて血が噴き出した傷口は、他の子供のように直ぐには治らない。しかも自分の身体から出た赤い血が、他の生き物を傷付けていた。
彼は自分は病気なのだと思った。そして親に訊いた。
自分の親は、何も言わなかった。いや、何も言えなかったのだと、後になって気付いた。
子供達は日増しに大きくなって行った。それに連れて、メスメルと他の子供達の能力差が徐々に大きくなっていった。
そして彼が、自分が他の子供達に比べてあらゆる能力が余りにも劣ることに疑問を持ち始めるのは当然とも言えた。
メスメルは自分の思いを親にぶちまけた。
そして親は、重い口を開いた。
メスメルは戦災孤児だった。生まれてすぐ両親と死別した。そしてこの親に拾われた。
そしてこの育ての親は、ディフュームの魔法使いだった。
そして知った。
他の子供達は皆身体能力に優れるディフュームであり、自分一人があらゆる能力に劣る人間である事を。
全てを語りながら、育ての親は、今までずっと被っていたローブのフードを脱いだ。
耳が無かった。ディフュームである事を捨てる為に、自ら切り落としたと言った。
自分はディフュームの世界で大罪を犯し、この人間世界に逃げてきたのだと言う。造ってはいけない封印された龍機兵を創ってしまったのだと言う。
ディフューム達にとって凶々しき存在である爆装機を、己の探究心の余り創りあげてしまい、それを知った魔導教会に追われる立場となってしまったのだ。
当時は若気に走っていたこともあり、素直に投降することは考えず、この人間の多く住む土地まで逃げてきてしまったのだと言う。
そして年を重ね、自分の罪の大きさに気付いた魔導士は、各地を周り、戦災によって親を失った者をこうして引き取り、育てだしたのだと言う。人間の世界の近くでディフュームの子が親と離れた場合、どのような酷い結末が待っているか判らない。だからこの魔導士は戦地に置き去りにされたディフュームの子を、積極的に保護していたらしい。
そしてその中に一人だけ人間の子が混じった。例え人間の子が入っても、他の子と変わらない愛情で接すれば問題は無いと、魔導士は思った。
しかし、心は満たされ始めても、身体の方がそれに着いて行けなくなっていた。
あらゆる能力に劣る自分。それは人間と言う名の生き物。
他のディフュームの子達は、それでも自分に優しくしてくれたが、メスメルにはそれが徐々に耐えられなくなってきた。
彼等は純粋な気持ちで優しくしてくれていたのだと今でも思う。しかし自分には、強者が弱者に与える驕った慈愛にしか思えてならなかった。
メスメルはそのディフュームの優しさと身体の強さに危険を感じ始めた。これでは人間と言う霊長類はまったく必要無いではないか。
確かに自分の親は自分の事を息子と言ってくれてはいるが、所詮自分は人間。ディフュームの親よりも早く死んでしまう弱き者だ。
親よりも子供の方が早く死んでしまう事は、最大の親不孝と言われる。
そして自分はその運命からは逃れられない。
彼は心すらも満たされなくなった。
そしてメスメルは本能的に危険を感じ始めた。
自分の中にある本能。
自分達よりも強い者を追い落とし、常に自分達を頂点に居続けさせている「人間の本能」が働き始めた。
彼は親である魔法使いに魔法の使い方を教えてもらった。
必死に勉強した。寝食も忘れて勉強した。常にあらゆる能力値で上回るディフュームが相手では、こちらも限界まで身体を酷使しなければ勝てない。
数年が経った時、メスメルは親の魔導士の持つ魔導の知識を全て習得した。勿論禁断の兵器、爆装機も含めてだ。
そして自分達人間が再び霊長に居続ける為の一歩として、自分の手で親を殺した。親に教えてもらった魔法で。そして一緒に育った子供達も殺した。
その時既にメスメルの中には、例え自分の育ての親だったとしても、そして同じに育った兄弟だとしても、ディフュームと言う種族を同じ生き物として見る気持ちが無くなっていたのかも知れない。
実はメスメルの養父は、人間達の酸化した血液をどうにか元に戻そうと研究していた。
だがその行為すらも、自分を実験材料にしようとしている、魔法使いとしての探究心から来るものだとメスメルは感じた。
しかしその義理の父親が取っていた行動は、自分を、そして人間達を生かそうとする善意の行為であることはメスメルにも充分解かっていた。
しかし彼は、自分を実験の材料にしている行為だと感じた。いや、そう思い込むことにしたのだ。
「……父さん……みんな」
親と兄弟達を殺したメスメルの瞳には、いっぱいの涙が溜まっていた。
メスメルは、最も人間達が数多く住む場所、アルビオン連邦に来た。
彼はこの地に、人間世界の魔法使いを取りまとめる組織、魔法管理委員会があるのを既に知っていた。
委員会に赴き、彼は自分に職を与えてくれと頼んだ。既に中堅以上の能力を持っていたメスメルには、すぐさま委員会内での、若手魔導士の管理の仕事が任された。
数多くの若い魔法使い達を見て、メスメルはますます人間の弱さを感じる様になる。
若者達は余りにも弱かった。酸性を帯びた血液が若い世代の者達を更に弱くしていた。
このままでは人間と言う種が滅び行くことは、確実に訪れる未来の姿だ。
そしてその滅び行く理由も、浄化されつつある大地に、死灰に侵されている人間の身体が絶えられなくなると言う、余りにも当たり前な理由だ。
このまま滅ぶのも、また自然の理なのだろうと。
だが、生き残るのは自分達より遥かに優れた者達、ディフュームだ。
メスメルの中に、子供の頃に感じた劣等感が蘇った。
あの優れた者達にそう易々と楽園をくれてやるのも、何かしゃくに障るものがある。なにか試練を与えてやろう。
メスメルは一つのゲームを仕組むことにした。
人間とディフューム、どちらか一つだけが生き残る、種の命を懸けた死のゲームだ。
メスメルは養父の残した研究を引き継ぎ、人間の寿命を延ばす手段を開発した。
それが俗に言う「血抜き」だ。
そして自分達の寿命を縮める現況を突き止めた。
この浄化されつつある水と大気に人間の身体が適応できなくなって、徐々に寿命が縮まっているのは判っている。問題はこの世界を浄化させている現況だ。そしてそれが月出列島の中心生える龍の世界樹であることが判った。
「血抜き」の始動と「龍の世界樹」の破壊。とりあえずこの二つを達成すれば、人間の種の絶滅は一応止まる。
だが、この二つを達成した場合、これを上回る災厄が世界に訪れる。破壊神の復活だ。
龍の世界樹が無くなれば、破壊神にとっては居心地の良い世界のままであるのだろうし、ディフュームと言う、いずれは破壊神を倒してくれるであろう強力な生き物も居なくなる。
今の弱体化した人間の力では、破壊神を完全に消滅させるにはどれだけの時間が掛かるかは解かったものではない。
そう、自分達の都合を優先させればまた再びこの世は混乱に支配され、破壊神によって世界は破壊される。
人間と言う一つの種を残す為に、他の種の者達全てが被害を被る。これは果たして許される行為なのだろうか?
そこでメスメルは破壊神を何とか制御する方法は無いものかと、知らべ始めた。
そしてそれは見つかった。
元々は幾つもの破壊兵器が融合して生まれたのが破壊神だ。
ならば、その体内には個別の兵器として活動していた頃の、何らかの制御機構が存在している筈だ。
この場合、機構そのものが残っていなくてもなんらかの名残が残っていれば良かった。
その制御機構に強力な制御波を発し、破壊神を制御できるようにしようと。
メスメルが探し当てた文献には、破壊神を制御できるとされる暗号も表記されていた。
だが、問題はその発生器にあった。
何しろ相手はこの世界を丸ごと破壊しかねないほどの強力な力を持った相手だ。こちらも相当強力な力を用意しなけらばならない。
メスメルは既にこの時点で、魔法管理委員会を統括する超高位魔導士の一人となっていた。
今では彼の下には、下賎の者では知るよしもない情報が数多く集まるようになっていた。
その中に「龍焔炉」と言うものがあった。
それは後の歴史に「終末大戦」と記される、激しい戦いの後の話だ。
ゾディアックによって動きを封じられた破壊神の眠るフィーネ砂漠には、その破壊神と戦った機神パラフレイズの残骸が横たわっていた。
大戦の後、少数の人間たちがその地に赴いたらしい。当時は強烈な死灰が充満する世界でも、なんとか行動できる防護服のような物があったらしかった。
その時に、龍焔炉の積まれた機神の首を回収していた。
本当は機神本体も回収したかったらしかったが、余りにも巨大だった為、他の部品はそのまま放置してきたらしかった。その後パラフレイズの本体は、中央大陸を中心に根付き始めたディフューム達が回収し、帝国府の中に安置するようになる。
メスメルはこれを元に、この龍焔炉の力を擬似的に取り出すことを可能とした高出力炉「疑似龍焔炉」とその制御装置を創りあげるに至る。無論、父親の残した爆装機の製造技術も流用されているのは言うまでも無かった。
しかしこの紛い物の龍焔炉の力では、この装置を稼動させるには力不足という事が判明した。
元々の龍焔炉を使うことも考えたが、今の技術ではこれだけ小型の物を作ることは出来ない。そしていずれ何らかの理由でこの龍焔炉程の大パワーを持った機動兵器が必要となる日が来るに違いなかった。その為に、本物の龍焔炉は残しておく必要があった。
そして人間が作った非力な動力でも、破壊神を制御できるほどの強力な力に増幅してくれる唯一のものがこの地上に存在することも解かった。
それが帝国府の中に存在する対破壊神剣「ラグナレク」なのだった。
このラグナレクを構成する巨大な単一結晶合金が、強力な増幅器として機能するのである。
道具は全て揃った。
メスメルはまず己の立場の足固めを行なう事にした。自分をこの計画の主導者に出来る誰かを用意しなければならない。
その時、一人の若き政治家を見つけた。名をクリストファークリストバルと言う二世議員だった。
彼には政治家としての才能は殆ど無かったが、弁舌は立った。
先を見通す力と言う政治家としての基本的能力が無い代わりに、今の現状を何とか言いくるめる才能には長けていた。
そして二世議員と言う立場。それなりにコネクションもあるし、金もある。裏から指示を出してやれば使える男だ。利用するには最適な素材だった。
メスメルはこの男に近付き、一流の政治家に見えるように仕立て上げた。勿論メスメルも、常に下出に周る善意の協力者である立場を演じるのを忘れなかった。
元々二世議員特有の帝王気質が身に付いていたクリストファーは、最初はこの魔法使いの協力者を得体の知れない気持ち悪い奴ぐらいにしか思っていなかった。
しかし、彼の助言に従って演説をすると、驚く程に観衆は自分の喋りに魅せられていた。
メスメルの先を見通した言葉に、クリストファーの持って生まれた弁舌力があれば、大衆を狂喜させるのは簡単だった。勿論メスメルも観衆を魅了出来るのはクリストファーの力が全てであると、相手を煽てるのを忘れなかった。
すっかり有頂天になったクリストファーはメスメルの意見を全て正しいものとして、自分の口から垂れ流しにしていた。彼の民衆への人気はうなぎ登りになった。
その後クリストファー・クリストバルは、自分達を延命させられる「血抜き」と破壊神を操れる「従神器」の二つを武器にして、政界の頂点に立ち、今では宰相の地位に納まった。勿論その全てがメスメルの算段であったことは言うまでも無かった。
事実上の枢機軍の最高司令官と成ったクリストバルより、メスメルはこの作戦を始動させる総責任者としての立場を任された。いわば人間社会の頂点に立ったことになる。
宰相になったクリストファーを始めとしてメスメルよりも上の立場にいる人間はまだいるだろうが、本当の意味で人間の王になったのはメスメルだ。
だが特に喜ばしく感じたこともなかった。
全ての実権を握ったあとは、配下の者にあらかた任せ、自分は最前線へと赴く事が多くなった。
後ろでふんぞり返って命令しているよりも、最近手に入れたヴァッシュという剣士の動向を見ている方が、よっぽど楽しかった。
後になって、この人間が生き残る術の殆ど全ては、創造神アルテアがこの人間世界に初めから残していったものだと知ることになるのだが、メスメルにとってはどうでも良いことだった。
人間世界の上層部の者達は、龍の世界樹の事を「自分達の寿命を減らし続ける死灰を撒き散らす現況」と、実際とは全く逆のことを国民達に教えている。それは子供達の習う教科書にも載っていることだ。
確かに人間達の寿命を減らす現況であるのは間違い無いのだが、死灰を撒くと言うのは全く逆だ。
そして更に、ディフューム達はその龍の世界樹を守る事によって、自分達人間を滅ぼそうとしている者たちと教え込ませていた。
そしてディフューム達と戦う事は自分達を死灰の地獄から開放する為の「聖戦」と教えている。
これにより、今までバラバラだった各国家を一つにまとめ、ディフュームを自分達が倒すべき共通の敵として位置付け、国家間連合を作り上げることを可能とした。
また、ある程度必要無いと判断された地域はディフュームの侵攻軍に化けた人間の軍隊により、ディフュームのやったこととして処理され、国民にもそう伝えられていた。
ディフュームを常に仮想的とし戦争と言う危機的状況を作り続け、なんとか人間達は纏まっていたのだ。
「血抜きで得られた血液は、上層部の者へ優先的に回してはいますが、それでも絶対的な数が足りません」
「やはり効率的に繁殖させる方法を考え出さないとならんな」
「最悪、下流の者たちは見捨ててもかまわん。強い物が生き残り、より強い血を残していかなければならないからな」
「しかし我々の先祖も厄介なものを残してくれたもんだ。まさかこの雨と空気に、俺たち人間の方が絶えられなくなってきているとはな」
「ディフュームの身体は大丈夫なのか?」
「あいつらは大戦の後に生まれてきた種族だ。普通の水も死灰入りの水も両方耐えられるように出来ているだろうさ」
「だったら俺たちも、この死灰の世界に順応できる身体を手にしない方が良かったのだろうな」
「いや、それでは今までこの地上で生きて来れなかった。お前は千年もの間ずっと地下で生きることを望んだか?」
「千年か……それだけの時間を耐えていれば、徐々に死灰が消えつつあるこの地上でも何不自由なく生きて行けたのか。ディフュームたちを利用することなく」
「そういうことになるな。だがな、今の俺たちがこの世界で生きて行けなくなりつつあるのは、どうにも曲げようが無い」
「……すべて、後の祭りということか」
「メスメル、お前自身は血抜きを使わないのか?」
ある時ヴァッシュは、メスメルに訊いた。
「延命技術を発明したのは他ならぬお前だろう?」
「血抜きなど使わなくとも、人間は五〇年は生きられる。それだけ生きられれば充分だろう?」
メスメルは何でもないことのように答えた。
「血抜きは元々、俺が政治世界で上にのし上がるために用意したカードの一つに過ぎん。何しろ自分達の年々短くなる寿命を延ばせるんだからな。無能な高官ほど良く食いついてくれたもんだよ。自分達の種の寿命を延ばし、尚且つ目障りなディフュームどもを良い理由を付けて狩り取ることができる」
「じゃあ、なんで血抜きなんて面倒くさいものを作った?」
「これは俺の仕組んだゲームだ」
ヴァッシュの言葉に、口元に妖しい笑みを浮かべながらメスメルが答えた。
「人間ていう生き物はな、こういうどうでも良いことに対して、自分の実力以上のものを発揮できるものなんだよ」
南バーラト大陸東海岸線のほぼ中央に、太古の昔よりハイカグラを守ってきた地下工場はある。ここは人間世界で唯一龍機兵を一から製造できる場所であり、この要所を中心としてアルビオン連邦は大きくなっていった。
そしてこの巨大地下工場を中心に都市は発展していき、何時しかそこはアルビオン連邦首都、エンディミオンとなっていた。
「……ぅ」
歩いていたメスメルは突然の目眩に襲われた。
「大丈夫ですか!? メスメル様!!」
側にいた側近の一人が、倒れかかった彼の身体を支えた。
「ああ、すまんな、過労に即した貧血だ」
側近に手伝ってもらい、姿勢を正した。
「やはり歳には勝てんな。今日にでも死んでしまいそうだ」
「な!? ご冗談が過ぎますよ!?」
もう直ぐ五〇の届こうとする自分の年齢を改めて感じて苦笑する。
「ジブラルタルはどうなっている?」
「はい、ヴァッシュ卿と龍焔炉を無事回収した後は、ソレイユのドックに於いて調整作業についております」
「そうか」
メスメルが空を見上げた。巨大な物体が空に浮かび、大きな影を落としていた。
工場上空には、要塞艦インビンシブルが五百万トンを越える巨体を、宙に浮かべていた。
あれだけの大質量を宙に浮かべること事態凄いことではあるが、あれが浮揚力を失い大地に落下した時の被害を考えると空恐ろしくなる。最もこの要塞艦の帰還を決定したクリストバルはそんなことは露ほども感じてはいないだろうが。
そして、それすらも吹き飛ばす程の更なる恐怖が、その下にはある。
破壊神エンドベルが要塞艦の上に立ち、羽をたたんで静かに佇んでいた。
動く気配は無いように見えた。
「!?」
その時其処にいた作業員達は、一瞬時間が止まったかのような錯覚に陥った。
そしてその直後、身体が無理矢理浮き上がるような、気持ちの悪い浮遊感に襲われた。
「なんだ……この感覚は」
その時、悲鳴が上がった。
其処にいた全員が、その声のした方に顔を向けた。
そして見た。
再び開かれた破壊神の真っ赤な瞳を。
その直後、工場全体が閃光に包まれた。
「何!? 破壊神が暴走!? 工場が壊滅!?」
これから行政区で会議の予定だったクリストバル宰相は、側近の報告に声を荒げた。
「どう言うことだ、それは!?」
「判りません、しかし我々の手の施しようがない事態まで進んでいるのは確かです!」
「それはどう言うことだ?」
もどかしさを訴える様に、クリストバルが同じ言葉を繰り返す。
「工場施設を破壊した後も、破壊神はその場に留まったままです。そしてその場所に、膨大なエネルギーが集束しているのが確認されています。そしてその力が徐々に膨れ上がっているのです!」
「なに!?」
「破壊神の周りに漂うエネルギーは、毎分一〇メートル程の速度で膨張しています。そのエネルギーに触れたものは、瞬時に消滅しています。このエンディミオンが飲み込まれるのも時間の問題です!」
「従神器は!? 従神器はどうなったのだ!? 神を操る道具だろ!? その為に莫大な予算を投じ、各国の宰相をねじ伏せてでも造ったのだぞ!? 従神器は何をやっているのだ!? その為に態々このアルビオンまで帰還させたのだろう!!」
慌てだした宰相をなだめるように、側近が静かに言う。
「技術者達によると、その従神器そのものが破壊神に乗っ取られたと答えています。やはり制御が効く内に早々に処分しておいた方が良かったと……」
クリストバルの顔が蒼白になる。もう打つ手は無いのか? いやそんな筈は無い筈だ。まだ誰かが何とかしてくれる筈だ。
「クリストバル宰相、枢機軍の最高司令官として、御指示を下さい」
クリストバルクリストファーは今の今まで、自分自身が人類の全ての命を預かる役にいるとは露ほども感じていなかった。自分は常に誰かの指示に従っていれば良いだけだった。それだけで人間世界の王に君臨してこれたのだ。
今だって誰かが助けてくれる筈だ……誰かが
「そうだ、メスメル卿! メスメル卿はどこにいるのだ!? 彼ならば何とかしてくれる筈だ」
「……メスメル様なら、本日は行政区においでですが……専用のお部屋に居られる筈です」
側近の言葉を最後まで聞くのももどかしく、クリストバルは藁をも縋る思いで、飛び出した。
「光……破滅の光か」
メスメルカーツは、行政区内の自分専用の執務室から、徐々に迫ってくる光の奔流を見つめていた。
「お前も、もう逃げた方が良いぞ。ここも直に飲み込まれる」
その言葉を聞いて側近の女魔法使いはかぶりを振った。
「……メスメル様は、もうご存知なのでしょう? この戦争、我々人間には勝つ見込みが無いということを」
「戦争? これは戦いなんてもんじゃない。これはゲームだ。死を懸けたゲーム。戦争なんて神聖なもんじゃないよ、始めからな」
「なら、私もここに残ります。今生き残ったとしても、死ぬのが多少遅くなるだけですからね」
「……そうか」
メスメルは目を瞑った。
「眠いな……」
「コーヒーでもお煎れしましょうか?」
「……そうだな……眠けの覚める、濃いのを頼む……」
その言葉を最後に、メスメルは静かになった。
「……はい」
「大変です!! メスメル卿!!」
クリストバルが血相を変えて入ってきた。
「メスメル卿!!」
専用の執務室に、メスメルはいた。側近の一人のローブ姿の女が、コーヒーを煎れている所だった。その女が泣きながら脇のテーブルにカップを置くのが一瞬気になったが、事態は全てを先送りさせた。
「メスメル卿!! 寝ている場合ではありません!! メスメル卿!!」
目を瞑ったままのメスメルの身体を揺り動かす。クリストバルにはまるで呑気にうたた寝をしている様に見えた。
「宰相様……もう、メスメル様を休ませてあげてください」
側に控えたままの側近の女が言ってきた。
「は!? どう言うことだそれは!?」
この大変な事態に、随分と見当違いの事をぬかす相手に、クリストバルは怒りを覚えた。
女は涙を零しながら続けた。
「メスメル様は先ほどお亡くなりになられたのです」
「死んだ!? メスメル卿が死んだだとぉ!!!」
余りの予想外の言葉にクリストバルは、今自分が居るのがこの世なのかそれとも夢の中なのかも、判断がつきかねて来た。
「何故だ!? 何故死んだのか!? 暗殺か!? 暴動か!?」
「……寿命です」
側近は、クリストバル思考を完全に超えた答えを教えた。
「寿命!? そんな馬鹿な話があるか!? 我々人間の寿命を延ばす血抜きを発明したのは、このメスメル卿だぞ!! なんでその本人が寿命で死ななきゃならんのだ!! お前は俺を馬鹿にしているのか!!」
宰相とは思えない下劣な口振りを聞いても、側近の女は落ち着いた物腰を崩さずに続けた。
「血抜きなど使わなくとも、人間は五〇年は生きられる。それだけ生きられれば充分だと……それがメスメル様のお言葉でした」
それを聞いた時、クリストバルの顔がみるみる赤熱していった。
「この野郎! 勝手に死にやがって!! 俺の輝かしい未来はどうしてくれるんだ!! お前の口車に乗った所為でこんな事になっちまったぞ! 責任を取れ!!!」
クリストバルはメスメルの亡骸に掴みかかり、自分勝手な悪口雑言を並べ立てた。
側近の女魔法使いは、死んだ者にさえ泣きつこうとする自分達の宰相の姿に、哀れみを感じていた。
そしてクリストバルがメスメルの遺体に殴りかかろうとした時、それまでゆっくりと迫ってきた光の奔流が、突然凄まじい光を放った。
「わ!! 助けてくれ!!!」
クリストファークリストバルの情けない叫び声を聞きながら、側近の女性は先に逝ってしまった主の変わりに、全てを破滅させる光をずっと見つめていた。
そこには、なにもなくなっていた。
街も、山も、川も。
生い茂る自然も、野を駆ける動物たちも。
そして人も。
南バーラト大陸と言われていた場所は、荒涼とした大地が広がるだけの土地になっていた。生きる脈動を全く感じられない、死の大地。
そして、何も無くなった筈の地に、二つの物体があった。
一つは破壊神と呼ばれる者。この世界を終末に変える為に現れた存在。
一つは従神器と呼ばれるもの。神を操る為に創られた愚物。そして今は神に従う哀れな僕。
全てが消えた大地に、その二つだけがあった。
やはり人間は神を操ることは出来なかった。