三十五話 十六夜の永遠
なんだかとてもふわふわとした気分だった。宙に浮いているような感じ。
まるで天使にでもなって、空に浮かんでいるような……
天使? じゃあここは天国?
確かにあの時、わたしは死んだ筈だけど、でも、天国にいるのはおかしい。
いっぱいの血を浴びてきた自分は、間違いなく地獄に行くはずだ。
じゃあ、なんで天国にいるの?
その疑問は彼女の頭を、徐々に覚醒に導いた。
瞳を開く。天井が見える。無機質な鉄材を組んで作られた白い天井。
そして天井だけでは無く、この部屋全体が白く染められていた。
白い空間の中に作りつけられたベッドの上で、自分は寝袋のようなものの中に寝かされていた。
……ベッドの上で寝袋? あれ? 同じ寝るための道具ではあるけれど、随分と不思議な取り合わせだと思う。
首を横に向ける。そこには一人の青年の姿があった。
誰だろう? でも確かにどこかで逢った事がある。正確に言えば、どこかで逢ったひとに良く似ている。
大切なひと。
子供の頃の大切な時間を共に過ごした大切な友達。
そのひとが成長していたら、多分こんな姿になっていたと思う。
「……レイ君、ですか?」
リュウガは多分そのひとであろう名前で呼んでみた。
「うん……やっと、目を覚ましてくれたね」
青年は、安心した様にゆっくりと微笑んだ。女の子みたいなあどけない笑顔。
それは、めったに笑わなかった子供の時の彼が、少しだけ見せてくれた笑顔と同じだった。
確かに彼はかけがえのない幼友達のレイだ。
「レイ君、ここは天国ですか?」
「確かに天国には近いかも知れないね。でも天国じゃないよ。僕たちはまだ死んではいないんだ」
「……え!?」
眠っていた機能が再び目を覚ます。
今まで休眠状態にあったレイの思考が再び覚醒する。
『……生きているのか?』
視界を取り戻した硝子製の瞳が、周囲の光景を映しだし始めた。
『しかし……こんなところまで飛ばされたのか』
「ZERO」の頭部に付いた両目から見た光景の先には、灰色の球体が見えていた。
丸くくり抜かれたような地表が見える、生き物の生存がまったく感じられない星。
地上に住む者が月と呼ぶ天体だ。
そしてその灰色の星の先に見える、青い大きな星。
所々白や茶色に彩られ、その姿は真っ黒な空間に美しく輝いている。
地球。この月の主である蒼い星がその名で呼ばれなくなって、もう千年もの時が経っていた。
「ZERO」は黒い空間に浮かんでいた。
どこまでも続く漆黒の空間には、小さな光の粒が幾つも浮かんでいる。
宇宙と言われる星の海。
その黒い海に「ZERO」と蒼い星は浮かんでいる。
機体の機能がほぼ回復してきた。
あれからどれだけの時間が経ったのだろう?
エンドベルを倒す為、黒き龍焔は最大出力で龍焔炉を稼動させ、その力を敵に叩き付けた。
そして暴走寸前の炉を止める為、黒き龍焔は予め装備されていた安全装置を作動させた。
それは龍焔炉に火を入れる為に搭載された十二機の縮退炉の力を開放し、其処に生じた重力星に暴走寸前の龍焔炉を積んだままの黒き龍焔の頭部「ZERO」を投げ込む。そして重力星によって発生した超重力により全てのものを押し潰し、この世界そのものを破壊する力を処分する。
『しかし、僕は生きている……どうして?』
レイはその時、重力星に押し潰されて死んでいた筈だった。自分の身体である「ZERO」も、そして自分の腹の中にいる、大切なひとも。
レイは自分達が生き残った理由について計算してみた。
自分の本来の仕事は、こう言った演算作業だ。
だが、直ぐに答えは出なかった。あの状況の中、自分達が助かる可能性を持ったものが、まったくと言っていいほど見つからない。
『……奇跡?』
レイはその言葉を頭に浮かべた時、頭の中でつい笑ってしまった。
機械仕掛けのからくり人形でしかない筈だった自分が「奇跡」なんて思いつくとは。
『自分もずいぶんと変わったな』
そこまで考えた時、自分をここまで変えてくれた存在のことを、思い出した。
自分自身の休眠機能は、操舞倉の中に乗る操士にまで及ぶ。
操舞倉内を冷却、操士を仮死状態にし、長期間の待機状態を保つ事が可能だ。
自分達は確かに助かった。だがこれ以上の行動を起こすには、更に何か自分達の助けになるものが必要だ。
黒い星の海から、あの蒼い星まで帰らなければならない。
レイは「ZERO」の頭部を旋回させた。
自分たちは、どうやら、地球の周回軌道上にいるらしい。背後に頭部を向けると、灰色の衛星が見える。
硝子製の瞳が、更に周囲の情報を集める。
『……あれは?』
自分の進む軌道の先に、一つの構造物を見つけた。
様々なブロックを繋ぎ合わせたような、全長一〇〇メートルほどの物体。
その本体に、四〇〇メートルはありそうな長い格子状に組まれたレールが付いている。
レイが自分の中にある情報庫から、詳細を引き出す。
廃棄された軌道上人工衛星。何かの実験施設か、それとも地上を監視する為の施設か。
その何百年も前に打ち捨てられたらしい鋼鉄の物体が目の前に迫っていた。
レイはその人工に格子状のレールに、一機の大型機が繋留されているのをを見つけた。
自分の中にある情報層は、太い胴に三角に近い翼を付けたあの機体を、大気圏再突入機であると伝えた。
レイは自分達が助かる可能性を求めて、廃棄された人工衛星に近付いていった。
『やっぱりこの大きさの衛星では、機体を丸ごと入れるエアロックは付いてないか』
衛星に取り付いたレイは「ZERO」の小型端末を人工衛星の外部出力に接続し、捨てられた衛星の状態を探っていた。
この衛星自体は月から地球まで貨物を運ぶ小型宇宙輸送船の中継基地として設置された人工衛星らしかった。そして五百年ほど前までは、実際に稼動していたらしい。
格子状のレールは宇宙船を打ち出す為のマスドライバーと呼ばれる電磁起動射出機らしい。
『それにしても、あの再突入機は使えるのか?』
破壊神が地上に降り立って千年。その千年前から宇宙から地上へは、一つも宇宙船は下りてきていない。宇宙に逃げた人間達は母なる大地を、第一級特別汚染区域として完全に見捨てていたのだ。
それを考えれば、あの再突入機は自分と同じ千年以上も前の代物となる。
衛星の外部端子から、繋留されたままの再突入機の状態を調べる。
流石にかなりの年代物だった。この「ZERO」の機体よりも建造年度は古い。
しかし、地上に降りる分には何とか使えそうなようだ。自分達を一回だけ運んでもらえれば良いだけなのだから、大気圏内に下りさえすれば、途中で分解しても後はなんとかなる。
胴体の輸送スペースも標準的な龍機兵を入れるにも充分な大きさがあった。自分の身体である「ZERO」の機体は標準よりはかなり大きいが、それでも入らない大きさではなかった。
レイは再突入機の方に移動すると、再び外部端子を操作して胴体の外部扉を開き、機体を中に入れた。
機体を固定し扉を閉めると、再び入力端末を使い、再突入機と中継基地内の機能を改めて調べ始めた。
空気貯蔵施設……ヒューマノイド一名を四十日間生活させられるだけの量を確認。
衛星内施設……一部の寝室、中央共有施設、医務室が使用可能。
水、食料……水に関しては真空梱包された物を少量確認。摂取可能かどうかは不明。食料に関しては一切の存在を確認出来ず。但し食堂施設そのものは使用可能。
修理施設……搭載された自動修理ロボットの内、二体が使用可能。但し使用には充電の必要があり。
動力……主動力の原子炉は稼動不能。ヒューマノイドを内部で生活させる為には、予備電源の高圧蓄電池だけでは四十日の稼働が限度。人工重力を発生した場合及び修理ロボットに充電した場合、更にその使用可能時間は減少する。マスドライバーの稼動は現在の高圧蓄電池の容量だけでは不可能。
再突入機……形式番号BX-33。船体名称「BouquetPray」ペイロード最大容量150t。機体耐久年数を八七四年オーバー。
射出機……長期間の未使用の為、稼動状態を維持しておらず。再運用には重度のメンテナンスが必要。
『マスドライバー以外は、なんとかなるか?』
レイは空気貯蔵庫を操作すると突入機内の輸送庫に空気を満たし始めた。
そして操舞倉内の温度を徐々に上げ、冷凍待機状態を解除していく。
『リュウガ、リュウガっ』
完全に常温となった操舞倉内に、レイが語りかける。
しかし、リュウガは眠ったまま、目を覚まさない。やはり誰かが何らかの手当てをしてやらなければ、元の状態に戻らないらしい。
だが、今ここにいるのはリュウガだけ。後は「ZERO」と、それを動かす自分だけ。
『……しかたないか』
「ZERO」の顔面部が静かに上下に開き始めた。そこに現れるのは生物の皮膚と骨を足したような表面をしたような球体。それはこの「ZERO」を動かす生体制御装置。そしてレイの本体。
レイの情報表示層に「デッドライン16」と表示される。
『やっぱりどんだけがんばっても十六日が限度か』
球体の表面が蠢き始めた。そしてその場所から何かが生え出てくる。そしてそれは瞬く間にひとの上半身のような形になり、いくらもしない内に球体から吐き出された。
あの時と同じ、小さな友達の側に行く為にした時と同じ様に、レイは再び生体制御装置の中から出てきた。
レイは器用に「ZERO」の胸部の方に流れていくと、開かれた操舞倉の扉に取り付いた。
再び間直で見ることの出来た幼友達の顔は、子供の時と変わらないあどけない寝顔を見せていた。
レイは眠ったままのリュウガの身体を抱えると、予め場所を調べてあった衛星内の医務室に向かった。
レイは眼を覚ましたリュウガに、ここに至るまでの自分が得た情報の全てを伝えた。
「……でも、どうやって助かったんですかね?」
リュウガは、水筒の水で久し振りに喉を湿らせていた。水筒自体は上部にストロー状の飲み口が固定された物だ。
これはレイが食堂施設から探してきてくれたものだった。
この星の海では重力がまったく無いので、口に含んでも自動的に胃に落ちていかず、何か不思議な飲み心地だった。
「うーん、僕もいっぱい考えたんだけどねぇ……」
レイも同じ様にストローを咥えながら考えていた。生体制御機構から出てきた時は素っ裸だった彼だが、今はTシャツと短パン姿だった。
これはリュウガが「ZERO」の操舞倉に入れておいた、自分の救護箱の中に入っていた着替えだった。
しかし、緊急用に軽めの物しか詰めていなかったので、このようなラフな格好になっていた。無論短パンの下の下着も女物だったが、レイも衣服を身に着けるのは子供の頃以来だったので、それほど気にしていない。
リュウガも着替えが無いので、決戦の時に着ていた剣士服のままだ。
「しいて言えば」
「はい?」
「相対性理論」
「そうたいせいりろん?」
レイが突然発した言葉に、リュウガがキョトンとなる。
「龍機兵なんかが主動力として積んでいる原子炉。あれを動かす原理を発明した科学者が提唱した理論だ」
原子炉自体の製造技術が確立したのは、終末大戦より遥か昔だ。
そんな自分の伺い知れない千年以上も前の話に、リュウガは更にきょと〜んとなってしまう。
「重力とは時空の歪み、光の進路や時の進みが重力場によって影響される。縮退炉が創りだした重力星に、僕たは飲み込まれた。そしてそのまま押し潰される筈だった。しかし何らかの作用によって僕たちは光子化し、光の速さを超え、重力星の時空の歪みを抜け、この星の海に弾き飛ばされた。多分その影響で僕たちは時間軸自体も数ヶ月分は飛び越している筈だ」
レイが続ける。ベッドのリュウガも、何とか理解しようと必死な顔だ。
「しかし、一瞬光の形に身体が分解されたとしても、その光さえも抜け出せない筈の、重力星の力から僕たちは脱出できた……なぜだと思う?」
「ZERO」を動かす計算力をもってしても、レイは答えが導き出せなかった。
「……龍の焔」
リュウガが、小さく呟いた。
「やっぱりリュウガもそう思う? 僕もそれぐらいしか答えを見つけられないんだ」
レイも苦笑しながら頷いた。
「龍の焔はこの真空を無尽蔵に満たしている零点放射の力を取り出すものだ。あの時、破壊神を対消滅させる為に、暴走寸前まで龍焔炉を動かした。その吐き出された途方もない力が、重力星の中から僕たちを助けてくれた……僕もそう言う考えしか思いつかないんだ」
「……お母さんが前に言ってました。龍の焔は世界を破壊出来るだけの力はあるけど、龍の焔自体は世界を滅ぼそうとは思っていないって……だから、助けてくれたんだと思います」
「それに、こうやって助かったのにも、何か意味があるのだと思います」
「意味?」
「うん……多分、このわたしたちの龍の焔を必要としているひと達がまだいるから。そのひと達の為に自分に与えられた力を使えって……そうなんだと思います」
「……うん」
リュウガの言葉にレイも頷いた。様々な要因が重なり合って自分達はここにいる筈だが、リュウガの今言った言葉が、自分達が生きている一番の答えだと思った。
「だから早くみんなのところに帰らなくちゃいけないですよね」
そこまで言うと、リュウガが少し心配そうな顔を見せた。
「レイ君、その、わたしたちは帰れるんですか、元の場所に?」
そう、リュウガ達は奇跡的に助かったとは言っても、ここは彼女達の世界である、地球と呼ばれる星では無い。
みんなが待っている場所へ早く戻らなければ、自分達が生きている意味も無かった。
「なんとか戻れると思うよ。僕の本体を入れてあるスペースシャトルも修理すれば何とか飛べるみたいだし」
「すぺーすしゃとる?」
リュウガはまた聞きなれない単語を聞いて、オウム返しに聞いてしまう。
「地上とこの星の海を往復できる船のことだよ。昔は地上に住む者も、空を越えてこの星の海に飛んでこれたんだよ」
レイは修理用ロボットを起動させると、マスドライバーの修復にあたらせた。
外に出ての作業となる為、今は生身に自分では出来ない修理をロボット達に任せる事にした。
リュウガは、身体が動けるようになると、レイのことを手伝い始めた。
二人で、再突入機の操縦席の調整をやっていた。
「レイ君、あれは空母のカタパルトと同じようなもんなんですか?」
船窓から見える、何本もの鉄骨を組み合わせて造られた射出機を見て、リュウガが質問する。
「うん、そうだね。基本的には電磁起動型のカタパルトと同じだね。出力は桁違いだけど」
「でも、この中にある電池だけでは動かないんですよね?」
リュウガが、先ほどレイが説明してくれた自分達の置かれた状況を思い出して、少し不安になった。
「そのことだったらマスドライバーの修理が終ったら『ZERO』の原子炉を蓄電池に繋ぐ作業をするから大丈夫」
「あ、そうですよね」
それを聞くとリュウガは安心したように機内の調整に戻った。
また再びてきぱきと手を動かし始める。
レイはその姿をみて一言呟いた。
「リュウガって、結構機械いじり得意だよね?」
「はい、親方さんから龍機兵の修理技術を叩き込まれましたし、信濃の艦長さんになるまでは、工作艦で働いていましたからね」
彼の言葉を聞いて照れくさそうに笑うリュウガ。
「リュウガは本当は、敵と戦うよりも、そう言うことをしている方が向いているんだろうね」
「そういえばレイ君は、何時までその姿でいられるんですか?」
「うん?」
あれから幾日か経ち、再突入機の修理にも目処が出てきた。
マスドライバーはなんとか稼動出来るようになった。しかしテストで動かせるほど耐久力は残っていなかったので、ぶっつけ本番の使用なるが、一回だけ動いてくれればなんとかなるので、まぁ大丈夫だろう。
食料は最初は見つからなかったので、救護箱に入れておいた缶詰を少しずつ食べていたのだが、食堂施設の床下に超長期保存用の真空精製されたものが見つかった。これは太陽電池駆動によるほぼ半永久的に保存できる装備だった。
水に関しては冷却水と共用のものを、比較的簡単に手に入れることが出来ていたが、充分な量の食料を補給できるのはありがたかった。
ただ、今の時点ではこの衛星内に人工重力は発生できないので、生米の炊飯や炒め物等の調理は不可能だった。二人ともそのまま食べれる、パンやソーセージ等で我慢した。
リュウガとレイの二人は「ZERO」の原子炉から電力を取り出すための動力チューブを繋ぐ作業をしている最中だった。
「ZERO」から再突入機を経由して衛星本体に接続を完了したので、少し休憩を取ろうと、
食事を始めたのだ。
懐に入れてある食料を出して食べると言う簡単な食事が、ここ最近の彼女達の食事風景だ。
固く焼かれたパンを小さい口でほおばりながら、リュウガは思い出したように、レイに聞いた。
「破壊神と戦った時、レイ君は言いましたよね。自分はこの中からもう一度出れると。でも昔みたいに長い時間は出られないと」
「十六日」
「はい?」
「十六日だけなんだ、僕がこの姿でいられるのは」
レイも同じ様にパンをかじりながら答えた。ほぼディフュームの身体と同じ体組織となっているこの状態では、自分の口から何らかの栄養素を補給する必要があるのは、前と同じだ。
「僕もあれから頑張ったんだよ。分子配列を変えてみたりとか、地上を歩行する際に必要ない神経細胞を極力分離させられるようにとか」
今のレイの身体は、成長したリュウガに合わせる様に、成人男性の身体となっている。
身長はリュウガを少し超えるぐらい。全体的に華奢な感じだ。
ショートの髪型の顔は女の子っぽい作りと言うか、リュウガと殆ど同じ様な顔をしている。
これは、リュウガの体組織を参考にして作った身体を元にして、この成人となった身体も作った為に、そうなってしまったのだった。
「16日だけ僕はまた再びこの中から出れる。どれだけがんばってみてもそれが限界だ。それを超えると分離した身体が腐敗を始めてしまう。もう子供の頃みたいに無理は出来ないみたいだ」
再突入機の格納庫に収まった「ZERO」を見上げながら言う。レイ自身も、本来の自分の身体をこうして見ているこの状況が、とても不思議な感じがした。
「でも、その短い間だけですけど、また一緒にいられるんですよね……子供の時のように」
「うん……」
二人は食事を済ませると、再び作業に戻った。
リュウガは「ZERO」に繋いだ、動力中部の船内への固定作業に入った。
「? この箱は?」
丁度ケーブルを固定しようとしていた場所に、大きめの箱が転がっていた。
何かの輸送用のコンテナらしい。
触って見ると上の蓋が少しずれた。リュウガはそのまま開いてみた。
「あ……」
リュウガはその中身を見て、一瞬言葉を失った。
花嫁達が、恋人から伴侶へと変わる時に着る純白の衣装、ウェディングドレス。
その箱の中は、沢山の白い衣で埋まっていた。
「……あ、ブーケも」
ドレスの中に、硝子で出来た筒のような物が混じっているのを見つけた。その中には綺麗な白い花束が入っていた。
リュウガはその硝子のケースを手にとって見た。それは真空保存の為のものだった。
永遠に枯れないように作られた、白い花束。
それはまるで、永遠に変わらない恋人達の愛の形を表している様に、彼女には思えた。
「……この船は、新しい花嫁たちに、このドレスを届けるための船だったのかも知れないね」
何時の間にか後に立っていたレイが、花束を見つめたままのリュウガに説明した。
「この船の名前はブーケプレアって言うんだ。つまり花束の祈り。ブーケに込められた想いを運ぶのが、この船の役目だったんだね」
再突入機とマスドライバーの調整は、ほぼ順調に完了した。
後の問題は時間だった。
この往復輸送機用の中間衛星は、月の衛星軌道上にある為に、地球の自転と、月の地球周回に大きく影響されてる。
月の衛星軌道から地球に到達する為には、月が最も地球に近付き、尚且つこの衛星も地球に最も近い衛星軌道にいなくてはならない。
そしてそれは二十日に一回の周期で訪れると言う事が判った。
この衛星に着いたときは、その周期の四日目の時点だった。
そして今十五日の時間が経過し、帰る為の道具である再突入機とマスドライバーの調整は完了し、この衛星が射出地点に到着するのを待っていると言う状態だった。
二人は食堂にいた。リュウガが、小さい包丁を揮い食事を作っていた。調理器具が何も使えないこの状況ではやれることはたかがしれているが、最後の夜ぐらい何か自分で作りたかった。
レイは食堂の脇にある無重力下用のコーヒーメーカーの立てる、こぽこぽと言う沸騰音を聞いていた。
飲み物は普通の飲料水だけでも充分なのだが、リュウガがどうしてもと言うので、先ほどレイが直して使えるようにしたものだった。
彼女がそんな我ままを言うのは珍しいなと思いつつ、少しずつコーヒーが出来上がっていく様を見ていた。
「おまたせしました」
リュウガがトレイを二つ持ってきた。無重力なので、上に乗っけた食べ物が跳んでいかないようにと、かなり慎重だ。
固めに焼かれたパリジャン状のパンに、肉とチーズがはさまれたサンドイッチ。そしてその添えられた、ほうれん草の炒め物。
「……これは、あの時の」
レイも、やっとリュウガが我ままの意味が判った。
それを証明するように、リュウガがコーヒーを水筒に移し、持ってきてくれた。
「そうですよ。レイ君とわたしと、そしてウォルテと一緒に海へ行った時、毎日食べていた食事ですよ」
子供の頃の大切な記憶。水の精霊姫が優しさをもらった記憶。そしてレイも優しさをもらった記憶。
「いただきます」
二人はサンドイッチを口に含んだ。
「……おいしいね」
当たり前だが、レイは殆ど食べ物を摂取した経験が無い。それでも美味しいと自分は感じた。
味覚以上に、思い出と言うものに含まれた感触に、レイも考え深げになった。
「保存用の食品の中に、炒めたほうれん草の缶詰が入ってたんですよ。他にも探したら、チーズとかもあって、だったら作れるかなと思ったんですよ」
リュウガも嬉しそうにサンドイッチをほおばった。
「あの時、帝国府で逢ったウォルテも、ずいぶんと綺麗になってたね」
レイが、もう一人の幼友達のことを話題に出した。
二人の頭の中に、再会を果たしたウォルテの姿が思い浮かんだ。
「ねぇレイ君、わたしとウォルテ、どっちが綺麗になりました?」
「えええ!? なんでそんなこと聞くの!?」
リュウガの台詞に、レイも流石に面食らってしまった。
「え〜と……いきなりそんなこと言われてもなぁ……」
レイの困った顔を見て、リュウガはくすくすと笑った。
「ウォルテの方が綺麗ですよ。彼女は水の精霊のお姫様なんですから、わたしなんかよりもずっと綺麗じゃないと、格好がつかないですよ」
「……そ、そうなの?」
自分で質問しておいて自分で答えを出してしまうリュウガののんびりさ加減を見て、レイも本当にこの娘は昔から変わらないなぁと思うのであった。
彼にしてみれば、世間一般の目を加えて判断しても、リュウガとウォルテの顔立ちは同じぐらい綺麗なものだと、思っていたのだが。
「ねぇ、レイ君……わたしたちって、今、デートしていることになるんですかね?」
リュウガが何の気なしに訊いてきた。
「デートって言うより、同棲じゃないのかな?」
レイも相手を慌てさせる事が得意なリュウガに負けじと、ズバッと言ってみた。
「……そうですよね。少しの間でしたけど、同じ場所で一緒に暮らしていたんですもんね」
「うんうん、リュウガもエプロン姿だし」
今のリュウガは、着ていた剣士服の上着を脱いだシャツ姿の上に、エプロンと言う格好だった。ちなみにこのエプロンも救護箱に入れておいたものだった。一体どう言う状況を考えてこのエプロンを入れておいたのか不明だが、リュウガのエプロン好きは帝国軍の中では有名である。
「じゃぁ、明日の朝は裸エプロンでも披露しましょうか?」
「……そう言うのは予告無しでやるのが、普通なんじゃないんですか?」
「あははは」
マスドライバーより射出された再突入機「ブーケプレア」は、地球表面の成層圏、いわゆる亜宇宙と呼ばれる宙域に達していた。
『大丈夫か、リュウガ?』
「はい……今はなんとか」
リュウガは既に「ZERO」の操舞倉内にいた。機体は今現在ブーケプレアのカーゴスペースに寝かせられた状態なので、リュウガは頭の上から無理矢理押し潰してくるような、急激な重力に翻弄されていた。
レイに操られた再突入機が、機首を下に向け始めた。いよいよ大気圏突入だ。
浮揚器等の重力制御を使わず、星の海から地球に降りる場合は、大地を覆う大気層が最大の壁として立ちはだかる。
最適な突入角を得られなければ、その凄まじい摩擦熱により、本物の流星と同じ様に燃え尽きてしまう。
レイは既に「ZERO」の中に戻っていた。彼は、この神機を動かす重要な部品の一つとしての仕事をまっとうしている。
その正確無比な計算能力が、ブーケプレアを最適な突入角で、地上に降ろそうとしていた。
「くぅ……」
リュウガが呻き声を上げた。地上に近付くにつれ、押し潰そうとする力が確実に強まっている。
『リュウガ、もう少しの辛抱だ! がんばってくれ!』
「……はい」
レイの励ましに、唇を噛みながら答える。
『!? なんだ!?』
その時、機体を進ませる前方で、巨大な爆発が起こるのが見えた。
『あれは南バーラト大陸の方だな』
そして幾らもしない内に二度目の爆発が起こった。
『なんなんだ!? 劫火砲級の爆発が二回も続けて!?』
南バーラトと言えば、枢機軍の実質的な統率国であるアルビオン連邦がある場所だ。
しかも龍機兵の生産能力を有する地下工場と、魔法管理委員会と言う、人間達の重要拠点が数多くある大陸でもある。
『なんでアルビオンでそんな大爆発が続くんだ? まさか帝国軍が侵攻を開始しているのか?』
流石にレイも、一体地上では何が起こっているのか全く見当がつかない。
「……レイ君、そこへ下りてみましょう……」
自分の腹の中からか細い声が聞こえてきた。
「何となくそこへ行かなくちゃいけない気がするんですよ……」
リュウガが、声を絞り出す。
予定では帝国府近海の海に不時着する事になっていたが、今はそんな悠長なことを言っていられない状況のようであった。
『判った、アルビオンに降ろすことにする。進路を変更するから、今まで以上に重力がかかるが、耐えられるか?』
レイの言葉にリュウガは勿論頷いた。
そして「ZERO」を乗せたブーケプレアが、流星となって南バーラトの地に落ちていった。
「これが、今までの話です」
リュウガは二人に、破壊神を倒す為に自分達が消えてから、奇跡的に助かり、ここまで帰ってこられた経緯を話していた。
三人は「ZERO」の操舞倉の中にいた。乗降用の扉を開き、入り口の辺りにリュウナとティアは外にはみ出すように座っていた。
しかし再会を果たした者達は、みんな口数が少なかった。
リュウガとレイは、自分達の話をする前に、この世界で今まであった事を、二人から聞いていた。
ハイカグラと言う存在。
それを奪取する為の激しい戦い。
破壊神の暴走。
アルビオン連邦の消滅。
破壊神との戦い。
そして居なくなってしまった二人。
「ウォルテおねえちゃんが……アリシアさんが……」
リュウナは二人のことを喋っている間、涙が止まらなかった。
リュウガも折角帰ってきたと言うのに、大切な親友が二人も死んでしまったことを聞かされて、泣いた。止めども無く涙が溢れた。
本当は叫びたかった。泣き叫びたかった。この「ZERO」の操舞倉で妹に抱かれて泣いた時のように、泣き叫びたかった。
でも、しなかった。できなかった。
泣き叫ぶ前に、自分にはやるべきことがあった。
「ZERO」は既に龍の首に変異しており、黒き龍焔の頭部となっていた。
レイもリュウナの話を聞きながら、無言で準備をしていた。
ウォルテが命を懸けて、自分達にもたらしてくれた水の武具、ハイカグラ。
リュウナが突っ込ませたニルヴァーナの中から、ハイカグラは回収された。多少傷は付いていたが、使用には問題なく見えた。
レイはハイカグラの接続作業をしている時に、あのサンドイッチの味を思い出していた。
『……もう、誰も一緒に食べれなくなってしまったんだね。僕も、ウォルテも』
子供の頃三人で食べた、あの味。そして人工衛星の中でリュウガに作ってもらった、あの味。
機体に、ハイカグラの入力端子を繋いだ。
黒き龍焔には、アリシアが修理の再に強引に付けさせた、ハイカグラ用の出力端子があった。
彼女はやはり、リュウガと龍焔炉を積んだ「ZERO」が帰って来ることが、判っていたのだろうか?
「……おねえちゃん」
リュウナが、力の抜けたような声を出した。
彼女は自分の姉と同じ様に、一度死んでいる。それを魔法の力で強引にこの世に呼び戻したのだ。その結果、体力は極限まで低下していた。
こうやって話が出来るのも、焔珠を持つ者の力の強さ以上に、自分が伝えるべきことを言わなければという、責任感のなせる技だった。
そして今は、ティアの身体に自分を寄り掛からせてもらっている状態だ。
「一つだけ、うれしいお知らせがあるよ」
「うん?」
「わたし、ティア君の彼女になったんだ……」
リュウナが涙を瞳に浮かべたまま、少し恥ずかしそうに言った。
「本当ですか、ティア君?」
「……はい、この前告白しました」
リュウガの言葉に、ティアも照れくさそうに答えた。
「良かった……」
それを聞いて、リュウガも心底嬉しそうに微笑んだ。
「もう、遅すぎですよ二人とも。心配かけないで下さいよ」
拳で涙を拭いながら、少し意地悪くっぽく言ってみた。
「えへへ、ゴメンなさい」
「ティア君も、わたしのこと今日からお姉ちゃんって呼んでも良いですよ」
「……遠慮しておきます」
破壊神は、インビンシブルとニルヴァーナが擱坐する三キロ程先にいた。
巨人の胴に載った首の状態のまま転がっていた。
ハイカグラを携えた黒き龍焔が、其処へゆっくりと歩いていく。
『まったく動く気配が無いな』
「まるで早く止めをさしてくれと言っているようにも見えますね」
リュウガの背には既にインフェルノゲートが接続され「ZERO」の龍焔炉が稼動していた。
「……おねえちゃん」
リュウナが口を開いた。
「このハイカグラの引き金を引くことは、破壊神を倒すことでもあるけれども、全ての人間を殺すことでもあるのよ……」
リュウナが言った。それはメスメルがリュウナ達に言った言葉でもあり、アリシアがハイカグラを撃つ前に告げた言葉でもあった。
「おねえぢゃんだけにそれだけの業を背負わせるのは嫌だよ……わたしも引き金を引きます……わたしにだって龍の焔を操る力があるんだから……」
姉を想う妹が、自分の気持ちを伝える。
「それにこの命だって、アリシアさんがくれたものだから。わたしにもアリシアさんが果たせなかった想いを果たさせてよ」
リュウガは妹の手を取ると、首を横に振った。
「だからだめなんですよ、あなたは」
「どうして?」
「その命は、アリシアがくれたものでしょ。まだあなたにはやることがあるって。あなたがすべきことは、焔珠の力を持つ者が一人でも多く生き残るということ。そしてもう一つ」
一呼吸続けて言う。
「しあわせになること」
リュウガはそう言って、優しく微笑んだ。
「あなたは、命をくれたアリシアの分までいっぱい幸せにならないと。それに自分の親友が妹の命を助けてくれたんですもの。だったらそれは姉のわたしがしなくちゃ」
「……おねえちゃん」
操舞倉が振動した。
黒き龍焔がハイカグラを構えていた。
『準備は良いよリュウガ』
「はい」
『でも本当に良いんだね? 君の意識を失わせて僕一人でハイカグラを撃っても良いんだよ?』
流石にレイも土壇場になって、彼女の気持ちを確かめた。
「いまさら何を言っているんですか。それにレイ君ひとりには任せられないですよ」
『僕も随分と信用がないんだね』
「お互い様ですよ」
そして黒き龍焔はハイカグラを放った。
生きる者が誰も居なくなった大地に、この世のものとは思えないような絶叫がこだました。
それと共に天空が暗雲で瞬く間に埋め尽くされ、次の瞬間にはどしゃ降りの大雨となっていた。
巨人の首となっていた破壊神は、雨に当たる度に、凄まじい悲鳴を上げ、その形がぐずぐずに溶け出していった。
リュウガは開かれたままの操舞倉からその光景を見ていた。
リュウナもティアも雨に当たるのもお構いなしで見ていた。
皆、この世を破壊する為だけに生まれてきた者の最後を、ずっと見ていた。
「これで……終わりなんですね」
リュウガが考え深げに呟いた。
ウォルテ、そしてアリシア。他にも死んでいった者達は数多くいる。
様々な犠牲を払って戦いは終わろうとしていた。
……しかし
その時、雲を突き破って何かが降りてきた。
それは純白に彩られた巨人だった。
雨雲を切り裂き、濡れる大地に、巨人は降り立った。
「……」
リュウガは静かに、その巨人を見ていた。
まるでその者がここに来るのが判っていたように。
「……そうですね、まだ終りではないですね」
リュウガの言葉に答えるように、白き巨人から声が洩れた。
「そうだ、まだ終りではない」
ヴァッシュガーランドは心底待ちわびたように、呟いた。
「ようやく再会できたな、紅蓮の死神よ」